今の大学に赴任して12年。毎年、夏・冬の2回、1000人近い学生の答案を読む。かなりの肉体労働である。書斎ではやらずに、和室の座卓に答案の山を置いて正座する。そして、やや腰を浮かし、斜め上方から目線を送って一気につけていく。だが、ほとんど同じような文章が続いたりすると、ドッと疲れる。大講義ではレポートも書かせる。関連するテーマの本を読んで「書評」させるのだが、ネットで検索すれば当該書籍のレビューや感想は容易にみつかる。それを「コピペ」(複写・はりつけ)で作成して、トッピング程度に自分の意見をまぶして提出する者もいる。そこで、今年から、原稿用紙に手書きするように指示した。「コピペ」の画面を手書きに写す者もいるだろうが、少なくとも一度はペンを走らせねばならない。学生には評判はよくないようだが、大学の試験も、司法試験や就職試験なども、すべて手書きで答案を作成するのだから、たまにはきちんと文章を書くことは意味があると思う。
いまの学生たちは、小・中学生の頃からパソコンがあたり前の世代である。大学側も、ネット上で授業の指示を出したり、メールでレポートを受け取ることを奨励している。私はホームページは長年運用しているが、授業でパソコンは使わない。私のゼミではゼミ生がパワーポイントを多用しているが、私個人は使わない。できるだけ手作業を心がけている。せっかちな性格なので、便利なものには必要以上に「乗らない」ことにより、仕事と精神のバランスをとっているわけである。
あと15年、大量の答案やレポートと向き合わねばならない。その間、デジタル化、ネット活用の方向はますます進むだろう。でも、レポートは原稿用紙に手書きしたものしか認めないという古めかしいやり方だけは、できるところまで続けていきたいと思っている。
それよりも、パソコンや携帯メールに慣れた学生諸君には、手書きのよさをもっと知ってほしい。30数年前、大学院生のとき、親戚から贈られたマイスターシュトュック146で修士論文を書いた。活字論文もこれで書いてきた。のってくると、独特の濃いブルーのインキが原稿用紙の上を滑るように流れていく。いまとなっては、ほとんど忘れかけている快感である。だから、たまに手紙を書くときは、汚い字で恥ずかしいのだけれども、心をこめて万年筆で書いている。達筆な方の手紙をみると赤面ものだが、それでも万年筆で書くと、心が引き締まる。
キーボードだと、心の荒れや苛立ちもそのまま文字に変換されてしまう。いきおい、きついメールを出してしまい、こちらの意図が伝わらずに後悔することもある。このようなことは、手書きの手紙なら起こらない。万年筆で手紙を書くときは、心の乱れはペン先の動きに反映し、文章にならず、心を静めてからの書き直しとあいなる。だから、親しい間柄でも、たまには手書きの手紙を出すことをおすすめしたい。私自身は、ここぞというときは146に登場願うことにしている。
散歩をしたあとに、レコードを聞きながら、万年筆で文章を書く。これからも手書きのもつよさ、その効用は忘れたくない。
このように、デジタル時代に、それにのみこまれないように、アナログ的要素をできるだけ残すという、いまや少数派となった私の個人的営みについて、連載原稿で触れたことがあるので、以下、転載する。
ネット時代にアナログ的要素を
◆変わる職場風景
黒沢明監督の映画「生きる」(1952年)には、半世紀以上前の地方公務員の仕事ぶりが出てくる。ひたすら書類に印鑑を押す53歳の市民課長(当時、志村喬は47歳!)。机の上には、うず高く積まれた書類の山。その間から、黙々と仕事をする同僚の顔が見える。これが、役所のイメージとして定着していたように思う。
近年、パソコンの普及で、こうした風景は一変した。どの机にもパソコンが置かれ、職員は画面を見つめて仕事をしている。ペンを持って文章を書くときの姿勢と、パソコン画面を見つめながらキーボードを叩くときのそれとでは微妙に異なる。手書きの場合はやや前かがみで、顔を傾ける。しかし、パソコンを使う人はほぼ正面を向き、画面を見つめる。私には何か違和感が残る。年金記録の入力もこうやって行われ、多くのミスが生まれたのだろう。
ところで、講演などの際、パソコンでメモをとる人がいる。体と顔は私の方を向いているのに、目はパソコンを見つめるので、どこか宙に浮いた目つきになる。本人は真剣に話を聞きながら打ち込んでいるのだが、話をする側からすると何かが違う。ペンを持ち、思い当たるところで下を向いてメモを取る。この何気ない仕種が、話す側には心地よい刺激になる。パソコンを置かれると、この雰囲気は確実に壊れる。
私はまた、講演や講義でパワーポイントを使わない。これを用いると、画面に情報がきれいに出るため、聴衆はそこに関心を向ける。話す方も説明を省略して、画面に甘える。目の前にいる相手に、真剣勝負で言葉を伝えたい私は、その話術を乱す道具とは距離をとっている。
昨年来、「食」をめぐる問題で人々が神経過敏になっている。実際、危ない食品が存在し、対策は必要なのだが、市民にも過剰反応・対応が生まれている。パソコンの世界も同様である。
ファイル交換ソフトを通じて、個人情報が流出したり、ウィルスを攪拌したりする事件が官庁や企業でも起きている。だから、パソコン使用者にとって、ウィルス対策はいまや義務とさえいえる。だが、対策を突破する新たなウィルスが登場し、それに対応する新ソフトを取り入れても、さらにそれをくぐり抜ける新種のウィルスがあらわれる。そして、「ウィルスに感染したらどうするのか」という強迫観念で、対策ソフトの更新は当然のように行われていく。「安全オブセッション」(強迫観念)である。
ある日、私のパソコンの動きが劇的に遅くなったことがある。ウィルス対策ソフトの不具合だった。そもそも、コンピューターウィルスがなぜ危険かといえば、それに感染すると、パソコンが機能不全を起こしたり、データを外部に流出させたりするなど、さまざまな悪事を働くからである。そのウィルスを防御・駆除する手段が、パソコンの機能を鈍化・ストップさせた。本末転倒である。「安全」対策の突出で自由が縮減する、いまの世界の状況と重なる。
半分冗談なのだが、ウィルス対策で儲けようとする人々が、新種のウィルスを開発して密かに流し、それに感染した事例が出てきたところで、新手の対策ソフトを売り出す。「マッチポンプ」ではないが、ウィルス対策ソフトの開発と、ウィルスの高度化との間には、ある種の「共生」関係が成り立つ。どんなウィルスも100 %ブロックできる手段が誕生すれば、対策ソフトの更新の必要はなくなる。これは、軍隊や軍需産業にとって、「完全な平和が最大の危機」であるのとも共通する、ある種の逆説である。私は不具合を起こした某有名ウィルス対策ソフトとは縁を切り、マイナーながら安価で有効なソフトに乗り換えて以来、問題は生じていない。
ネット検索により、情報の収集や入手は格段に便利になった。反面、検索でヒットしたものが不正確な紹介だったり、ずいぶん昔の文章だったりして、誤解を広めることもある。本や文書なら、赤茶けた古い表紙や、その周辺情報などから、書かれた時代や背景がわかる。だが、ネットでヒットした文章は「いま」のこととして受け取られる。何とも悩ましい問題である。
私のところへも、ネット検察による取材の申し込みや問い合わせがあるが、一番驚いたのは、4年前、関東地方のある市議会で、議員が水島ゼミのレジュメを使って質問をしたということである。市の教育委員会事務局からメールが届いて、それを知った。議員は、質問準備に検索エンジンを使い、わがゼミのホームページにたどり着き、それをプリントアウトして質問したらしい。何とも安易で簡易な調査と質問である。
インターネットの普及により、またパソコンで原稿を書くことが一般化することで、答案やレポートに、よく似た、また平均的な文章が目立つようになった。コピペ(コピーとペースト)により、実質的な「剽窃」が行われる。ネット時代の影響は、学問の進歩にプラスと同時に、さまざまなマイナスも生んでいる。
◆アナログ的要素を残そう
意外と思われるかもしれないが、私はアナログ派である。11年前からホームページを出しているのでパソコン通とみられているが、誤解である。私とパソコンとの相性の悪さの一つは、あの立ち上がるまでの「時間」にある。ワープロなら電源を入れて、すぐに書ける。手書きとの差は数秒程度。もう一つは、機能の多さだろう。私は、「小さな親切、大きなお世話」「小さなお節介、大きな迷惑」の類の新機能は次々に外している。困ることもあるが気にしない。
それに、私はパソコンでは原稿を書かない。「親指シフトキーボード」のワープロ専用機を3台確保して、これをテキスト・コンバータでワードファイルに変換し、メールで送っている。ローマ字入力で日本語を書くことにも違和感がある。研究室のパソコンではローマ字入力だが、やはり日本語の語感は大事にしたい。私の大好きな「弥勒菩薩」は、「mirokubosatsu」ではなく、「みろくぼさつ」と打ち込み、心を込めて変換キーを押す。ローマ字入力は13打だが、親指シフトなら半分の6打ですむ。時間の節約だけでなく、日本文化に親しみ、これを愛するものとして、日本語の手書きの感覚を残したいと思う。その意味でいえば、たまには万年筆で手紙を書くことも大切だろう。
ちなみに、わが家の時計は、ほとんどアナログである。腕時計も手巻きを使っている。テレビ番組の保存もなおビデオを用い、音楽もレコードで聴く。デジタル時代やネット時代に、あえてアナログや手作りの要素を残しておくことも大切ではないか。
(2008年3月21日稿)
〔『国公労調査時報』 2008年5月号「同時代を診る」連載第40回より転載 〕