麻生お一人様内閣  2008年9月29日

の2年間、9月中旬・下旬は、総裁選という虚しい祭りの季節だった。米国のリーマン・ブラザースの破綻、原油高騰、汚染米事件など、緊急に取り組むべき課題は山積みである。しかし、この国は有効な対策がとれないまま、総裁選のお祭りで時間を空費した。来年の今頃も総裁選をやっているのだろうか。
   そんな予感を漂わせて、24日、麻生太郎内閣が発足した。メディアは盛んに「国民的人気」と持ち上げるが、読むのはマンガで、「新聞は見るだけで、読まない」という変わった人物だから、一時的に面白がられているだけだろう。各紙26日付の世論調査でも、支持率は50%に届かない(少ない順に、『毎日』45%、『朝日』48%、共同通信48.6%、『読売』49.5%、『日経』53%)。支持率のさらなる低下は避けられまい。その原因の一つに、軽妙だが、鋭く尖った「言葉の銃弾」がある。歴史認識の貧困はすでに書いたが、あの口から繰り出される言葉は、失言どころではない。差別意識と人間蔑視、地方軽視の本音が、タメ口モード全開で吐き出され、関係する人々の心を深く傷つけている。

  8月末の豪雨水害について、「〔1時間に〕140ミリだぜぇ。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら全部洪水よぉ」と。「よその家(外国・地方)だったからいいけど」、「わが家(日本・東京)でなくてよかったね」という、典型的な「…だったからいいけど」思考である。あり得ない仮定の話だが、国連総会の演説で、スマトラ島沖大地震(2004年12月26日)の巨大津波について触れ、「〔高さが平均〕10mだぜぇ、場所によっちゃあ34m。インドネシアやタイだったからいいけど、日本やアメリカ東海岸で同じことが起きたら全部洪水よぉ」といったらどうなるか。「安城・岡崎発言」の本質はこういうことである。なお、両市に対して、麻生事務所から「お詫び申し上げます」という本文12行の手紙が届いたそうである(『中日新聞』9月18日付愛知県版に手紙の写真あり)。でも、これはお詫びしてすむだろうか。
   1年前、日本と中国のコメの価格差について語る文脈で、「アルツハイマーの人でもこれぐらいは分かる」(2007年7月19日、富山県高岡市。『朝日新聞』7月20日付)と発言して、すぐに撤回した。単に言葉がすべったというよりも、発言者の価値観、人間観が素朴に表現されている。
   なお、総裁選のさなか、NHKニュースでみた佐賀県での演説風景(9月20日)も印象的だった。「地方へ来て確信しました。日本は不景気である」と。地方に来なければ不景気が確信できないのか。この発言の直後、カメラは聴衆を映す。作業帽をかぶった農家の方々が多い。表情は硬い。「先が思いやられる」という危惧は、与党のなかにもあるように思う。

  野中広務(元・自民党幹事長)は、「資質に疑問あり」という見出しのインタビュー記事で、厳しくこう指摘している。「〔麻生に〕人権を踏まえた視点がありますか。華麗な家柄だけど、人を平等に考えない。国家のトップに立つ人として資質に疑問がある」「安倍晋三前首相と福田康夫首相が辞める時、2度とも事前に打ち明けられたのに、善後策も講じないで一番先に自分が手を挙げた。幹事長の職責がわかっていない人だ」(『毎日新聞』2008年9月17日付「もの申す!」)。
   「資質に疑問あり」はまったく同感である。野中は、二人の首相に辞任を最初に打ち明けられて、人にその情報を伝えず、何もしないで、自らが立候補した点も厳しく批判する。幹事長という職責を果たさず、自分のことだけを考えた麻生の資質を問う野中の眼差しは鋭い。首相二人に辞任を告白された段階で何もせず、自らの立候補に向けて動き出すのは、政治の「インサイダー取引」のようなものではないだろうか。

  人望のない首相をたくさんみてきたが、脱力する言葉を発し、怒りよりもむしろ呆れられた森喜朗とは異なり、今回の麻生太郎は、「震えるほどの深い怒り」をかう首相になるとみている。人を傷つけたことにまったく気づかず、さらなる「言葉の銃弾」を発するタイプである。
   すでに韓国の『朝鮮日報』(日本版)9月23日付社説は、「〔創氏改名は〕朝鮮の人たちが『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まり」という麻生発言(2003年10月)を挙げて、「歴代の日本首相は就任時に韓国国民に聞こえがいい発言をたくさんしても、逆に韓国人の心にくぎを打ちつけるような行動を繰り返してきた。麻生氏がどんな人物かはやがて分かるだろう」と結んでいる。
   植民地統治時代、筑豊の麻生炭鉱には、のべ1万人以上、朝鮮半島からの労働者が働かされていたという(『週刊ポスト』10月3日号)。こうした「過去」をもつ麻生炭鉱の御曹司が首相となる。しかも、次々と発射される「言葉の銃弾」による傷の深さは、並のものではないだろう。外務省も官邸も、いまから「お詫び」と「謝罪」の文書のひな型を準備しておく必要がある。

  それにしても、24日に組閣された麻生内閣。17人の顔ぶれをみて、「タカ派文教族お友達内閣」(17人中7人)、「総裁選論功行賞内閣」(いつものことだが、今回は4人)、「世襲内閣」(二世議員は首相を含め11人で過去最多。首相経験者の子・孫が4人も)といった評が出ている。「民間人ゼロ内閣」、さらに、どうでもいいことだが、「早稲田ゼロ内閣」(東大5、慶應大5。早大卒の首相が「内閣ポイ捨て」した結果だから当然か)でもある。

  こんな閣僚たちだが、その閣僚名簿の発表には、ちょっとした「サプライズ」があった。通常、閣僚名簿の読み上げは内閣官房長官が行い、最後に「内閣官房長官、不肖わたくし○○○○であります」と結ぶのが慣例だった。内閣法その他の法律にも、「閣僚名簿の発表は、内閣官房長官がこれを行う」という明文規定はない。長い間の慣例として行われてきた。首相が自分で閣僚名簿を読み上げることは、「大統領型の首相」をめざした中曾根康弘も、サプライズ好きの小泉純一郎もやらなかった。今回、麻生は自らのリーダーシップを印象づけるため、この慣例を破った。首相が発表すること自体がよくないとはいわない。なぜ任命したかの理由や当該大臣の重要課題についてコメントしつつ発表するというやり方は、メディアには嫌われないだろう。だが、官房長官に、自他ともに認める地味な人物を配することで、今後、首相自らが発信する機会を増やすぞというパフォーマンスにもなったようである。まさに「お一人様内閣」である。
   そのお一人様が国連総会出席のため不在の間、国土交通大臣の中山成彬がやってくれた。「日本は内向きの単一民族」ほか問題発言3連射で、一部撤回・謝罪をしている。9月28日には辞任した。先行きは暗い。

  ところで、気になるのは、国連総会に出席した麻生が、演説後の記者会見で述べたことである。演説では、インド洋上の給油活動の継続について、「日本が今後とも国際社会と一体となり、テロとの戦いに積極参画していく」ことを表明した。記者会見では、集団的自衛権の行使について「基本的には(憲法の)解釈を変えるべきものだ」と語り、憲法の解釈変更の可能性を示唆したのである(『朝日新聞』9月26日付夕刊)。安倍内閣の「集団的自衛権」有識者懇談会は、福田内閣では冷遇され、ほとんど注目されてこなかった。麻生内閣は安倍モードに戻して、「集団的自衛権行使の合憲解釈」の方向に舵を切るのだろうか。

  「総裁選ではなく、直ちに総選挙を」で書いたことは、麻生内閣発足でも事情は変わらない。総裁選、茶番の空白。衆議院解散の時期をめぐっても、恣意的な操作が目立つ。与野党合意による解散もささやかれている。
   ちなみに、ドイツでは3年前、首相が自らに対する信任決議案を否決する形で総選挙になった。ドイツ基本法(憲法)は、ヴァイマール憲法が大統領の議会解散権を濫用されたことの反省から、不信任決議案可決で総選挙というルートを認めず、信任決議案否決の場合にのみ解散となるよう設計してある。与党内部で、示し合わせて大量棄権を出し、少数野党が相対的に多数となり、信任案を否決したわけである。日本よりも、解散のハードルは高い。
   日本では、「総理の専権」「伝家の宝刀」ということになっている。だが、衆議院議員の身分を任期満了前に奪う行為だから、そうとうな覚悟がいる。解散は、本来民意を問うべき場面では回避され、あるいは唐突に行われてきた。「郵政民営化、賛成か反対か」という単純化された論点で強引に解散を行って「9.11総選挙」をやった張本人が、9月25日、立つ鳥、跡をメッチャクチャに濁して引退した。
   「お一人様内閣」について、国民がきちんとした判定をするときは近い。

(文中敬称略)

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