閉じられた社会では、暴力が、特別の論理と言葉(隠語)によって正当化されることが少なくない。昨年6月、大相撲の時津風部屋の力士・時太山(17歳)が、時津風親方(当時)と3人の兄弟子から暴行を受け、死亡するという事件が起きた。相撲の世界では、いじめと紙一重の行為が「かわいがり」という形で行われている。時太山のケースも、当初は「かわいがり」のなかで起きた不幸な事故と受け取られた。だが、その後、時津風親方がビール瓶で何度も殴打していたこと、過度の「ぶつかり稽古」で動けなくなった時太山を、3人の兄弟子が金属バットで殴るなどして死に至らしめたことが明らかとなった。
相撲部屋では、親方の存在は絶対的である。その親方がビール瓶で殴れば、その後の弟子たちの行為がエスカレートしていくことは容易に想像がつく。10月7日、傷害致死罪で起訴された力士・3被告の初公判が、名古屋地方裁判所で開かれた。「ぶつかり稽古」はわずかな時間でも体力を激しく消耗するとされており、それを、何人もの兄弟子たちと連続して長時間行えば、どのような事態になるかを含めて、裁判で明らかになるだろう。
初公判の開始からちょうど1週間後の10月14日、海上自衛隊呉地方総監部は、江田島の第1術科学校で行われた「徒手格闘訓練」で、特殊警備隊養成課程の3等海曹(25歳)が死亡したことを公表した。3曹は、15人の隊員を相手に、50秒間ずつ、連続して対戦させられ、14人目のパンチが顎にあたって転倒。後頭部を強打して、急性硬膜下血腫で死亡した。この訓練は通常は2~3人程度といわれ、15人は明らかに多い。「7、8人目を相手にしたとき、棒立ちの状態だった」という海自関係者の証言もあり、15人を相手にした「訓練」の半ばの段階で、すでに体力を相当消耗していた可能性が高い。それでも「訓練」は続けられ、14人目で転倒し、死亡したものである。「訓練」には、審判役と指導役の教官2名が付き添っていた(『朝日新聞』10月14日付夕刊)。
なお、この事実は、共同通信が12日の段階でつかみ、『東京新聞』10月13日付朝刊をはじめ、共同通信配信のブロック紙や地方紙が13日朝の段階で一斉に報じたものである。私は12日夜9時の段階で、記者の電話取材を受けて、コメントを出した(『神戸新聞』13日付などに掲載)。新聞休刊日のため13日付夕刊、14日付朝刊がなく、朝毎読の全国紙は14日付夕刊で報じた。1日半遅れの後追い記事にもかかわらず、朝日と読売はカラー写真を使い、第1社会面トップで報じた。単なる訓練中の死亡事故ではないという認識が広まったからだろう。もっとも、『朝日新聞』16日付「天声人語」には違和感がある。「味方を死なせてどうする」「国防を担わんとする若者」「軍」等々、これでは『産経新聞』コラムとの見分けがつかない。
さて、特別警備隊は1999年3月に能登半島沖で発生した「不審船事件」を契機に、2001年3月に創設された、海上自衛隊初の特殊部隊である。海上警備行動(自衛隊法82条)発令時における「不審船」への立ち入り検査などのために運用される。70人規模で、部内から選抜されるエリート部隊である。
死亡した3曹は潜水艦隊に所属しており、特警隊を志願して、今年3月に養成課程に入ったものである。訓練期間は10カ月。「訓練は過酷で脱落者が多い」(海自幹部)といわれる(『毎日新聞』14日付夕刊)。期間の半分ほどが経過した今年8月、3曹は「辞めたい」という申し出を行い、9月11日に原隊(潜水艦部隊)に戻ることになっていた。そのため「今回の訓練が急遽(きょ)決まった」とされている(『朝日』同上)。3曹の父親は、海自幹部から「(異動の)はなむけのつもりだった」と説明されたという。
「はなむけ」とは漢字では「餞」と書く。まさに「餞別」として、異動の直前、この「訓練」は行われたわけである。今年7月にも、養成課程を辞める隊員が、16人と「徒手格闘訓練」をやらされて、前歯を折るなどの負傷をしている。死亡した3曹の遺族は、「訓練中の事故ではなく、脱落者の烙印を押し、制裁、見せしめの意味を込めた集団での体罰」と強く反発しているという(『東京新聞』13日付)。
では、この「訓練」を誰が発案したのか。『読売新聞』15日付によれば、7月の「訓練」は教官が提案したが、今回は、同課程に所属する15人の隊員が、自分たちで発案し、実施したというのである。
相撲部屋と同様、一般の組織よりもはるかに強力な命令・服従関係と、全員が一体として行動する、濃厚な同僚関係 (Kameradschaft) をもち、しかも外からは見えにくい、密室性の高い組織の場合、そこから「抜ける」という行為は、「上」からよりも、とりわけ「横」から、つまり同僚たちから強い非難を受けやすい。ところが、上官は、部下たちの「はなむけ」を制止するどころか、時には提案さえしていた。2人の上官は、「かわいがり」における時津風親方と同様、責任を免れない。だが、より本質的な問題が背後にあるように思う。
かねてから自衛隊内部での「いじめ」や自殺が問題になってきた。特に艦艇内では、密室性が強く、外から見えにくい分、より深刻である。護衛艦「さわぎり」での3等海曹の「いじめ自殺事件」については、すでに書いた。「さわぎり」事件はその後訴訟に発展し、8月25日、福岡高裁は遺族の訴えを認め、国に350万円の支払いを命じている(判決確定)。また、長崎県大村市の陸上自衛隊西部方面普通科連隊での連続自殺事件についても詳しく書いている。そして、海外派遣が本務化した自衛隊では、いま内部で、軋轢や矛盾が広がっている。私は12日夜、この事件を記者の電話取材で知ったとき、すぐにドイツのケースフェルト兵営での虐待事件を思い出した。
4年前の11月、ドイツ連邦軍兵営内における新兵虐待事件が発覚した。イラクのアブグレイブ収容所における捕虜虐待の真似をして、新兵を虐待した写真が流出したのだ。「人質ゲーム」という名で、夜間行軍訓練中、上官が新兵を「アラブのテロリスト」に見立て、暗闇から突然襲って縛り上げ、袋を頭からかぶせてトラックで移送。駐屯地内でさまざまな「拷問」を加えたものである。将校と下士官が検察官の取り調べを受けるという事態に発展した。
この事件は、一般的な新兵いじめではなく、海外派遣が恒常化したドイツ連邦軍の構造的問題が背後にある。アフガンなどでの実戦を想定して、緊迫感ある訓練にするという軍の意向が、下部に歪んだ形で広まっていることは否定できないだろう。偏見やサディスティックな手法は、密室性の強い組織の場合はとりわけ拡大する傾きにある。この事件を起こした下士官のうちの3人が、特殊部隊 (KSK) の隊員で、バルカンやアフガンへの派遣体験を持つことは偶然ではないだろう。この特殊部隊の訓練は厳しく、徒手格闘で首を折る訓練もある。
今回、海自特警隊で起きた事件は、海外派遣が本務化した自衛隊が、より実戦的な訓練を行うなかで起きた。「対テロ戦争」では、ゲリラや「テロリスト」と直接顔の見える距離で対峙することが多いので、銃剣術や徒手格闘が重視される。米海兵隊のモットー“First to fight”には、「自衛」の発想はない。まず「殴り込む」部隊である。日本の自衛隊は、その米軍の世界戦略に組み込まれ、米軍と一体の方向のトランスフォーメーション(改編)をしている。その途上、最先端のエリート部隊で起きたことは、海外での武力行使の可能性を想定して編成された陸自中央即応連隊や特殊作戦群などでも起こりうる。今回の事件は、「専守防衛の自衛隊」への「はなむけ」といえるかもしれない。
9月25日、原子力空母「ジョージワシントン」が横須賀に配備された。10月16日には、トライデント型ミサイル原潜「オハイオ」が、ポスト冷戦仕様にバージョンアップして入港している。第一軍団司令部の座間移転や、岩国基地の強化など、凶暴な米軍の最先端が日本に展開している。それを財政的に支えているのが「おもいやり」である。
在日米軍の駐留経費のうち、米軍地位協定上は米側が負担することになっているものまで、協定の枠を超え、日本側が負担することを「おもいやり予算」という。米軍基地内で働く日本人従業員の給与もその一つであるが、1978年にその一部(62億円)を日本側が負担した際、当時の金丸信防衛庁長官が、これを「おもいやりの立場で対処すべきである」と述べたことから、「おもいやり予算」と呼ばれるようになった。90年台には1000億円台、95年には2714億円に急増した。2007年度は2173億円である。2008年4月17日の参院外交防衛委員会では、ディズニーランド観光のバスツアーや米兵がレジャーで使うレンタカーの高速料金まで含まれていることが明らかとなった。
「おもいやり」に支えられた米軍が、世界各地に軍事介入して、世界の人々を殺している。それに伴い、自衛隊の組織・編成・運用も海外仕様となり、訓練はますます実戦を想定した激しいものになっていく。部内の緊張もテンションもあがる。今後、「はなむけ」類似の行為の土壌は、むしろ広がっていくだろう。
「日米同盟」がある以上必要だという思考停止モードではなく、私たちの税金の使い方についても真剣に「思いやる」(考える)ことが重要である。そうすれば、「はなむけ」と「おもいやり」が深いところでつながっていることが見えてくるに違いない。
なお、「はなむけ」事件それ自体については、自衛隊の警務隊で処理する問題ではもはやない。自衛隊というのは、情報の保全の保全の保全を徹底する組織である。この事件の処理をめぐっても、「隠しモード」に満ちている。当初は「1対1の訓練だった」と嘘の説明をし、防衛大臣への報告も遅れた。さすがに防衛大臣も「特殊で、特別な気がしないでもない」と、15対1の「特殊格闘訓練」に違和感を示している(『東京新聞』14日付夕刊)。今後、部内の調査委員会でお茶を濁させることなく、もっと国会が動いて調査や審議をすべきであろう。