新宿区に「職安通り」がある。いまはコリアンタウンとして知られ、韓国料理店などが軒を連ねる。かつての新宿職安はいま、ハローワーク新宿(歌舞伎町庁舎)になっている。何でも横文字にしたがる風潮だが、「ハローワーク通り」に改名しようという話は聞いたことがない。古今東西、通りの名前にはいろいろな想いがある。私は、いま、この通りの「職安」という言葉にこだわってみたいと思う。
ハローワークの正式名称は、公共職業安定所。職業安定法(1947年法律第141 号)に基づいて設置された国の機関である。この法律は、戦前の職業紹介法(1938年法律第61号)を廃止して、日本国憲法施行の1947年、その12月1 日に施行された。「各人にその有する能力に適合する職業に就く機会を与え、及び産業に必要な労働力を充足し、もつて職業の安定を図るとともに、経済及び社会の発展に寄与すること」を目的とする(同法1 条)。誰もがその能力に応じて、職業に就く機会を与えられる。この考え方の基礎には、憲法27条の存在がある。
憲法27条は、「勤労の権利」(right to work) と「勤労の義務」(obligation to work)を定める。1 項「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」、2 項「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」、3 項「児童は、これを酷使してはならない」。
どんな職業を選ぶのも基本的に自由である。これを憲法は「職業選択の自由」として保障する(22 条1 項) 。問題は、働く気持ちがあるにもかかわらず、仕事がないなどの事情で働くことができない。そのような場合、国家が介入して働く機会を与えようというわけである。
ワークの権利は、働く機会(就労)を求める権利である。この権利は、正当な理由のない解雇を制限する効果をもつという説、これに失業給付を求める失業者の権利、さらには、職業紹介や職業訓練まで権利内容に含むという説がある。27条2 項で賃金などの勤労条件法定主義をとっていることから、具体的内容は立法に委ねられている。憲法27条の「勤労の権利」を、職業紹介の面で具体化したのが、職業安定法である。この法律に基づく職安での職業紹介については、均等待遇が要求される。「何人も、人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、職業紹介、職業指導等について、差別的取扱を受けることがない」(3 条)。ここには「国籍」も入っており、雇用については、一定の条件で外国人にも開かれている。ちなみに、「職安通り」には、新宿外国人雇用支援・指導センターがある。
いま、日本の雇用状況は悲惨である。「派遣切り」という言葉も生まれ、非正規労働者が大量に解雇されている。2007年冬にドラマ「ハケンの品格」(篠原涼子主演)がヒットしたが、それから2 年近くたって、「ハケン」の人々の命と暮らしは危機的状況に陥っている。
12 月9 日、ソニーは正社員8000人を含む 1万6000人の首切りを発表した。また、自動車産業12社で 1万3000人の人員削減を決め、とりわけ日産自動車は、2000人いる派遣社員をゼロにすると発表した(『朝日新聞』12月18日付)。これは最大の「派遣切り」である。
世界金融・経済危機のなか、株主への配当を行い、幹部の賞与も出しながら、いとも簡単に「派遣切り」に向かう。ここに、「危機」をいいながら安易で簡易な手法に流れる、昨今の巨大企業トップの劣化をみる。この間の無節操な規制緩和政策が、巨大企業にこうした甘えとおごりを生み出すことにつながったのではないか。
90年代の日米構造協議以降、民間開放・規制緩和の嵐が吹き荒れ、その惨憺たる荒野がいま広がっている。建築基準法が改正され、建築確認検査の「官から民へ」の流れが生まれた結果、耐震構造計算書の偽装問題が判明して、大きな社会問題に発展したのは記憶に新しい。米国が改革要望書で求めていた建築確認の効率化に安易に応じた結果だった。同様の「押しつけ構造」と新自由主義的改革の波は、日本の経済・社会の仕組みを大きく傷つけ、痛めつけてきた。 現在の雇用危機の背景に、雇用分野における規制緩和があることは明らかだろう。1986年に施行された「労働者派遣法」は、不足人材の迅速調達や、特定のスキルをもった即戦力人材の確保、コスト削減効果を狙ったが、結局、コスト削減の面が前面に出てきて、1999年の同法改正では、派遣が原則自由化された。さらに2003年改正では、製造業にも拡大され、派遣は雇用の世界に無原則に広がっていった。その結果、非正規雇用が37.6 %(総務省2006年統計調査)、3 人に1 人にまで拡大されたのである。雇用分野での規制緩和、「官から民へ」の流れは、グッドウィルなど悪質な人材派遣会社の跳梁を許す結果となった。日雇い派遣や二重派遣の問題などが世間の注目を浴びたが、問題はこうした人材派遣を商売とする会社だけにあるのではない。雇う側の企業の「厚顔無知」も問われるべきである。社会保険を受け、安定した収入と職の安定による展望(予測)が生まれてこそ、人は働く意欲がわく。そうした生きた人間として労働者を見ないで、歯車の一つ、単なる穴埋め部品としか見ない。これは企業トップとして、思考の堕落ではないか。規制緩和の連鎖で労働法制の規制力が後退した結果、企業側に「何でもあり」の傲慢さが生まれ、「傲慢無知」(直言「四つの『無知』のこと」参照)の状況につながっているのではないだろうか。
なお、問題のフルキャスト社を含む「日本人材派遣協会」は、あわてて「派遣協会は自主ルールを決めました」という意見広告を出した(『読売新聞』6 月18日付など)。そこでは社会保険の運用の徹底とか、「日雇い派遣」への対応などが書かれていたが、内容はかなり甘いものだった。半年たった現時点でこの意見広告をみると、何とも虚しい言葉の羅列が目立つ。こうした人材派遣業の増殖をもたらした、雇用分野における過度な規制緩和そのものに問題があったといわざるを得ない。
職安は「公共に奉仕する」と法律で定められているが(職安法1 条)、人材派遣会社、職業紹介会社は営利企業であり、職業の紹介は営利目的である。「公共に奉仕」と営利目的との違いは大きい。とりわけ重要なのは、職安での職業紹介は、「求人及び求職の申込みを受け、求人者と求職者との間における雇用関係の成立をあっせんすること」とされていることである(同4 条1 項)。職安では、雇用関係の成立まで見届けるわけである。
先日、都内のハローワークに長く勤務する方から、近年の「官から民へ」の流れが職安の世界にどういう影響を与えているかについて話をうかがった。職安では請負派遣を許さないため、紹介した人がきちんと雇用契約を結んだかどうかまで確認していること、そこまで徹底してやるところに労働省職員としてのプライトをもっていることなどを聞いた。職業紹介をもうけの手段にして、二重派遣でもOKという人々とは違う、まさに「公共」の職業紹介の存在理由がここにある。
連日のニュースで、派遣労働者の悲惨な状況が報道されている。雇用問題を、メディアがここまでクローズアップしたのは初めてのことではないか。同情心をあおるアングルも似たりよったりで、今まできちんと報道していたのか、といいたくなる、白々しさすら感ずるほどである。ともあれ、世間の注目が集まることはよいことである。政治も動いた。麻生首相もこの問題では妙にはりきり、厚生労働大臣の動きも早い。だが、本質的な対策は進んでいない。非正規雇用者に対する権利保護を格段に高める必要があるとともに、少なくとも登録型派遣(「スポット派遣」)の禁止は不可欠だろう。無節操な規制緩和の流れを止めて、憲法27条の理念を具体化した適切な規制を加えていくことが求められる所以である。
その点で、最近出版された五十嵐仁『労働再規制』(ちくま新書)は参考になる。この本は、雇用分野における規制強化を打ち出す。雇用労働政策の策定においては、規制改革論者が強調する「多様性」よりも、「公正さ」と「安定」が重視されるべきだと説く。「公正な働き方」と「雇用の安定」である。そして、本書のタイトルの「再規制」の意味は、「昔に戻す」だけでは足りないという意味で重要である。米国型の改革を止めるだけでなく、EUなどとの比較の視点も加えた新たな道を提言している。私も著者の主張に基本的に賛成である。
なお、雇用・労働の分野での規制緩和を煽ったのは、規制改革会議の下に設置された「労働タスクフォース」である。「労働法制の抜本的見直しを」(2007年5 月)という提言を行い、「派遣切り」をもたらすような規制緩和の流れを援助・助長・促進してきた。本書で知ったことだが、その「労働タスクフォース」に憲法研究者のA 氏が参加していた。安易な規制緩和に踊った社会的責任はどうなのか。「憲法研究者の一分」も問われている。
さて、村上龍『13歳のハローワーク』という本がある。プラントハンター、フラワーアレンジメントなどの「多様な」職業を描きながら、この本で最後に来る「職業」は自衛隊である。これは何とも象徴的である。なお、その自衛隊もおかしなキャラまで使って募集に苦労している。少子・高学歴化に対応すべく、人事計画のなかに「レンタル移籍」のような考え方を入れたり、募集にハローワーク(職安)を利用することも考えている。いろいろと問題は重なっている。
昨年来、「食の安全」について関心が集まったが、いまだに課題は山積である。そしていま、非正規雇用の拡大のなかで、安定した職をどう確保していくか。いわば「職の安全」を語る必要が出てきたように思う。憲法27条に基礎を置いた国の介入(規制)の議論が、長期的視野から冷静に行われることが求められる所以である。
―付記―
冒頭の写真は週刊誌『シュピーゲル』の表紙である(Der Spiegel, Nr.51 vom 17.12.2007)。ドイツでも、最低賃金と超高収入の間で「巨大な溝」が生まれている。平均所得は横ばいなのに、上位層では31%も増加、下位層では13%も低下している。豊かな人々はどこまでも豊かに、貧しい人々はどこまでも貧しく、という「格差社会」の典型的兆候が出ている。この傾向は2000年からはじまり、2003年から劇的に変化した。パート労働などの不正規雇用がこの15年間で急増するなど、ドイツでも雇用関係は激変している。