十年一昔というが、月日の流れは早い。ちょうど10年前、ドイツのバートゴーデスベルク(ボン)で在外研究を開始し、「ドイツからの直言」第1 号を発信した。タイトルは「きな臭い見送りと出迎えと」。日本海における「不審船」に対して、海上警備行動(自衛隊法82条)が初めて発令された日、私は成田空港からドイツに向けて飛び立っていた。そして、ケルン・ボン空港に着いたとき、売店に置かれていた"Express "という夕刊紙の大見出しは「ヨーロッパの戦争」だった。旧ユーゴスラヴィア爆撃に向かうドイツ空軍機の写真を一面トップで使っていた。あれから10年がたった。NATO創立50周年を目前にしたユーゴ空爆。その10周年(NATOの60周年も)は次回語ることにして、今回は民主党代表小沢一郎氏の「十年一昔」について書くことにしよう。
10年前、私のドイツ生活が始めたとき、日本は自・自連立の小渕恵三内閣だった。自由党の党首は小沢一郎氏。この人は、そのまた10年前の1989年8月に自民党幹事長となり、湾岸危機から湾岸戦争への時期、海部内閣を仕切った。その後、宮澤内閣不信任案に賛成して、自民党単独政権を壊した小沢氏は、細川連立政権を成立させて自民党を野党に追いやるや、今度は、その強引な政権運営で社会党を連立から離脱させ、自社さ政権(村山内閣)をつくるきっかけをつくった。再び野党になると、新生党→新進党→自由党と、新たな政党をつくっては党首(新生党では代表幹事)となり、1999年には自民党との連立政権を樹立したのである。この時、官房長官だった野中広務氏は、「悪魔と手を組んだ」と後に語っている。
自・自連立政権で小沢氏は、PKO 協力法改正をリードした。小沢氏は、「多国籍軍的形態であっても、国際社会の秩序維持行為と見なされると解釈すれば、湾岸戦争や朝鮮動乱のような場合でも日本は参加できる」として、「私は国際社会でいいという行動は、宇宙の果てまでともにする。…要請がある限りは、地獄までも行く」と豪語していた。私はこれを直言「小沢一郎氏のヤクザ的憲法論」で批判した。そして、渡独直前、小沢一郎批判を巻頭に置いた書物、『この国は「国連の戦争」に参加するのか』(高文研)を出版して、小沢氏の議論の危うさを訴えた。その後、小沢氏は再び自民党と袂を分かち、野党第一党の代表となってからも、安全保障問題に関して、党内合意を経ない発言を断続的に行っている。唐突に出てきたアフガニスタン国際治安支援部隊(ISAF)への自衛隊参加をめぐる発言(『世界』2007年11月号)については、「小沢一郎的憲法論に要注意」で論じた。
この20年間の日本政治は、小沢一郎氏の存在、その顔と思想と行動を抜きにしては語れない。とりわけ、私たち市民からは見えない、権力内部の複雑な対立構造のなかで、小沢氏の存在は一種独特の「凄味」を帯びている。それは、与党対野党、あるいは政党間の対立を超えて、自民党内部にまで及ぶ、権力内の複雑な力関係が絡んでくる。だから、小沢氏の発言の一つひとつに、与党内部からも複雑な反応が出てくる。
先月、来日したヒラリー・クリントン米国務長官との会談前日に、小沢氏は米国のアフガン戦略を批判し、米軍のアフガン増派に反対した(『朝日新聞』2009年2月17日付)。クリントンの帰国後すぐに、「第7 艦隊で米国の極東におけるプレゼンスは十分だ」という発言をこれまた唐突に行った(『朝日新聞』2 月26日付)。この発言の真意と狙いは何だったのか。私自身は「第7 艦隊もいらない」というスタンスだが、米政府の立場からすれば、米空軍の三沢、横田、嘉手納の広大な基地、海兵隊の沖縄や岩国の基地は不要というメッセージに受け取られ得る発言だった。もっとも、そこでのポイントは、「日本がもっと責任を果たす」ところにあるようである。その意味では、小沢氏は自民党以上に、自衛隊の海外展開(プレゼンス)に積極的であり、かつ日本の「軍事的自立」を示唆しながら、対米ポジションをあげていくという狙いがみえる。こうしたもろもろの点から、「小沢首相」誕生に対して、米国が危惧の念を抱いたとしても不思議ではない。
安全保障面で自民党の「先を行く」小沢氏だが、国内的には、伝統的利害誘導政治の面では最も自民党的であり、端的にいえば、「田中的なるもの」(越山会)の忠実なる継承者といえる。この点については、かねてよりジャーナリストの横田一氏の仕事(久慈力との共著『政治が歪める公共事業――小沢一郎ゼネコン政治の構造』緑風出版)などが明らかにしてきた通りである。検察は、この「小沢的なるもの」(陸山会)を、準ゼネコン大手・西松建設の政治献金事案に絡めて突いてきたわけである。
3月3日、東京地検特捜部は、政治資金規正法違反(12条1項、25条3号。政治資金収支報告書の虚偽記載)容疑で、小沢氏の公設第一秘書を逮捕した。衆議院で3分の2再可決(憲法59条2項)が行われ、第二次補正予算関連法が成立するその前日であり、このタイミングを含め、「絶妙の」政治的効果を発揮した。それは、検察の中立性を損なう危うさもはらんでいた。
小沢氏は、秘書逮捕直後の記者会見で、この捜査は「政治的、法律的に不公正な国家権力の行使だ」(3月4日付各紙夕刊)と激しく反発した。ジャーナリズムのなかにも、「国策捜査」という批判が出てきた。総選挙を前にしたこの時期に、野党第一党の党首に照準を合わせた強制捜査は、確かに尋常ではない。前述したような事情もあって、さまざまな憶測や「陰謀論」が出てくるのも理解できないではない。しかし、検察の捜査が、客観的にみても公正さに疑問を抱かせる程度にまで達しているかどうかは、なお慎重にみていく必要がある。
検察は公訴権を独占する強力な権力装置である。具体的事件について、法務大臣が指揮権を発動できるのは、検事総長を通じてのみである(検察庁法14条)。これも検察官の独立性のあらわれといえる。検察が政治の道具と化して、強大な権力を行使する事態は、民主主義にとって危機的である。それは決してあってはならない。今回のケースがそのような「不公正な国家権力の行使」にあたるのかどうか。「政治的」な効果についてはひとまずおくとしても、少なくとも「法律的」には、検察捜査が「不公正な国家権力の行使」にあたるとはいえないだろう。検察は証拠に基づいて強制捜査に着手したわけで、公判維持ができる程度の証拠は確保していなければ動かない。もっとも、検察の側に読み違いがなかったかどうかはわからない。前述した権力内部の複雑な力関係のなかで、この件について検察はこれまで動いてこなかったわけで、なぜこの時期なのかを含めて、捜査に関する評価にはなお時間が必要だろう。
この点、元検事の郷原信郎氏の「『ガダルカナル』化する特捜捜査―― 『大本営発表』に惑わされてはならない」(日経オンライン)は、検察部内の事情を踏まえた、実に興味深い論稿である。郷原氏によると、検察官の定期異動を控えた3 月は、応援検事派遣が困難になる時期でもあり、そうしたタイミングで特捜部が強制捜査に着手したことに、判断の甘さがあったようである。特に、検察が政治的影響を過少評価していた節がある。その後、「バランス」をとるため、自民党関係者に事情聴取などを行ったのは、「兵力の逐次投入」をやって失敗した「ガダルカナル作戦」と相似しているという。 東京地検特捜部は実にさまざまに形容されてきた。郷原氏は上記のようにガダルカナル作戦の大本営に例えた。暴走したら誰も止められず、また誰も責任をとらないという点で、「現代の関東軍」(大鹿靖明『ヒルズ目次録・最終章』朝日新書)という指摘もある。いずれにしても、「政治検察」「検察ファッショ」という言葉が語られるようになるときは、いい時代ではない。とりわけメディアは、検察に対する過大評価も過少評価もすることなく、法と証拠に基づく検察の適切な職務執行を監視していく必要があろう。
支持率10%台になっていた麻生内閣は、3月3日の雛祭り(小沢秘書逮捕)を境に、息を吹き返した。政治は一寸先は闇といわれる通り、麻生内閣をめぐる状況は一変した。翌4日、予算関連法案の3分の2再可決(憲法59条2項)では、小泉純一郎元首相が欠席戦術で挑発したが、「小泉チルドレン」が1 人同調する行動をとっただけで、不発に終わった。
翌5日には、青森県の西目屋村が全国で最も早く給付金の支給を行い、メディアの注目を浴びた。正午支給(昼休み!)のため、約30人の村民が朝9 時から役場に並んだ。それを上回る報道陣が殺到。民放2 社は、昼のワイドショー(「ピンポン!」と「ワイドスクランブル」)の時間帯で、給付金支給を生中継した。全国で一番に給付金を受け取った女性(78歳)は、「とてもうれしい。うちに帰ったら仏壇にあげたい」と手を合わせた。1万円札を掲げる女性のカラー写真が、『朝日新聞』3月5日付夕刊にも掲載された。「西目屋効果」で、全国の自治体には、「うちはいつ支給されるのか」という問い合わせが相次いだという。ほんの数週間前まで、メディアは定額給付金に否定的なトーンだったのに、5日を境に一変した。始まるまでは批判するが、始まってしまえば「最初に起こること」を速報しようと競う。メディアにはこのような病理と生理があることを心しておきたい。また、西目屋村は、策士といわれる大島理森自民党国会対策委員長の地元だけに、そこにメディア操作がなかったかどうか。断定はしないでおこう。
最後に一言。私は、小沢氏の目指す「日本改造」について、単にその手法の強腕性だけでなく、その方向と内容それ自体に疑問を感じてきた。民主党が、今回のことを契機に、政治とカネの問題を含めて、「小沢的なるもの」といかに距離をとっていくか。同時に、自民党以上に対米追随路線の「前原的なるもの」とも距離をとって、「構造改革の荒野」からの「復興」のために尽力する政党になれるかどうか。総選挙を目前にして、この党の見識が問われている。 次回は、「『家の前の戦争』から10年――NATO60周年」を掲載する。
付記:本稿は2009年3月23日に執筆したものである。