新型インフルエンザの国内感染が確認された。冷静な対応が求められる。永田町も衆院解散に向けて動きだした。ただ、直言では、このところ重いテーマが続いたので、気分を変えて「雑談」シリーズをお送りする。今回は7カ月ぶりの「音楽よもやま話」。前回は「『おくりびと』と『交響曲0番』」だった。2月23日に第81回米アカデミー賞を受賞する4カ月ほど前に、「これは行きそうだぞ」と予感しながら書いた直言だった。
その直言で「おくりびと」に続けて書いたのが、ポーランドの指揮者スタニスラフ・スクロヴァチェフスキーのブルックナー交響曲第0番ニ短調だった。この指揮者は6年前に初めて聴いて以来、「はまった」。今年に入ってすでに2 回、この指揮者の演奏会に通っている。ブルックナー交響曲第1番ハ短調(2009年3月8 日)、ベートーヴェン「荘厳ミサ」ニ長調(3月16日)。ブルックナー交響曲第9番ニ短調と第8番ハ短調の演奏会(9月と2010年3月)に行く予定も組んでいる。ハードな日程のなかで、仕事と「非日常」との間を、軽業師的に往復することが求められる。いまから緊張しつつ、楽しみにしている。
思えば、無理をおしてでも、「これだ」と決めた演奏会には絶対行く。これも父の影響かもしれない。子どもの頃から、父の頑固さには家族もだいぶ手を焼いた。その父が59歳で急逝してから、来月25日で20年になる。父が亡くなった年齢まで、あと3年となった。
わが家にはかつて、祖父から譲り受けたものも含め、膨大なSPレコードがあった。例えば、ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調。フェリックス・ワインガルトナー指揮ウィーンフィルの演奏。父は「第4楽章のバリトン独唱はこれ以上のものはない」と絶賛だった。バリトンはリヒャルト・マイール。黒の分厚いケースに10枚近く入っていて、ずっしり重い。中学生の頃、これをレコードボックスから取り出して、一枚一枚ひっくり返して聴いたのを覚えている(ブログでこの曲を紹介している人がいた)。78回転だから1楽章の途中でもひっくり返し、またひっくり返し、2枚目をターンテーブルに載せる。だんだん疲れてくる。さすがに1楽章から全部聴き通したのは、一度だけだった。このSPレコードがCDになっているのを見つけた。手に載せてみると、CD1枚とプラスチックのケースだから、もちろん軽い。思わず、中学生の時に抱えたあの黒いケースを思い出していた。
マーラーの交響曲第9番ニ長調(ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィル)は、さすがに第4楽章アダージョのpppp(ピアニシシシモ)が、シャーッというSPレコード特有の雑音のためよく聴きとれず、一度も聴き通すことはなかった。父は、「想像力を働かせるから楽しいのだ」といったが、私にはあまり向かなかった。父は、私が札幌の大学に就職した年、私の了解を得ずに、SPレコードをボックスごと処分してしまった。確かに場所をとるが、私には思い出のレコードだった。即断即決、ややフライングぎみの父だった。30年以上昔、二人で通った上野の東京文化会館。無口な父と感想を語り合うこともなく、帰りは無言で山手線の吊り革を握っていた風景が目に浮かぶ。いまも、その父が残したレコードとカセット(私が北海道でFM録音を続けたものを含む)を仕事場で聴いている。
人生のなかで、往年の指揮者たちの一瞬の輝きを耳と目に焼きつける体験は、私の貴重な財産である。カール・ベームの歴史的名演奏については、後に紹介する。朝比奈隆、レナード・バーンスタイン、ギュンター・ヴァント、エフゲニー・ムラヴィンスキー、ロヴロ・フォン・マタチッチ、セルジウ・チェリビダッケ、オイゲン・ヨッフム、ゲオルク・ショルティ、イーゴリ・マルケヴィッチ、ベルンハルト・ハイティンク、ジュゼッペ・シノーボリ、オトマール・スイトナー、ラファエル・クーベリック、エリアフ・インバル、ロリン・マゼール、ジョルジュ・プレートル、ネヴィル・マリナー、クルト・マズア、クラウディオ・アバト、ヴォルフガング・ザヴァリッシュ、ヘルベルト・ブロムシュテット、サイモン・ラトル……。すでに亡くなった人も多いが、その指揮ぶりと演奏は、私の記憶のなかにはっきり残っている。
2度のドイツ滞在中、とりわけ1991年ベルリン滞在時は、週2回はコンサートに行った。歩いて数分のところに、旧シャウシュピールハウスがあったからである。ドイツのオーケストラはほとんど聴いた。当日券で800円のときもあった。18年前の手帳をみると、後述するベルリンフィルのコンサートチケットは38マルク(当時1 マルク88円)だった。当時ベルリンに5つあったオーケストラはもちろん、ドイツ各地を旅するときは、ご当地オーケストラも聴いた(大学オケを含む)。私の趣味では、ベルリンフィルの完全無欠な演奏よりも、旧東独のベルリン・シュターツカペレの方が音のふくらみと温かみが好きだった。とはいえ、ベルリンフィルのすごい演奏に立ち会ったこともある。
マーラー交響曲第6番イ短調「悲劇的」。1991年5月19日(日)20時。場所は旧東ベルリンのシャウシュピールハウス(現在のコンツェルトハウス)。クラウス・テンシュテット指揮のベルリンフィル。このコンサートのことは、一度書いたことがあるが、いつ思い出しても鳥肌がたつ。第1楽章 アレグロ・エネルジーコ、マ・ノン・トロッポ。「ザッ、ザッ、ザッ、ザッ…」という激しい導入動機。なぜか涙があふれてきた。その後、18年間、生演奏やCD、FMでこの曲を何度か聴いてきたが、この時のような感動はない。テンシュテットは事情でドイツを去り、ロンドンフィルの音楽監督となるも、咽頭癌を発病し、現役を退く。放射線治療に専念するなか、古巣に帰ってきて、ベルリンフィルを指揮した、あれが最初の夜だった。その「第一音」に、指揮者としての全人生をかけたに違いない。その瞬間に立ち会え、思い出すたびにゾクゾクする。
同じベルリンフィルでも、一度も行かず、行くつもりもなかったのが、ヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏会だった。特別に高額なチケット。それを買うなら、レコードにまわす。カラヤンにはまったく関心が向かなかった。近年、ベルリンフィルのティンパニー奏者の本を読んで、さらに納得した。
他方、一生の後悔は、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団に行かなかったこと。大阪万博(1970年)の一環として来日し、その年5月に東京でコンサートが開かれたとき、父が「行くか」というので心が動いたが、万博関連でチケット入手が困難だったこともあり、「またにしよう」ということになった。しかし、セルは日本から帰国してまもなく、急逝する。早朝からでも並んでチケットを入手すればよかったと、何度も後悔した。39年も昔、高校生のときの苦い思い出である。
というように、これまでのコンサートの記憶をたどるとキリがない。今日は午後から、私が会長をしている早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団の第60回定期演奏会に行く。入口で会長として、お客さまをお出迎えする仕事もある。
会長になって4年が経過した。演奏をDVD 化したベートーヴェン「第9番」の定期演奏会もある。年2回の定期演奏会と、毎年3月に行われる卒業演奏会には万難をはいして参加している。毎回、学生オーケストラらしい、熱のこもった演奏になるのがうれしい。
今回の定期演奏会のメインは、ブラームス交響曲第1番ハ短調である。この曲についてもいろいろと書きたいことがあるが、当日会場で配るパンフレットの巻頭挨拶を下記に転載して、演奏会の雰囲気を読者の皆様にも感じていただきたいと思う。
ご 挨 拶
会長 水島朝穂(法学学術院教授)
http://www.asaho.com/
本日はお忙しいなか、早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団第60回定期演奏会にお越しいただき、誠にありがとうございました。
早稲フィルは今回、創立30周年、60回目の定期演奏会を迎えることができました。これも一重に皆さま方のご支援、ご協力の賜物です。この機会に厚くお礼申し上げます。
早稲フィルは学生オケとして、毎年のようにメンバーが出入りします。また、大学公認「学生の会」ですが、インターカレッジ的性格をもち、他大学の学生も少なからず参加しています。そんな早稲フィルですが、校歌にある「仰ぐは同じき理想の光」のもと、団員一同、心を一つにして演奏する姿を堪能ください。なお、早稲フィルの特徴については、私のホームページのバックナンバー(2005年3月21日付)をご参照ください。
さて、今回のプログラムは60回目にふさわしく、ブラームスの交響曲第1番ハ短調をメインに持ってきました。一昨年の5月定期公演では交響曲第2番ニ長調を演奏しました。その時の挨拶でも書きましたが、私の忘れられない「ブラームス体験」があります。それは大学3年の時、1975年3月17日(月)、NHK ホールで聴いたカール・ベーム指揮ウィーンフィルによる第1番です。24年前の薄汚れた手帳を見ると、2月1日(土)の朝、日比谷でチケットを買ったとあります。ハガキを出し、抽選で当たった人だけが購入できる。NHK には16万枚の葉書が殺到したといいます。
NHKホール2階R の最前列で、ベームに全神経を集中しました。テンポが実に安定していて、旋律をたっぷりと歌わせる。弦の柔らかく味わい深い広がり。木管の絡み具合も絶妙でした。ティンパニーの引き締まった打法も特筆すべきです。第2楽章のヴァイオリンソロは、名コンサートマスターのゲルハルト・ヘッツェル(故人)。今まで聴いたなかで一番美しかったです。第4楽章は壮大なホルンソロと重厚な弦の響き。レコードや他の録音ではゆっくり目だったのに、この演奏でベームはテンポを比較的速くとりました。そして堂々たるコーダが終わると、聴衆のほとんどが「ブラボー」と叫んでいました。滅多に叫ばない私も加わっていたようですが、自分の声が聞こえない。拍手は延々30分以上続きました。ベームのブラームス演奏はたくさんあったのに、後にベーム死去の際、夫人はインタビューにこたえて、「日本での、あの日のコンサートが、主人の演奏のなかで一番でした」と語りました。私が聴いたのは、その歴史的一回性の演奏だったのです。「NHKホール75年永遠の名演」としてグラモフォンからCD(F35G 20016)発売もされており、21歳の私の「ブラボー」(もちろん識別不能ですが)も入っています(笑)。
というわけで、これから早稲フィルがどんなブラームスの1番を演奏するか。皆さま、最後までごゆっくりご鑑賞ください。本日はどうもありがとうございました。
(『早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団第60回定期演奏会』パンフレット[2009年5月17日] より転載)