防災放送で「人権相談」 2009年9月28日

の自宅がある東京近郊の市では、平日昼2時過ぎになると、「子どもたちが下校する時間です。皆さまの見守りで、子どもの安全を守りましょう」と、防災無線の放送塔から大きな音でアナウンス流れる。スピーカーの方向に私の書斎があるので、原稿書きの途中でいつも筆が止まる。この「見守り」よびかけは、日常の風景になってきた。そしてこれは、地方の山村にまで広がっているようである。

仕事場のある八ヶ岳南麓では、毎日朝6時30分、11時30分、17時30分に「ピンポーン」と3回なる。時報のつもりだろうが、何故この時間なのだろう。昼休みまであと30分ですよ、という予鈴のつもりだろうか。

夕方5時には、大音響で「家路」のメロディーが流れる。「日が暮れますよ。よい子はおうちに帰りましょう」と呼びかけることが主目的ではない。このシステムが正常に機能しているかどうかを確認するためのものである。これがけっこううるさい。小学校から高校まで、授業時間の始まりと終わり(予鈴を含む)をチャイムが刻む。これがけっこう細かい。いつの間にかそれが、地域の生活のなかにも広がってきたようである。「地域社会の学校化」といえるだろう。人々は、聞きたくない音でも反復継続して、執拗に聞かされる。一種の「囚われの聴衆」(captive audience)に近い状態なのではないか。

ある土曜日の朝。八ヶ岳南麓の仕事場で深夜まで原稿書きをして、少し寝坊しようとしていた頭に、いきなり大音響で「防災放送」が飛び込んできた。何事かと思って耳を傾ける。「こちらは防災○○です。○○○消防支署よりお知らせします。本日、午後1時より4時まで、○○○支署に、特設人権相談所が開設されます。人権問題でお困りの方はお気軽にお越しください。なお、本人の秘密は固く守られます。繰り返してお知らせします。本日、午後…」という具合に、1地域2回放送され、終わると別の地域での放送が遠くの方で聞こえる。職業柄、大音響の放送のなかで、「人権」というフレーズだけが妙に頭に残った。「人権問題でお困りの方」とはどういう人か。ここでの「人権」相談は、(公権力と個人との間ではない)一般私人同士の「人間関係」も含むようである。行政が朝からガンガン放送を無理やり聞かせることの方が、公権力による真正の人権侵害ではないのか、と皮肉の一つもいってやりたくなった。

日曜日の朝6時。「有害鳥獣の駆除を行いますので、山には入らないでください」という大音響の放送が流れた。自治体の依頼を受けた猟友会が、「有害鳥獣」(山から下りてきた鹿や猪)を射殺するのである。大規模な駆除をやる時は、前日夕方、「明日、日の出から日の入りまで、銃器と罠による有害鳥獣の駆除が行われます。山林等に入るときは十分注意してください」という放送が流れる。8月23日に千葉県君津市で、「有害鳥獣駆除」のハンターにより、猿と間違えられて72歳の男性が撃たれ、死亡している(『読売新聞』8月24日付)。こんなこともあり、撃たれたくないから、こういう放送も受忍限度内かと思う。しかし、さまざまな生活スタイルの人がいるのだから、日曜の早朝からの放送は必要最小限にすべきだろう。

驚いたのは、「お悔やみ放送」である。さすがに早朝や午前中はないが、午後4時頃に流れることが多い。若い女性職員の間延びした声で、「○○町におすまいの○○○○さんがぁ、94歳でお亡くなりになりましたぁ。謹んでお悔やみ申し上げま~す。なお、告別式はぁ、町内の○○寺で○日午後1時から行われま~す。繰り返してお伝えしま~す…」と、もう一度流す。親しい人や古くからの住民だったら、町内会や寄り合いから知らせがいくだろう。故人を知らない、不特定多数の人々に向かって、大音響の放送を使って知らせる必要性がどこにあるのだろうか。

仰天したのは「婚活放送」。「本日、午後1時から3時まで、○○支署で結婚相談所が開設されます。ご相談の必要のある方は、その時間内にお出でください」。これを耳にしたときは、椅子からずり落ちそうになった。住人の多くが中高年である。再婚希望者も潜在的にはいるかもしれないが、それは大音響の放送で気づかされるような問題ではないのではないか。もし、「婚期を逸した子ども」をもつ親も対象だとすれば、これはかなりお節介かな、とも思う。

たまたま北杜市の役場支所に行ったとき、担当者に聞いてみたことがある。国民保護法制との関連で設置したシステムの乱用ではないか、と。職員は、「住民サービス」の一環としてやっていますというだけで、要領を得なかった。この地域の「住人」にとって、静かな環境の維持は重要な価値であろう。だが、近年、この国は、北から南、都会から山間部に至るまで、少しやかましくなってきたように思う。

全国瞬時警報システム(J-Alert) と防災無線を連動させる仕組みは、国民保護法制の関係もあり、山間部の市町村にも普及している。2008年4月、山梨県でも「地震速報や弾道ミサイル情報などを広く伝える」目的で整備が進んだ。「国民保護」の胡散臭さは、何よりも、「武力攻撃災害」(国民保護法2条4項、同97条)なる概念を創作して、自然災害法制の軍事化をはかった点にある某国の「ミサイル」の脅威を過大・過剰に煽って、レイセオン社(パトリオットミサイルの製造元)の市場開拓に貢献してきた。「PAC3全国配備へ」と1 面トップで伝えた『産経新聞』8月16日付は、「国民保護へ意思鮮明」というサブ見出しを付けたが、そもそも「PAC3で国民保護」というのからして、まったく怪しい。その「国民保護」法制に基づき、住民に緊急に情報を伝えるシステムが広まってきたわけである。それにより、このシステムに便乗した行政広報なども、日常的に行われるようになった。

そんな矢先、システムの欠陥が明らかとなった。肝心の時に作動しなかったのである。

8月11日(火)朝5時7分。駿河湾を震源とする地震が起き、静岡県で震度6を観測した。静岡市内で、自室の1000冊の本が崩れて43歳の女性会社員が窒息死した(『朝日新聞』8月12日付)。東名高速道路の路肩が崩落し、5時間も通行止めになるなど、大きな被害がでた。

仕事場がある山梨県北部地域では震度4を記録した。かなり激しい揺れだったが、この時、「緊急地震速報」を防災行政無線で住民に知らせるシステムが作動しなかった。

気象庁発表によると、最初にこの地震を探知したのが5 時7分11秒。緊急地震速報の第1 報が出たのが3.8秒後の5時7分14.9秒だった。『山梨日日新聞』8月12日付によると、甲府市などで、このシステムが今回初めて作動したが、229の防災無線放送塔のうち、何と195で音声が流れなかった。回線の不具合などが原因とみられている。山梨市と甲斐中央市では、揺れがきた後に、「強い揺れに警戒してください」という放送が流れたという。他の市町村では、自動放送の設定震度に達しなかったり、そもそも自動放送の設定をしていないなど、対応はバラバラだった。

当日、私は大きな揺れで飛び起きたが、日頃「人権相談」やら「お悔やみ放送」やらを大音響で流しているわが放送塔からは、地震の前はもちろんのこと、その後も、何のアナウンスも流れなかった。

近隣の長野県でも同様だった。『信濃毎日新聞』8月13日付によると、長野県駒ヶ根市と下伊那郡の二つの町で、揺れている最中に放送が流れただけだった。「県南部は予測震度4程度」という速報を受信しながら、防災行政無線を自動起動させる基準を「予測震度5以上」に設定していたためである。

一般に速報を各市町村が受信するのに1~2秒かかり、受信から防災行政無線の自動起動や放送まで5~23秒かかるという。消防庁国民保護運用室は、「速報は震源から近い場所には間に合わないなど限界があり、防災行政無線の機器が古いと起動時間が遅い」といい、「揺れている途中でも、地震と分かることは一定の意味がある」というのだが。「一定の意味」とはなんぞや。

人は便利な道具を手に入れると、いつでも、何にでも使いたくなる。緊急の場合、域内すべてに放送が行き届くシステムを持っていると、滅多に起きない災害事態に備えるだけでなく、ゴミの出し方など、日常の一般的な情報提供にも活用できる。実際そうなっている。また、夕方5時に「家路」を流すのは、防災システムの日々の点検目的のはずだったのだが、それに便乗して放送内容が明らかに拡大されている。選挙管理委員会の投票呼びかけも、かつては広報宣伝車や気球などを使っていたが、現在ではすべてこの防災システムを利用している。考えてみれば、緊急システムで投票を呼びかけというのは変な話である。行政情報の伝達に使う場合、「時」や「内容」についても配慮が求められる。農家が多い地域は朝も早い。だが、いろいろな生活スタイルの住人がいることも考慮して、早朝の放送は緊急性の高い、真にやむを得ないものに限定すべきである。

より本質的には、地域社会の「学校化」、つまり管理社会化が隅々まで行き渡り、「安全・安心」という大義名分のもと、気づかないうちに「自由の縮小」が生じていないか。これはけっこう深刻な問題である

ふとジョージ・オーウェル『1984年』(ハヤカワ文庫)の世界を思い出した。大音響のスピーカー。どこにいても、党(ビッグ・ブラザー〔偉大なる兄弟〕)が通行人にまで注意する。監視の眼は家のなかにまで…。ここまでいかなくても、すでに英国では「ベンチに空き缶を置いていってはいけません」という形で、突然監視カメラが警告を発する。「話す監視カメラ」(‘Talking’ CCTV)といわれ、2年前にロンドンの20地区の設置から始まった(BBC NEWS 2007/04/04)。無音の監視から、あえて「音」で威嚇・警告するタイプが増えてきたように思う。地球の上は、どこも騒々しくなってきた。

「防災放送」「緊急放送」ということで始まり、やがて学校の校内放送のように運用され、いずれ住民・住人に対して、あれこれ指図する方向に進まないよう、放送内容の基準を明確にさせる必要があろう。今度、直接、役場に提案してみるつもりである。

《付記》本稿は、8月11日の地震直後、八ヶ岳南麓の仕事場で書いたものである。その後、全国的に緊急地震速報の不備が問題とされるようになったが、本稿では触れられなかった。

(2009年8月14日稿)

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