今 回は無人機「プレデター」(捕食者)の話である。『毎日新聞』ワシントン特派員・大治朋子記者の仕事は以前から注目してきた。特にクラスター弾禁止条約の報道では、『毎日新聞』は群を抜いていたが、その推進力が大治記者だった。最近では、 4月30日から5月4日までの5回連載「テロとの戦いと米国・第4部『オバマの無人機戦争』」 は秀逸だった。初回の4月30日付は、1面トップ記事から3面解説、外報面での米軍関係者(複数)へのインタビューまで、すべて大治記者の単独署名記事である。
私は、米空軍が「プレデター」を使って、米本土から遠隔操作でアフガンやイラクで民間人を殺害してきた事実は知っていたが、連載冒頭の文章には衝撃を受けた。 「米国本土の基地から衛星通信を使い、1万キロ以上離れた戦地で無人航空機を飛ばす。兵士は自宅で家族と朝を迎え、基地に出勤。モニター画面に映る『戦場』で戦い、再び家族の待つ家に帰る」。「午前中3時間はアフガンで飛ばし、1時間休憩する。午後の3時間はイラクで飛ばす。米国にいながら、毎日2つの戦場で戦争をしていた」。米西部ネバタ州ネリス基地で無人機パイロットをしていた空軍大佐の言葉である。
この何とも日常的風景は不気味である。ここまで戦争がビジネスのように行われるようになってきたのか。しかも、戦争をしているというよりも、 目標として決めた個人を暗殺する手段として使われている。きっかけは「9.11」である。 ブッシュ前政権は無人機で「テロリスト」を暗殺する「ターゲット・キリング(標的殺害)」を始めた。その法的根拠は、「9.11」直後に議会が大統領に対して、必要な軍事力の使用を認めた「武力行使容認決議」である。 オバマ大統領はその対象や地域を拡大してきたが、1万キロ以上離れたところからの遠隔操縦である以上、「誤爆」も相次いでいる。「距離と対象の非人間化」により、人を殺すことへの罪悪感はゼロに限りなく近づく。 オバマ大統領も「米兵の死なない」無人機への依存を高めているとされ、当該諸国では米国への恨みはさらに強く、深くなっている。大治記者がインタビューした元・米陸軍士官学校教授は、無人機による「標的殺害」は、文民と戦闘員との区別を求める規定(ジュネーヴ条約第一議定書48条・区別原則)や、過剰な民間人被害を禁ずる規定(同51条・比例原則)に違反する疑いがあると指摘している(4月30日付外報面)。
ここで注目する必要があるのは、民間軍事会社(PMCあるいはPMSCs)が深くかかわっていることだろう。無人機のための情報収集は民間の社員が担当している。 「低コストのうえ、問題が起きた時も、政府の説明責任から切り離されるからだ」という(5月1日付連載第2回)。 また、無人機操縦者の7人に1人は民間会社の社員という(5月2日付連載第3回)。 交戦規則(ROE)で民間人の戦闘行為は禁じられているため、ミサイルボタンを押す瞬間は「兵士と交代する」というのだが、本当のところはわからない。
無人偵察機を設計した会社の技術担当者は、若い世代がなじみやすいようにコントローラーをテレビゲームに似たデザインに変更したという。 「兵士の9割は戦争モノのゲーム経験者。手元を見なくても指先が動く。習得が早いよ」(5月3日付連載第4回)と。 空軍が作成した長期計画書によると、「2012年をめどに、1人で同時に4機の操縦を目指す。 人件費の56%の削減が可能」という。民間会社が入って人減らしとコスト削減をはかる。戦争における「民営化」の方向を突き詰めていくと、最終的には、無人機を操縦するロボットの開発が課題となってくるという。
とはいえ、ロボット開発は将来の話で、当面は無人機の操縦士不足が深刻である。2003年~06年に起きた「事故」(民間人殺害を含む)の約7割は人為的ミスで、未熟な技術や経験不足による誤判断が原因という。有人機の訓練を受けずに「無人機パイロット」になる人が70人もいたという(5月4日連載第5回)。これは恐ろしいことである。人を殺すことにリアリティがまったくない。バーチャルな戦場で人を殺す無人機パイロットこそ、戦争の非人間性の極致ではないか。
海外での戦争を繰り返してきた米国は、海外駐留軍兵士の士気の低下に悩まされてきた。オバマ大統領が米兵の戦死者を減らすため、無人機の拡大に走った背景には、「帝国」米国が抱える本質的な問題が横たわっている。それは人間や組織の頽廃にまで及ぶ( 映画「戦争のはじめかた」 )。そして、ビジネスライクに、民間会社の勤め人感覚で戦争をやるところまできたのだろうか。
戦闘において最もベーシックな銃剣突撃と白兵戦。 相手の体に銃剣が送り込む感触が手にこびりつく 。 苦悶の表情を間近で見ることになるし、断末魔の叫び声は耳にこびりつき、 返り血も浴びる 。 人間の命を奪うということは大変なことなのである 。 戦争映画や戦争ゲームなどは残虐さを希釈ないし抑制することで 、「殺人の非人間化」を生み出す。これはおそろしいことである。かつては、1 万メートルの超高空から爆撃することで、 罪の感情を希釈させたカーチス・ルメイ将軍 。 その戦略爆撃の方法でどれだけの民間人が死亡したかわからない
戦争の「民営化」の行き着く先は、目的と手段の逆転である。PMSCsの最も恐ろしい本音は、戦争がなくなることである。戦争があるから軍隊やPMSCsがあるのではない。軍隊やPMSCsのために、戦争や危機がつくられていく。この本末転倒をなくすには、全面的な武器取引の禁止とPMSCsの法的規制しかない。 だが、世界の武器輸出の67%は安保理常任理事国5大国によって占められている(特に米国30%とロシア23%) [SIPRI2009年報告書参照] 。これでは、武器商人と警察官が同一人物のようなものである。この状態を突破するためにも、日本は武器輸出三原則等を堅持し続ける必要があるのである。