先 週の火曜日(5月18日)、憲法改正手続法(国民投票法)が施行された。 私は一貫して、この欠陥法律を施行してはならないと言ってきた 。 ちょうど1年前にそのことを強調する「直言」も出した (「あの法律の施行日が近づいているけれど」) 。 ラジオでも関連する社説や発言を紹介した 。 同じことを何度も繰り返すのは「美学」に反するのだが、大事なことなので、節目にはやはり繰り返し指摘しておかねばなるまい。といっても、目下、この問題で新たな原稿を書き下ろす時間がないので、 5月3日の憲法記念日に『山梨日日新聞』に書いた拙稿を転載することにしたい 。 そこでは、山梨県の読者に関心をもってもらうため、戦国時代の武将、武田信玄の分国法(「甲州法度之次第」)から説き起こした。タイトルにある 「信玄棒道」とは、信濃攻略のため、信玄が甲府と東北信濃を結ぶ最短距離の軍用道路として開発したものである 。 実際に歩いてみると、けっこう曲がっている。3本あって、現在残っているのは「上ノ棒道」だとも言われているが、諸説あるようである。
さて、憲法改正手続法施行の数日前、「国会審議の活性化のための国会法等の一部を改正する法律案」(小沢一郎君外6名)が衆議院に提出された。 その「理由」はこうである。「国会審議の活性化のため、政府特別補佐人から内閣法制局長官を除く等の必要がある。これが、この法律案を提出する理由である」と。改正のメインは、69条2項中の内閣法制局長官を削るというもので、あとは政務官の定数変更などの微修正にとどまる。一見シンプルな改正のようだが、これを、憲法改正手続法施行との関係で捉えなおすと、重要な意味をもってくるように思う。すでに 直言「なぜ法制局を排除するのか―歪んだ『政治主導』」 でも触れたので、ここでは法案との関係で少し述べるにとどめたい。
上記直言末尾の「重要付記」でも触れたように、今年1月の国会開会にあたり、内閣総理大臣は、衆参両院議長に対して、内閣法制局長官についてのみ、 政府特別補佐人の「申出」(国会用語)を行わなかった 。 そのことにより、法律改正を待たず、今国会における内閣法制局長官の「答弁禁止」が事実上実現した。だが、小沢氏にとって、それでは十分ではないようである。どんな総理大臣のもとでも法制局長官の国会答弁ができないようにするため、国会法を改正しておくという周到さである。
そもそも、内閣法制局長官の国会答弁を禁止することが、なぜ国会審議の活性化につながるのか、私にはさっぱりわからない。鳴り物入りで始まった「政治主導」や「官僚答弁禁止」も、今や、ほぼすべての分野で、大臣や政務官などが勝手なことをマスコミにしゃべってしまい、個々の政治家手動モードとなり、まったく統一がとれていない「政治手動」の様相を呈している。政策的一貫性を欠く迷走状態が生まれていることからすれば、「歪んだ政治家主導」の弊害の方がむしろ目立つのではないか。では、この段階になって、追い打ちをかけるように、内閣法制局長官の「答弁禁止法案」を提出する狙いは何か。
1月の直言では、国会法69条2項と71条がともに削除される想定で議論を展開した 。 69条2項の主語は「内閣は…」、71条のそれは「委員会は…」である。前者の場合、内閣が法制局長官の補佐を受けるという利益を自ら放棄するという筋だが、71条の場合は、委員会中心主義をとる日本の国会の場合、「国会の内閣に対するコントロールという観点から、大いに問題がある」と指摘した。ここにきて、71条まで改正するのは気がひけたのだろうか、 法案から71条が落ちた 。 もしも国会から内閣法制局長官を完全に排除したいならば、小沢氏の当初予定通り、71条も削るのが一貫している。なぜ、69条2項にとどめたのか。社民・国民新党の議員まで含めて過半数を並べるためには、71条を入れると批判が出ると踏んだに違いない。まさに、政治的タクティックスに長けた小沢氏らしい差配ではある。
実は、この法案にはもう一つ、小沢氏でなければできない仕掛けがある。それは、法案賛成者の数である。写真をご覧いただきたい。 提出者は小沢氏以下、連立与党の幹事長2人を含む7人である 。 通常、そこに賛成議員が名を連ねるが、多くて数十名である。ところが、この法案は、A4で6枚にわたり241人の名前が並んでいる。この数字は、衆院の定数480人の過半数にあたる。内閣法制局長官の国会答弁禁止だけの法案に、なぜ連立与党議員241人もの名前を並べる必要があったのか。これは一種の「踏み絵」ではないのか。 私はここに、小沢氏の強い「意志」を感じる 。 1990年、海部内閣時の自民党幹事長だった小沢氏は、湾岸に自衛隊を派遣することについて抑制的な憲法解釈を展開する法制局に対して、猛烈に反発した。法制局嫌いはその後も一貫していて、小沢氏が自由党党首のとき、「日本一新11法案」の一環として、「国民主導政治確立基本法案」を提出した。 そこには「内閣法制局設置法を廃止する法案」まで含まれていた 。
再び政権与党の幹事長となるや、この20年来の「懸案」を実現すべく動き出したわけである。なぜ、そこまで法制局長官の答弁を排除しようというのか。ここには、小沢氏の独特の憲法観が反映しているようにも思われる。
20代半ばの司法試験受験生だった小沢氏は、国連の集団安全保障に特別の思い入れがある。 それは、国連の活動ならば「地獄まで行く」という強い思い込みに転化している 。 そして、アフガニスタン国際治安支援部隊(ISAF)に陸上自衛隊を派遣することも念頭にある 。 だが、それは従来の政府解釈(内閣法制局)との関係で、かなりむずかしい。そこで、法制局解釈を国会の場で「不可視化」させて、「政治家主導の憲法解釈」を展開することが狙いだろう。そこで自説を心おきなく開陳し、さくさくと実現していく。そのとき、「解釈改憲」は頂点に達するだろう。憲法改正手続法をもった政権は、解釈変更では対応できないと踏めば、いつでも明文改憲のカードを切れる。そういうステージに入ったわけである。 鳩山内閣が「政見後退」の道 を歩み続けているなかで、憲法改正手続法という明文改憲のツールを得ただけでなく、内閣法制局の解釈を見えなくすることで、政治家主導の「解釈改憲」を自在に行える状況が生まれたことは、決して軽視できない。今回、民主党内の良識ある人々までもが、この法案の賛成者に名前を連ねているのは残念である。私が指摘してきた「政党寡頭制」傾向は、賛成者241人を列挙した法案の出し方そのものにもあらわれている。
信玄棒道で憲法を考える
年の4分の1を八ヶ岳南麓で過ごす。仕事場から見える甲斐駒ヶ岳。 その四季折々の表情に魅せられている 。 原稿書きの合間に、とにかく歩く。信玄棒道も好みのコースの一つである。
昨秋、「甲州法度之次第」の写しを、棒道の岩に腰をおろして熟読した。全55ヶ条、後に2ヶ条追加)。結びの条文は音読した。 「晴信行儀其の外の法度以下に於て、旨趣相違の事あらば、貴賤を撰ばず、目安を以て申すべし、時宜に依って其の覚悟すべきものなり」。 武田晴信(信玄)自身が法に拘束されることを前提に、それに反することを行えば、身分を問わず訴訟を提起することができる。君主の自己抑制による君主有限の思考と言える。分国法のなかで、ここまで権力者の法拘束を明確にしたものも珍しい。家臣の駒井政武が起草したというが、信玄はどこまで法拘束に自覚的であったのか、また実際、そのような訴えがあったのか。興味は尽きない。
さて、話は一気に現代に。今月18日、憲法改正手続法(国民投票法)が施行される。そのことを知っている人がどれだけいるだろうか。 3 年前、当時の安倍晋三首相が「私の任期中に改憲を」と、参議院憲法調査特別委員会に出席して発言を繰り返し、また国対関係者に採決を急がせ、強引に成立に持ち込んだという経緯がある。
そもそも憲法改正の発議は国会が行う。改正手続法も議員提出法案なのに、首相が強いイニシアティヴを発揮した。異例づくめだった。その無理がたたって、問題点は山積み。結局、採決時に18項目の「附帯決議」が行われた。 そこには、「最低投票率」(低投票率で憲法改正が行われないようにする工夫)や投票権者の年齢(18歳成年)の問題と並んで、国民投票運動規制に関連して、意見表明の自由や学問・教育の自由を侵害しないよう慎重な運用が言われ、また、「〔罰則の〕構成要件の明確化を図る」ことが求められている。だが一体、学問の自由を侵害する可能性のある法律とはどんなものなのか。また、いかなる行為が犯罪となるかを定める「構成要件」が曖昧なままでは、憲法上の問題を惹起する欠陥法律であることを告白しているようなものだ。しかし、国会議員にはそうした問題への自覚があまりにない。せめて3年の間に、附帯決議の中身をしっかり検討して、手当てをしておくべきだった。それゆえ私は、この法律の施行は延期すべきだと考えている。もっとも、政治家はいま、憲法改正どころではないというのが本音かもしれない。国民も同様だろう。
『読売新聞』4月9日付の世論調査でも、憲法改正賛成は43%で、昨年の52%から大きく減少した。『読売』は「政治の混迷で改正論しぼむ」とぼやいているが、憲法改正に賛成か、反対かを問うこと自体、実は無意味なのである。改正条項をもつ以上、憲法は自らの改正を予定している。問題は、憲法の「いかなる」条文を、「どのように」改めるか、にある。その際、憲法により拘束される権力側からの改憲提起には、まずは疑いの眼差しを向けてみることが肝要だろう。
憲法は権力者を拘束し、制限する規範である。改憲か護憲かをいう前に、そもそも憲法とはいかなるものかについての理解を深めることこそが、実は憲法を「守る」ことにつながるのではないか。信玄棒道を歩きながらの思索は続く。