税 法学の北野弘久先生(日本大学名誉教授)が6月17日に急逝された。79歳だった。大蔵省主税局に5年間勤務した後、早稲田大学大学院法学研究科公法学専攻に入り、憲法の租税法律主義に関する修士論文で「小野梓記念学術賞」を受賞している。日本財政法学会や日本租税理論学会の理事長などのほか、各種学会や法律家団体の運営にも関わり、また日本民主法律家協会理事長など実践面でも活発に活動された。税金をめぐる各種の訴訟では法廷に証人として立ち、豊田商事事件では被害者弁護団長も務めた。裁判所に提出した鑑定意見書により、税法・税金関係訴訟に影響を与えてきた。著書は『税法学原論(第6版)』(青林書院)をはじめ大変多く、一般市民向けでは『納税者の権利』(岩波新書、1981年)が有名である。私は大学院生の頃から34年間にわたり、親しくさせていただいた。
昨年5月、朝7時に居間の電話が鳴ったので家族が出ると、北野先生からだった。「水島君。いい本出したね。今日の朝日でみたよ。渡辺さんの会の時、君が送ってくれると言っていたので、楽しみにしているよ」。私はあわてた。その年の2月28日、 故・渡辺洋三先生(東大名誉教授)の「渡辺法学を語る会」(学士会館) のおり、たまたま北野先生と隣席になり、 共編著『長沼事件 平賀書簡――35年目の証言』(日本評論社) がもうすぐ出版されると話していたのだ。多忙にかまけて、お送りするのをすっかり忘れていた。 『朝日新聞』4月30日付で紹介されたので 、早速電話してこられたわけである。電話を切ってから、手元にあったものをコンビニから宅配便でお送りした。しばらくして、早朝にまた電話がかかってきた。「本ありがとう。すぐに読んだよ。福島君〔長沼ナイキ基地訴訟で自衛隊違憲判決を出した札幌地方裁判所福島重雄裁判長〕は富山高校〔旧制富山中学〕の同窓なんだ。とてもうれしいよ。彼はよくぞ語ってくれたなぁ。君はいい仕事をしたねぇ」。これが先生との最後の会話になった。
私が北野先生のお話を直接聞いたのは、学部3年生のときだった。学内の講演会で、「納税者基本権論」を熱っぽく語っておられた。「君たち、『納税』という言葉は『お上』に年貢を『納める』という発想に近い。主権者である国民が『税金を払う』のだから、『払税』(tax pay)というべきだ」。憲法30条には納税の義務とあるが、これを「タックスペイヤーの権利」(払税者の権利)として捉えなおす先生の視点は新鮮だった。TCフォーラム(納税者権利憲章をつくる会)代表も務め、一貫して国民・市民・庶民の立場から税法理論を展開してこられた。宗教法人への課税を主張されたことから、宗教団体のある部分から嫌がらせを受けたこともある。ブレず、ひるまず、たじろがず。先生の批判的視点は一貫していた。大企業に対する租税上の優遇措置をやめ、他方、中小企業に対する税率の引き下げも主張。消費税やその税率引き上げについても、厳しい批判を続けた。 その舌鋒の鋭さは、私もちょっとついていけないこともあった。1978年の「有事法制」問題のあるシンポでは、「一般消費税は有事法制なんです!」と繰り返し語り、私は直接先生に質問し、疑問をぶつけたこともある。でも、先生の狙いは、問題を提起して議論を巻き起こすところにあったようで、憲法と国民・市民・庶民の側に立つ北野税法学のスタンスは、最後まで揺らぐことはなかった。
北野先生が亡くなった6月17日、菅直人首相は、参院選マニフェストの発表記者会見で、消費税率引き上げについて「自民党が提案している10%という数字を一つの参考としたい」と語った(『毎日新聞』6月18日付)。当然、北野先生は鋭い批判を展開すると思っていたが、新聞各紙に先生のコメントはなかった。そして、6月22日付各紙の訃報欄にお名前を見つけ、絶句した。
それにしても、「次の総選挙まで消費税値上げはしない」といってきた民主党。なぜこのタイミングで、10%という具体的数字まで挙げて消費税アップなのか。18日に首相は、増税分は社会保障費にあてるとの考えを示したものの(『朝日新聞』6月19日付)、最初に10%という数字を挙げ、しかも自民党の提案にのるという形をとったため、評価は散々だった。党内部からも、とまどいの声があがった。例えば、渡辺恒三元衆院副議長は、「まさか10%と具体的数字をあげるとは、われわれ党内の者も実際に聞くまで知らなかった。もし事前に知っていたら、ダメだ、もう少し黙っていろと止めたかもしれない。…自民党時代、国対委員長として消費税導入に苦労した竹下内閣のころを思い出した」と語っている(『産経新聞』6月24日電子版)。
マグナカルタ(1215年)12条は、国王の決定だけでは課税できず、議会(一般評議会)の同意を必要とすると定めていた。「代表なければ課税なし」の元祖とされる所以である。勝手に税金を新設したり、あるいは税率を唐突に上げたりした権力者は、まともな運命をたどっていない。
竹下登内閣は、1989年4月1日から消費税3%を実施した。その前の総選挙では「大型間接税は導入しない」といっていただけに、国民の怒りは大きかった。その年7月の参院選で自民党は記録的な大敗をしている。年金もまた、金が絡む問題である。2007年7月の参院選では、直前の「消えた年金」問題で自民党は大敗をきっし、安倍晋三内閣が崩壊している。 国民に丁寧な説明をせず、国民の同意を得ないで税金(税率)に手をつけたり、大切な年金を粗末に扱ったりと、「お金」が絡む出来事があった後の参院選では、改選期を迎えた与党参議院議員が「犠牲」になる傾きにある。
憲法84条は、租税の賦課・徴収、その変更は、法律または法律の定める条件によるとしている。租税法律主義である。これは「財政国会中心主義」の歳入面での具体化と言える。他方、憲法85条は、国会の議決がなければ、国費の支出は国が債務負担することができない。これは「国会財政中心主義」の歳出面での具体化である。予算も国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない(憲法86条)。国会で議決しなければならないと言えばすむのに、あえて「審議を受け」という文言を追加している点は重要である。予算審議を憲法が重視しているとみることもできる。さらに予算執行の監督について憲法は、決算と会計検査院の仕組みを確保している(憲法90条)。
このように、お金の「入口」から「出口」まで、「財政国会中心主義」の原則に基づいて、国民の選ぶ代表者によるチェックが徹底されているのである。この「財政国会中心主義」は、「財政民主主義」の一つの柱であり、もう一つの柱が、北野先生が主張する「払税者の権利」である。これは「財政立憲主義」の権利保障面と捉えることもできるだろう。これらの点について詳しくは、 近刊の拙著『18歳からはじめる憲法』(法律文化社、7月上旬配本) 36章「財政立憲主義と財政民主主義」をお読みいただければ幸いである(「払税者の権利」ついては、用語解説〔藤井康博執筆〕参照)。
消費税10%を唐突に打ち出し、参院選後に自民党との大連立をうかがうかの如き菅首相。その狙いがどこにあるのかはわからないが、いずれにしても、消費税という重要テーマについては、税制全体の構造的問題との絡みで時間をかけて議論すべきであって、5%から10%への税率アップを急ぐことは許されない。短期的視野で、税金の問題を政治遊具化することは避けるべきであろう。マグナカルタ以来の税金の問題を語る際の「作法」(財政立憲主義)を忘れてはならない。
北野先生を「おくる会」は、参議院選挙の投票日(7月11日)の午後1時から、市ヶ谷の私学会館(アルカディア)で開かれる。首相が消費税10%を打ち上げた日に亡くなり、その一つの結果が出る日に送られる。先生にこれまでのお礼を申し上げ、また今後のメッセージをいただくため、私も参列する。 北野弘久先生のご冥福をお祈りしたい。