「8 月ジャーナリズム」という言葉がある。8月6日に始まり15日で終わる、メディアが年に一度、平和に饒舌となる10日間のことである。お盆とも重なって、原爆・戦争関連の番組や記事が、年間で最も集中する時期である。今年の新聞には目を引く記事・連載はあまりなかったが、テレビでは NHKが質・量ともに圧倒していた 。 「証言記録 シベリア抑留」(8日) 、 「“わらわし隊”の戦争」(11日) 、 「玉砕――隠された真実」(12日) 、 「色つきの悪夢――カラーでよみがえる第二次世界大戦」(13日) がよかった。 特に「玉砕」では、大本営が意識的に「棄民」ならぬ「棄軍」を行い、アッツ島守備隊やニューギニアのブナ守備隊を切り捨て、後にそれを「玉砕」として美化していく手法を暴いたのは秀逸だった。番組では、アッツ島で死んだ2600人の将兵の写真パネルをスタジオに林立させて、家族をもつ人間がかくもたくさん命を奪われた事実をリアルに描くことで、その死を「玉砕」という形に仕立てあげていく大本営の卑劣さが浮き彫りになった。
「8.15」まで、ニュース番組でも、「わが町の戦跡」のようなシリーズが続いた。若いアナウンサーが神妙な顔つきで、「戦争を語り継いでいく必要を感じました」と付け加える。だが、話題もコメントも「65年前のこと」という過去形にとどまるのが限界か。 ごく最近まで、米国のイラク侵略戦争に実質参戦していたことなど、ほとんど意識されていない 。私たちの税金を使って、今年もまた、高額の兵器が大量に購入されていることに触れることもない。歴史を昔話にすることなく、現在との鋭い関係性において捉える視点が求められる所以である。
たまたま『朝雲』(自衛隊の準機関紙)8月5日付に、 「水平射撃で敵制圧」という記事を見つけた 。6月15日、東富士演習場(畑岡地区)で行われた高射教導隊の87式高射自走機関砲(87AWSP)射撃訓練をレポートしたものだ。北海道時代、日高路を走っていた時、静内にある第7高射特科連隊の射撃訓練に遭遇したことがあるが、それはもっぱら航空機を目標にしたものだった。そもそも高射機関砲(L90を含む)というのは、部隊の上空に飛来してきた「敵機」に対処する、近接防空システムである。冷戦が終わり、日本に対して航空攻撃を仕掛けてくる国が想定できなくなってきたこともあり、東富士演習場での訓練が、対空射撃ではなく、地上目標に向けたものになったのだろう。87AWSPは、車上に射撃統制装置や対空レーダーを装備する超高価な兵器である。連装35ミリ機関砲を、目視の直接照準射撃が可能な地上目標に向けて使う。こんな訓練をすること自体、超高価な対空火器の必要性が低下していることを示すものと言えよう。旧軍でも高射砲の「零距離射撃」(目視の水平撃ち)というのがあったが、あくまで例外的運用だった。ゲリラやテロリストが頑強に抵抗する建物を、87AWSPの水平撃ちで撃破する。そんなことのために、対空レーダー付きの高射自走機関砲が必要だろうか。冷戦時代のようには正面装備を継続的に購入する理由や必要性が乏しくなってきたことは明らかだろう。
内閣府行政刷新会議の「事業仕分け」では、防衛省関連17事業といっても、「広報館」の民間委託・有料化とか「自衛隊音楽まつり」など、本質的な部分とかけ離れた瑣末な「仕分け」に終始した(詳しくは、『朝雲』2009年12月3日付参照)。これに便乗して、6月9日から11日まで、防衛省自らが「事業仕分け」の形をとった「行政事業レビュー」を行った(『朝雲』2010年6月17日付詳報参照)。仕分け人は、村田晃嗣・同志社大教授などの「お仲間」ばかり。例えば、87式偵察警戒車の「仕分け」ではこんな具合である。
Q:「なぜ年々調達価格が上昇しているか?」
A:「調達数が減り、生産ラインの維持経費がかかっている」
Q:「米国のストライカー〔最新型装甲車のこと〕は量産で半額となった。まとめ買いの計画は?」
A:「今後、20両まとめ買いすれば1両1000万円ほど下がる見込み。今後まとめ買いして調達を終えたい」…。
これでは、内輪の大甘な「仕分け」としか言いようがないだろう。私は「聖域なき」本格的な「防衛事業仕分け」を行うべきだと考えている。内閣府の「事業仕分け」でノータッチだった、陸の戦車、海の護衛艦、空の戦闘機といった正面装備を、文字通り正面から問うのである。
特に戦車は、誰が考えても不要度数は最高である。61式、74式、90式と、三菱重工特注で半世紀以上も税金を投入してきた。北海道へ行けば、 恵庭市や千歳市に展開する戦車部隊は、すでに無用の長物となっている 。冷戦時代は「北方重視」で戦車部隊は安泰だったが、先月の政府「安保懇」の提言(『読売新聞』2010年7月26日付)では、「沖縄・南西諸島重視」に変わってきた。北海道の戦車部隊の存続と、戦車の新規購入はますます危うくなってきた。 2年前、50トンもある90式戦車のアナクロニズム性について書いたが、その際、新型戦車についても少し触れた 。 これらの高額な装備をなぜ今後も購入し続けるのか。今年度予算で新型戦車13両の調達が決まっている。一体、いつ、どこで戦車を今後とも導入し続けるということを議論しただろうか。思考の惰性で、新型戦車の予算が簡単についてしまったようである。
この新型戦車は2010年に制式化されるので、「10〔ヒトマル〕戦車」という。61式から概ね半世紀、「10式戦車」の必要性は、旧ソ連軍の戦車部隊上陸がなくなった現在、どのように説明されるのだろうか。高度なC4I(指揮・統制・通信・コンピューター・情報)をもち、陸自ネットワーク(基幹連隊指揮統制システム)に組み込まれるというが、せいぜいゲリコマ対処や市街地戦闘を想定したものである。90式に比べて重量で約6トン軽くなり、最高速度70キロで機動力がアップされているという。装備は120ミリ滑腔砲、12.7ミリ重機関銃、7.62ミリ同軸機銃。これで、ゲリラやテロリストが籠もるビルに対して攻撃するというのは、マンガの世界である。今年から調達されて、結局、北海道の戦車部隊に配備され、またも無用の長物と化すのは目に見えている。新型戦車の発注・製造は直ちに中止すべきである。
空も同様である。『朝雲』7月29日付を開いて驚いた。英独など4カ国共同開発の「ユーロファイター」の全面広告が掲載されたのである。航空自衛隊は従来、ロッキード・マーチンやダクラス・グラマンなど、米国製が自明のように採用されてきた。ここへ来て、ヨーロッパ勢が参入してきたわけである。当初、F15の後継機としてロッキード・マーチン社が開発した 最新鋭の戦闘機F22「ラプター」が話題になったが 、生産コストが高いため、オバマ政権は生産停止を決定。米国は低コストで製造可能なF35の導入をすすめてきた。だが、ここへきて、F35について、米国での生産や配備時期について不透明な部分が明確になってきた。結局、防衛省は2011年度予算の概算要求で、次期主力戦闘機(FX)の調達経費の計上を見送った(『読売新聞』2010年7月26日付夕刊)。この全面広告は、政府がFXの予算計上を当面見送った直後に出された。何とも微妙なタイミングである。
そもそもF22のように相手のレーダーに映らず、相手国の奥地まで攻撃できるというような戦闘機は、それだけで「専守防衛」の枠を超える。「敵基地攻撃能力」(「策源地攻撃能力」と言い換え)を保持するという提言が、自民党政権末期の同党内でまとまったことを想起される。外国の領土深く進入できるような能力をもつ戦闘機は、事業仕分けで「廃止」のジャッジをすべきものだろう。なお、地対空ミサイル「パトリオット」のPAC-3の追加配備も予算に盛り込まれているが、 これなどは昨年春のテポドン騒ぎを想起すれば 、まっさきに事業仕分けで「廃止」の判定をすべきものだろう。
家計(財政)が苦しいのに、高額のおもちゃのリストを並べて、「全部ほしい」とごねるようなものである。「おもちゃ」の必要性を説く「安全保障」認識も一面的で、恣意的である。「不確実性」「不安定性」「不透明性」など、脅威の客体も不明確なまま、高額な装備が要求されていく。こうした思考の惰性はもうやめにして、安全保障に関する根本的な議論を行い、最終的に自衛隊そのものをコンヴァージョン(平和転換)する方向に進むべきだろう(深瀬忠一、上田勝美、稲正樹、水島朝穂編著『平和憲法の確保と新生』北海道大学出版会、2008年参照)。