イ ンターネットのオークションで米国司法省のピンバッジを入手した。連邦検事も襟につけているものだ。 さすがに日本の検察官のバッジは入手できなかったが 。 この間、日本検察の根底を揺るがす出来事が立て続けに起きている。 大阪地裁が「郵便料金不正事件」において、 村木厚子・厚生労働省元局長に無罪判決を出した 。裁判所は検察側の供述証拠の大半を不採用にしたが、これだけでも検察には大きな痛手だった。パーフェクトの無罪判決が出て、検察が控訴できない状況に追い込まれていた矢先、事件を担当した大阪地検特捜部の前田恒彦主任検事が、証拠として押収したフロッピィーディスク(FD)を改ざんした疑惑が明らかとなった。『朝日新聞』9月21日付のスクープである。当日の他紙夕刊は、「後追い」にしては異例の一面トップ扱い。事件の大きさと広がりを予感させるものだった。事態は急展開。その日のうちに、最高検察庁が高等検察庁を飛び越えて、地検の検事を直接逮捕するという事態に発展した。
前田検事は広島大学法学部卒だが、実は司法試験を受けるため、一時期、大学院社会科学研究科法律学専攻の修士課程に2 年ほど在籍していた。私は1989年から96年まで広島大学に勤務したが、その間、大学院も担当した。その時に指導した院生からメールが届いたのは先月22日朝のことだった。
「水島先生。大変ショックです。件の主任検事は、広大院で一緒に過ごした前田君でした。写真を見ただけでは全く気づかないほど顔が変わっていました。彼の浪人時代を知っているだけに、今回の事件の闇の深さを感じます。本当に大きな衝撃です」。同じ院生仲間で酒を飲んだり、司法試験に合格したときには祝賀会もやった。特別目立つタイプでもなく、ごく普通の院生だったという。
大学院は狭い世界である。私の授業には出ていなかったが、どこかで顔を合わせているはずだ。当時の指導教授が、日本テレビの電話取材(9月26日18時「バンキシャ」放映)に院生時代の彼のことを語っていた。真面目な院生が、顔つき、歩き方、態度まで変貌してしまったことに驚くとともに、「検察の文化が彼を変えてしまった」という趣旨のことを述べていたのが印象に残った。
どこの国でも、検察は、最強の国家権力装置である。7年前、 日本の最高検にあたる韓国・大検察庁を訪問したことがある 。日本の場合、東京・大阪・名古屋の地方検察庁に特別捜査部があるが、韓国では、大検察庁に中央捜査部がある。これが実に強大な権力をもつ。元大統領が何人も起訴され、「韓国で一番の権力者は大統領ではなく、大検察庁中央捜査部長だ」という言葉があるほどだ。現在、その韓国で、 大検察庁中央捜査部の縮小・廃止論が出ていることは興味深い 。
日本はどうか。昨年、「政治とカネ」をめぐる小沢一郎氏の公設第一秘書逮捕の際、「直言」では、 小沢氏の「不公正な国家権力の行使だ」という主張と距離を置く立場をとった 。しかし同時に、特捜部の強引な捜査手法を、「大本営の暴走」に例えた元検事らの指摘を肯定的に紹介。 「メディアは、検察に対する過大評価も過少評価もすることなく、法と証拠に基づく検察の適切な職務執行を監視していく必要があろう」と書いた 。
いまにして思えば、この評価はやや甘かったかもしれない。小沢氏の公設秘書に対する取り調べを担当したのが、東京地検特捜部に応援にきていた前田検事だったからだ。その捜査実態は、控訴審で明らかになるだろう。ことと次第によっては、特捜部が起訴した事件について上級審で見直され、確定判決については再審請求が行われる可能性もある。これは、特捜検察の終わりの始まりになるかもしれない。 特に「三井事件」は注目である 。
ところで、メディアは検察の大不祥事に沸き立った。ネタ切れ気味の週刊誌にも、検察をテーマにした見出しが踊る。この問題を扱ったものでは、『週刊朝日』10月8日号が最もおもしろかった。「日本のマスコミで唯一、国民の利益を守る立場から検察批判を続けてきた、ぶれない本誌だからこそここまで書ける!」という大きな広告を出しで、「検察の大罪」を特集している。
これらの記事のなかで特に興味深かったのは、朝鮮総連の土地建物売買をめぐる詐欺事件で東京地検特捜部に逮捕・起訴され、1審で有罪判決を受けて控訴中の不動産会社社長の「獄中ノート」の記事である。タイトルは「前田検事と向き合った50日 その『不遜と厚顔』」。同じ広島県呉市出身ということで、取り調べの雑談のなかで、前田検事はさかんに郷里の話題を持ち出したという。そして、父親の転勤で香川にいたこともある前田検事に、「『この事件、さぬきうどんを私とこねましょう。いい絵姿になる』と言われ、そんなもんかと前田と一緒に(供述を)こねたんだ」という。この社長は前田検事による取り調べの様子を、「獄中ノート」と呼ぶ大学ノート8冊に克明に書き残していた。そこには、「さぬきうどんをこねながら共同作業」「さぬきうどんの語り 検事と共作の調書」という記述がある。「こねる」は漢字で書くと「捏ねる」になる。捏造の「捏」である。「最初は乗せられて、一緒にさぬきうどんをこねていた。すると、できあがった供述調書では、否認しているにもかかわらず、私が一番の悪者。白いさぬきうどんが真っ黒になっていた」(『週刊朝日』同上)。
検察のストーリーに沿った供述調書を作成して、それにサインをさせる。たいていの場合、供述調書が法廷に出れば、よほどのことがない限り、裁判官はそれを証拠採用する。ところが、今回、関係者のほとんどが法廷で、「事実と違う調書にサインさせられた」「記憶にない調書を勝手に作られた」と、検察の強引な取り調べを暴露したのだ。そのため、裁判所は供述証拠の大半を不採用にして、それが無罪判決につながったわけである。
もともと、前田検事は、検察が作ったストーリー通りの供述を引き出す名手だった。「さぬきうどんを捏ねる」ように供述を引き出すので、上司から重用され、「割り屋」と呼ばれていた。
だが、村木元局長の裁判では、「割り屋」による「さぬきうどん作り」が破綻しただけではない。前田検事は、物証という「動かぬ証拠」に手を入れて「動かす」という、とんでもないことに手を染めていたのである。詳しいことは省略するが、供述調書のシナリオでは、村木元局長(当時課長)が上村元係長に指示を出すことになるのは6月上旬なので、フロッピーの更新が6月1日では、村木元局長からの指示は「5月下旬頃」になってしまう可能性が高かった。そこで、更新を1 週間遅くして、供述調書とのストーリーを合わせる必要性が生まれた。私物のパソコンを持ち込み、フロッピーにある最終更新日を、「6月1日」から「6月8日」に書き換えたわけである。しかも、証拠物の返却は、事件が一応の終結をみてから行われるのに、それだけを上村元係長側に送り返している。「FDに時限爆弾を仕掛けた」という前田検事の異様な「自信」は、長年の「割り屋」経験で培われたものだろう。
近年の特捜部の捜査劣化は著しく、村木元局長の弁護を担当した弘中惇一郎弁護士によれば、かつて特捜の捜査は「悪質で巧妙だった」が、いまは「悪質でずさんになった」(前掲『週刊朝日』)と言われるように、荒っぽさが増してきた。前田検事の上司もまた、彼の手法を否定せず、むしろ便利屋として利用してきたのではないか。東京に対する大阪検察独特のライバル意識もあったのだろう。いずれせよ、前田個人の問題ではない、構造的なものが背後にあると言えよう。
先の「獄中ノート」には、「本来の仕事、バッチ取りをやらないと」という前田検事の言葉が残されている。「朝鮮総連事件なんてアルバイト、要するに自分の一番の仕事はバッジ、政治家を逮捕することと、よく話していた。……私が山口県に人脈があるとわかると、『総理大臣だったAと北朝鮮の関係でやりたいから、教えてくれ』とも話していた」とある。政治家を狙って、世間の注目を浴びる。メディアに持ち上げられる。これが「快感」になると危ない。ストーリーに基づき政治家や経済人を仕留める特捜検察の仕組みは、憲法の刑事手続を侵害する構造的問題を持っており、この際、廃止の方向を選択すべきである。そして、全体として、捜査の可視化の実現を目指すべきだろう。
この原稿がほぼ完成したところで、ニュース速報が飛び込んできた。前田検事の上司の大阪地検特捜部の前の正副部長を最高検が逮捕したというのである(10月1日)。「最高検、地検を捜索」。冗談のような見出しだが、現実である。両者ともに容疑を全面否認しているという。前副部長は「検察側のストーリーに乗らず、徹底抗戦していく」と語っているという(『毎日新聞』10月3日付)。特捜検察のプロから、彼らが長年使ってきた取り調べ手法で供述を引き出すことは困難だろう。逮捕前、前副部長は、メディアの質問に対して、憲法の刑事手続上の人権を持ち出してコメントを拒否したという。彼らは憲法上の人権の問題をこういう形で「再学習」することになったのは何とも皮肉である。
次回は、「次席検事の『眉間の皺』」というタイトルで、尖閣諸島における漁船衝突事件の船長釈放をめぐる「検察と政治」について扱うことにしよう。(この項続く)