5 年前、今日の日付にこだわって 「『1月17日』物語」 を書いた。歴史上、「1月17日」にはいろいろなことが起きている。6年前の1月17日の直言は 「阪神淡路大震災から10年」であった 。
20年前の今日、1月17日は木曜日だった。前日から神保町の旅館で、編集者と泊まり込みで出版企画の検討を行い、起床後、編集者がテレビをつけるや、バグダッド「空爆」の映像が飛び込んできた。真っ暗な空に花火のような対空砲火、ミサイルが着弾する火炎。「とうとう始まってしまいましたね」という編集者の言葉が耳に残る。
米国が膨張・拡大を繰り返すとき、この日に動きがある。例えば、1895年1月17日、ハワイで米海兵隊がイオラニ宮殿を包囲し、ハワイ王国は滅亡。1898年、ハワイは米国の準州になる。その翌年、 1899年1月17日、米国は、ケーブル敷設基地の設置のため、北太平洋の環礁、ウェーク島を併合した 。1991年のこの日も、米国の世界戦略上の必要性から起こされたとみることができるのではないか。
イラクのクウェート侵攻は、米国によって巧みに引き起こされたものという評価(「挑発による過剰防衛」)が有力に存在する(ラムゼイ・クラーク元米司法長官『アメリカの戦争犯罪』柏書房、1992年)。第一次湾岸戦争(以下、湾岸戦争という)は、さまざまな意味で「過剰な戦争」であった (ジャン・ボードリヤール/塚原史訳『湾岸戦争はなかった』紀伊国屋書店、1991年) 。すわなち、「積荷をおろし、在庫を一掃するための戦争。部隊の展開の実験と、旧式武器のバーゲンセールと、新兵器の展示会つきの戦争。モノと設備の過剰に悩む社会の戦争。過剰な部分(過剰な人間も)を廃棄物として、処分する必要にせまられた社会の戦争。テクノロジーの廃棄物は、戦争という地獄に養分を補給する」と。私は 「飛んで火に入る夏のフセイン」と言ってきた 。
この戦争は「ピンポイント爆撃」という言葉が普及する最初の戦争でもあった。 スマート爆弾の先端についたカメラが、目標に到達するまでの様子をテレビに映し出す 。テレビ中継される 「空爆」シーン は、 東京空襲 や ドレスデン空襲 の映像とは明らかに異なっていた。人が死ぬシーンが見えない。マスコミには、 ゲーム感覚の戦争風景が広がっていった。 だが、それは米国によって巧みに操作されていた。
最近、ヘイガン=ビッカートン/高田聲里訳『アメリカと戦争――「意図せざる結果」の歴史』(大月書店、2010年)を読んだ。副題を見ないで購入し、仕事場に運んで「ツン読」(積んでおく)状態にしておいたものだが、偶然その副題に目がとまり、「意図せざる」タイミングで一気に読んでしまった。面白かった。「戦争とはあなたが望むときに始めることができる。しかし戦争はあなたの望みどおりには終わらない」というマキャベリの言葉と、「戦争は決して『他の手段をもってする政治の継続』ではありえない」というコフィ・アナン(前国連事務総長)の言葉が、全体を通奏低音のように貫流する。
本書は、アメリカ独立戦争からイラク戦争までの史的分析を通じて、米国が行ったすべての戦争が、その戦争を導いた当の国策を変更させたという結論を導こうとする。「戦争とは決して現行の政治の継続になりえない。戦争とはまったく新しい政策――本来の政策とまったく矛盾するような政策――を生みだすものである。意図せざる、もしくは予測できない結果は、意図された目的よりもはるかに長期的な影響を持つものであり、しばしば本来の目的に反作用するものなのだ」と。そして、クラウゼヴィツ『戦争論』の命題(「戦争とは、別の手段をもってする政治の継続である」)の「本質的な誤り」を立証しようと試みる。
湾岸戦争についても、戦争終結時のブッシュ(父)大統領の議会演説(1991年3月6日)で「新世界秩序」の到来が宣言されたものの、 強大な軍事力によって生まれた過度な自信と傲慢さを生み 、この戦争はすぐさま「新世界秩序」がむなしいスローガンにすぎないこと、そして、その「意図せざる結果」の最初の犠牲者が大統領自身であることを明らかにした、と指摘する。ブッシュ大統領は国内問題をおろそかにしたと見なされて、翌年の大統領選挙でクリントンに敗北を喫したからである。
本書は、米国が 「戦争を遂行することによって新たな戦争を生みだしてきた」 ことを明らかにすることによって、「頻繁に軍事力に頼」る米国の体質を改め、「戦争以外の手段」を尽くすことの大切さを説いている。「意図せざる結果」の導き方にやや強引さを伴う箇所がないではないが、全体として興味深い叙述にあふれている。
この本は米国では2007年に出版されているので、オバマ政権の登場やイラク戦争、アフガン戦争のその後については触れられていない。その点、『朝日新聞』2010年12月22日付が「常時戦争 省みる米国――過ち指摘する論著相次ぐ」として、米国における戦争批判の著書を紹介しているのが参考になる(ワシントン特派員・立野純二記者)。
「米国はなぜ、戦争に明け暮れるのか。なぜ同じ過ちを繰り返すのか」と記者は問い、例えば、ボストン大学のA.ベースビッチ教授の『ワシントンのおきて――米国の永遠の戦争への道』が、米国の一貫した対外姿勢として、(1)世界全域への国力の投入、(2)各地での軍事駐留、(3)各種紛争への介入の3本柱を挙げ、その土台に「世界を善導する使命が自国に授けられているとする『信条』があり、それは政治家や軍人だけでなく国民の心理に根強く生きている」と指摘し、「イラクやアフガンの復興には巨費を投じながら、デトロイトなどの国内都市は荒廃させる矛盾に満ちた国家」になったことを読み説く。そして、「ベトナム戦争以来、国の財政には限りがあるという当然の前提が無視され続けた負の蓄積が、今の国力の衰退を招いた」と断ずる。どの戦争も、国民信条と、利権に根をはる国防族、ロビー団体、軍需産業などの見えない力が決めた流れを大統領が追認したにすぎないというわけである。
記者インタビューに、ベースビッチ教授は、「米国が戦争を起こす時、その目的の説明には常に不誠実さがつきまとってきた」と語りはじめ、「実際は米国の望む世界秩序を形成することが動機に含まれているのに、何もかも平和目的の『防衛』と主張してきた。他国だけでなく、米国民をもミスリードして真実を見えなくしてきたことが、ベトナムや今のアフガニスタンなどの戦争の永続化につながった」と批判する。そして、「21世紀は多極化の時代であり、米国はその重要な一極に過ぎないことをもっと認識すべきだ。世界に米軍を張り巡らす原則を変え、西欧や日本、新興国と協調して基本的な安全保障の利益を満たす新たな国際集合体の形成を目指すべきだ」と結んでいる。ベトナム戦争体験のある元陸軍大佐で、冷戦期に欧州に長く駐留した後に学者に転じた人だけに、その言葉は重い。
日本では、この20年間、 「湾岸戦争を忘れるな」という奇妙な「トラウマ」 があって、米国が戦を始めたときは、「今度こそ乗り遅れるな」というオブセッション(強迫観念)が存在する。国際法違反のイラク戦争の際も、小泉首相(当時)はどこの国の首脳よりも早く、 ブッシュの無謀な開戦を支持したのは承知の通りである 。だが、オランダでは、2010年1月に政府の独立調査委員会が、イラク戦争は国際法違反だったと結論づける報告書を公表しており、また、英国でも、政府の独立調査委員会が検証を進めている。委員会には開戦時のブレア元首相ら140人の政府や軍の関係者が証人喚問されている(『朝日新聞』2010年12月24日付)。日本では、NGOの関係者が「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」を立ち上げ、民主党の斎藤勁衆院議員らも、昨年12月2 日に、イラク戦争を支持した政府の判断を検証する議員連盟を結成している。これを報じた『朝日新聞』は、「日本版の『イラク戦争検証委員会』を立ち上げる時に来ている」と結んでいる(同上〔松本一弥記者〕)。小泉元首相を歴史の法廷に引き出す必要がある。
湾岸戦争開戦時、海部俊樹内閣を裏で操縦した小沢一郎自民党幹事長(当時)は、日本が湾岸における多国籍軍に何らかの形で参加する方向を模索していた。小沢氏は「普通の国」論を説いた。それは、日本も海外で「普通に」武力行使できる国になることを意味した。あれから20年。米国でも「普通の国」になるべきだという主張が出ている。ジョンズホプキンス大学のM.マンデルボーム教授は、「米国は道路、学校、年金、医療保健を心配せずに戦争に資源を投下できた地球上の唯一の国だったが、今後はごく普通の国の一つになるだろう」と予測しているという(『朝日』同上)。
湾岸戦争からの20年の「意図せざる結果」は、米国主導の「新世界秩序」の終わりということになるのかもしれない。沖縄の米軍基地の終わりも、「意図せざる」方向から出てくる可能性もある。その時、沖縄海兵隊の「抑止力」や、「日米同盟の深化と進化」を唱える人々は、その「意図せざる結果」についてどのように説明するだろうか。