もう「思いやり」とは言わせない?――TPPの次はHNS 2011年2月7日

年12月1日、いわゆる「政策コンテスト」の特別枠についての評価が決まった。2011年度予算「元気な日本復活特別枠」に関する評価会議(議長・玄場光一郎国家戦略担当相)が、各省庁が要望した189事業について、4段階評価(A~D)を行ったのである。このなかで、在日米軍駐留経費の日本側負担(「思いやり予算」)は最高のAランクを獲得した。要望額は1859億円である。これに対して、文科省が要望した給付型奨学金の創設や無利子奨学金の1331億円、若手研究者人材の育成・支援の484億円はC評価にとどまった。大学人として、この低い評価には怒りすら覚える。まったくわかっていない。何が「コンテスト」だろうか。いま、将来の大学や研究を担う大学院生は著しく減少している。これは危機である。学問・研究の未来を担う人々のためのささやかな支援の試みですら、乱暴に仕分けてしまうのか。

他方、「日米同盟の深化」路線まっしぐらの菅内閣は 、米軍には大盤振る舞いである。この1月21日、前原誠司外相とルース駐日大使は、2011年度から5年間の在日米軍駐留経費の日本側負担(「思いやり予算」)などを定める特別協定案に署名した。協定案では、環境対策費などを増やして、総額2010年度1881億円の水準を5年間維持することが決まった(『朝日新聞』2011年1月21日付夕刊)。「政策コンテスト」の時より22億円も増額されている。しかも今後5年間、アジアや日本をめぐる安全保障環境がどのように変化するかにかかわりなく、定額で固定してしまう。合計約1兆円。これでは、米軍への「定額給付金」ではないか。

前原外相は協定署名の後の記者会見で、「これからは『思いやり予算』という言葉は使わない。お互いの戦略的観点に基づくものだと」と述べた(『朝日新聞』1月22日付4面)。「思いやり予算」という呼び方は、1978年に金丸信防衛庁長官(当時)が、米軍地位協定に根拠のない支出だから、あえて言えば「思いやりをもって対処すべき問題」と述べたことに起因する。英語ではHost Nation Support で、「接受国支援」と訳されているが、前原外相は「漢字が5つでなかなか難しい」として、「ホスト・ネーション・サポートをぜひ使って頂きたい」と記者に呼びかけた(『朝日』同上)。

この人の言葉を私は 「破壊的軽口」と特徴づけた 。「楽しみにしていてください」。偽メール事件で証拠を見せるからと自信たっぷりに言い切り、結局出てこなくて民主党代表を辞任したのは、そんな昔のことではない。国土交通相時代、八ツ場ダム問題で「マニフェストに書いてあるから中止します」と言い切り、表情一つ変えなかった。羽田のハブ空港化発言でもそのパフォーマンスは続き、尖閣諸島漁船衝突事件では石垣海保を直接訪れ、職員を激励した直後に、外相に転じた。 大臣が突然いなくなって、海保は思いっきり梯子を外されてしまった 。TPP問題をめぐっても、「GDP1.5%のために98.5%が犠牲になっている」という軽口で顰蹙をかったことは、 すでに指摘した通りである

  米国は自民党政権時代から「思いやり予算」(“sympathy payments”)という表現に不快感を示してきた。その米国を前原外相は思いやり、特殊日本的用語として定着した「思いやり予算」という用語の放逐を試みたわけである。ホスト・ネーション・サポート(HNS)。TPPの次はHNSというわけか。

思えば、近年、国の施策にやたら横文字が前面に出て、一般の人の理解が十分でないのに決まっていく傾向がある。国民の負担だけは確実に増える。 この10年間、大学においても、米国経由の不快な横文字(シラバス、セメスター、FD〔ファカリティ・ディベロップメント〕、ロースクール等々)が氾濫し、教職員の恒常的繁忙状態だけが残ったのと同様である

怪しげな横文字や略語は、知ったかぶりをしないで、きちんと中身を確認する癖をつけるべきだろう。では、ホスト・ネーション・サポート(HNS)とは何か。これが国会で最初に取り上げられたのは、中曾根内閣当時の1986年版『防衛白書』だった。志苫裕参院議員(社会党)は「第107国会・質問第9号(昭和61年版防衛省白書に関する質問主意書)」(1986年11月10日)で問うたところ、政府答弁書(11月28日)は、「同盟国に駐留している外国の軍隊に対して受入国側が実施する駐留支援を指すために、一般的に使用されている(言葉)」と回答した。

HNSは、地位協定24条の、「日本国に負担をかけないで合衆国が負担することが合意される」とする部分まで日本側が負担することをいう。典型的なものは、日本人基地従業員の給料である。これはさすがに地位協定上、日本の負担とはなっていない。だが、現実には日本がずっと負担し続けている。「思いやり」として。その結果、基地従業員の雇用者は日本政府で、使用者は米軍という二重構造が生じている。沖縄では、米軍人の上司からパワハラを受けて解雇された元従業員が、裁判所で解雇無効判決を得ても、米軍は判決を無視して復職を拒否している。すべてが米軍有利になっている。雇用者である日本政府は、従業員の待遇改善を米軍に求めたこともない(『琉球新報』2010年11月20日付)。

そのほか、米軍の家族住宅、育児所、テニスコート、プール、ソフトボール場、教育施設、郵便局などの純粋な生活施設、光熱水費、自動車税や高速道路通行料金等々、こんなものまで日本が負担しているのか、と驚くばかりである。「痒いところに手が届く」サービスというよりも、米軍の先回りして「痒いところをいろいろつくってあげて掻いてあげる」類である。 迎合と忖度のメンタリティが骨の髄まで浸透したため、その異常さに気づかない 。とりわけ前原外相は、米国の優秀なホスト役として、現政権の閣僚のなかでは、米国での評価がきわめて高い。今回の「もう思いやりとは言わせない」発言で、さらに評価があがったことだろう。

  鳩山政権は、米国との対等な関係を掲げた。「思いやり予算」見直しの構えをチラリとだけ見せた。だが、菅政権は前原ホスト、いや外相のもとで、米国への過剰な「接受」を続けようとしている。

日本は米軍基地経費の74.5%(2002年の数字) も負担しており(Alexander Cooley,Base Politics;Democratic Chane and the U.S.Military Overseas,Cornell Univ.2008,p.195.)、群を抜いている。 ドイツと比較すると違いは歴然とする 。駐留米軍経費は、日本の6257億円に対して、ドイツは331億円。日本はドイツの19倍である。

 この半世紀、不平等な地位協定の改定すら提起することなく、さらなる「過剰接待」を続けてきた。野党時代の民主党は、何度か地位協定の見直しを提言してきた。だが、与党になるや、見直しについてはまったく触れなくなった。それどころか、前原ホストのもと、1兆円近い「米軍定額給付金」を5年間も続けようというのである。

これに対して沖縄県は、知事の政治的立場にかかわりなく、一貫して地位協定の見直し・改善を要請してきた。1995年の少女強姦事件の後、大田知事のもとで地位協定の改定提言が出された。2004年の沖縄国際大学ヘリ墜落事件からは稲嶺知事のもとで、地位協定の見直しを求めている。沖縄県の改定要求の主なものは、 (1)基地使用の協定締結に際し、日米両政府が地元自治体の意見を聴取し、反映させること、(2)基地で事件・事故が起きたとき、緊急の場合、事前通知なしに自治体が立ち入り調査できること。演習や訓練に国内法を適用し、騒音や低空飛行を制限すること、(3)環境破壊について、基地内に国内法を適用すること、(4)基地跡地に環境汚染があるときの原状回復義務、(5)緊急時以外の民間空港・港湾の使用禁止、(6)米軍人とその家族が持ち込む動植物の検疫に国内法を適用する)、(7)米軍人の私有者の自動車税率の引き上げ、(8)起訴前の容疑者に対する日本側からの引き渡し要請に米側が応じる義務などである 。  

一つひとつが、至極まっとうな要求である。ドイツは90年代に、ボン協定(NATO軍地位協定)を改定して、厳しい環境基準を基地内にも徹底させている。交渉すれば実現できるものもあるはずである。だが、 菅政権は迎合と忖度の根性が染みついているため 、前原外相のもと、自民党政権以上の対米ホストぶりを発揮しつつある。後ろめたさをかろうじて確保していた「思いやり予算」という言葉を捨て去って、正真正銘のホストクラブ政権になるのか。

《付記》1月31日、小沢一郎議員が、東京第五検察審査会の起訴議決に基づき「強制起訴」された。私は、起訴議決を導入した改正検察審査会法に疑問をもっており、そのことは連載記事転載の形で、 この「直言」に載せてある 。参照されたい。

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