国道45号線。「三陸道」と呼ばれる仙台と青森を結ぶ一般国道で、東北の太平洋沿岸を走る。日本三景・松島などの観光で私も通ったことがある。その時、この「津波浸水想定区域」の標識には気づかなかった。写真は、水島ゼミ8期生のM君(某テレビ局勤務)が今月上旬に岩手県釜石市や宮古市に入り、メールで送信してくれたものである。
標識には行政の判断で「ここまで」と書いてあるが、津波はその「想定」をはるかに超える高さ、大きさ、深さで迫ってきた。東大地震研究所の調査によると、宮古市田老地区では37.9mまで駆け上がったという(『読売新聞』4月4日付)。宮古市全体で、死者250人、行方不明者1700人を出している。
東日本大震災から1カ月が経過した。重苦しい気分の長い日々だった。死者は1万2915人、行方不明者は1万4921人という途方もない数になっている(9日、警察庁まとめ)。『朝日新聞』4月10日付は、「半数高齢者」と一面見出しを付けた(65歳以上が55.4%)。『読売新聞』10日付は、21面から26面まで6頁も使って、身元が判明した8580人の名前と年齢をすべて並べている。あまりの多さに息をのむ。年齢と合わせて見ていくと、その家族が浮かび上がってくる。字(あざ)ごとに一家全滅が並んだ沖縄戦の「平和の礎」を思い出す。避難者数は15万3680人(同)にのぼるが、1カ月が経過するも、救援の手は十分に届いていない。その原因は、東京電力福島第一原発の事故である。これが被災地への救援を鈍らせ、遅らせている。
昨年2月11日、福島市で講演したおりに知り合った降矢通敦さんは、地震直後から毎日欠かさず長文メールを発信されている。避難地域の双葉町の友人など、さまざまな人の声も紹介している。「聞いてほしい」という叫びのようなメールである。きちんと返事ができずに申し訳なく思っていたところへ、送信文をまとめたものが送られてきた。タイトルは、『決して燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった――私の「いわき福島原発災害の記録」メール送信文から』である。
怒り、悲しみ、絶望。そのなかで悩みながら思考をめぐらせ、東京の政治家に提案も送っている。戦争体験世代の方なので、4月1日「ようやくガソリンが満タンに」のところには、次のような下りがある。
「早朝と夜の7時半ころに余震があり、震度3の揺れがありました。なれるとは恐ろしいものです。戦時中、空襲のサイレン、はじめは右往左往しました。しかし何回か繰り返される中で、『危険の程度』を予測することができるようになり防空壕に行かず寝ていた記憶がよみがえりました。人間の習慣とはそういうものなのでしょう」
東京のメディアへの批判は鋭い。「帰る土地がない」という、福島の避難者の心情を綴ったところではハッとさせられた。
「昨今のニュースを含め、報道がますます『東京化』していくことを痛感します。『福島は今も揺れ、津波が押し寄せているのです。それが揺れと津波が『極限にくる』という不安にたじろいでいるのです。つまり『原発災害の拡大への不安』です。現に58キロ離れた郡山市でも、家屋、塀などの損害の復旧をためらっている方が多数います。ここに永住できるかという不安です。ならば、その金を別な使い道(避難先の)と迷っていることも事実です。…今、『原発の是非とか、廃炉にすべき』とかの論議をしている時ではありません。…『まず火を消すこと』、『避難者の実情が、帰る土地が無いという意味では他県と違う』ということを訴えたいと思います…」
3月26日、東電は福島県に対し、第一原発7、8号機の増設計画を説明したという報道がなされ、それに激怒する文章から、文体も変わる。
「…ここにおよんでもなお、原発推進を図る東電の意図はどこにあるのだろうか。…エネルギー政策とそこに成り立つ経済成長が、原発と一体になっているところに東電の存在があるということではないだろうか。脚本は決まっている。『想定外の破壊力に、想定外の被害を出してしまった。今後はこの事実を真摯に受け止め、想定外の災害にも耐えられる設計を確立したい…』と。…この論理を、今後の世論が許すのか、許さないのか。…」(なお、東電は4月5日、副社長談話でこの計画を撤回)
メールには、福島現地のやりきれない思い、生活上のさまざまな悩みなどが綴られているが、ここでは割愛させていただく。最後に、このメール送信をまとめた「編集後記」から引用しよう。原発の推進派も反対派も、いずれの側も、事故が起きたらどうするかを議論することを避けてきたという指摘は重要である。
「…人類が『言葉と火』を使うことによって初めて『人間』となり、生物も支配する立場にたったという逸話がある。支配者となった人間の傲慢は、言葉をたくみに使い、火を支配することによって、人間同士の殺戮である戦争を繰り広げていった。しかし、それでは飽き足らず、『消せない火』である核をつくり、燃やした。その火が死の灰を撒き散らし、アメリカのスリーマイル島とソ連のチェルノブイリの原発災害をうみ、そして今、ちっぽけな日本島のいわきで抜き差しならぬ不安と痛みを消せないでいる。
…原発を否とする者も、では、自分の生活も含め、原発エネルギー(電力)に頼らないだけの生活改善をしてきたであろうか。…いつの間にか、『容認』してきたことは事実であろう。だから、私を含め『私たち』という表現を使ったのである。もちろん原発の危険性を知ることの学習もしてきたし、『反原発』の行動もそれなりに展開してきた。だがそれは、『教科書的で観念的な反対』だったのではないか。実際、原発事故といえども被害を最小限にする対策はいろいろあるはずだが、そこを議論することが原発推進側は『安全神話』を自ら崩すことにつながるし、私たちも原発廃止が目標で、事故が起こったときの対策を議論することは原発の存在を認めた上での議論のようなイメージも少なからずあったことは否めない。…しかし今、具体的事実を目の前にした時、なすすべもなく驚き、たじろぎ、そして逃げ惑う姿も事実である。だからこそ今を生きている者の責任として、この事実をしっかりと記憶に残すことであると言いたい。
…廃炉への道もまた危険が伴うだろう。それを見極めたいが、ほぼ4割の国民はその終わりの姿を見ることはできないだろう。それだけ長期にわたるものであり、かつ膨大な費用と犠牲を伴う作業となるだろう。
…国道6号線を仙台に向かう右側に巨大なセメントの山が6個ある。風雪に晒されたその山は、灰色に汚れている。ボタ山であればいつかは緑が茂る。しかしコンクリートはコンクリートのままである。2011年4月5日」
「想定の範囲内」という言葉が「2005年流行語大賞」にノミネートされたことがあったが、逆の意味の「想定外」(想定の範囲外)という言葉は、3月11日以降、東電や政府関係者の口から繰り返し出てきた。そもそも地震のマグニチュード8.8が9.0に修正されたのも、「異常に巨大な天災地変」(原子力損害賠償法3条1項)の場合は賠償を免れるので、それを「想定」したものではないかという見方もある。津波については「浸水想定」がやすやすと破られてしまったが、原発については、そう簡単に「想定外」という言葉にのるわけにはいかないだろう。
昨年5月26日の衆院経済産業委員会で、吉井英勝議員(共産党)は、地震などによる「電源喪失」を招く炉心溶融の危険性について質問していた。これに対して、原子力安全・保安院長は言を左右にし、「論理的には考えられる」と述べるにとどまった。のらりくらりとした答弁は、「想定無い」に等しい。そして今回、福島第一原発では、まさに電源喪失という、国会で指摘されていた事態が起きたわけである。
やっかいなことに、福島第一原発の場合、安全の不備が深刻だったことも挙げられる。『朝日新聞』6日付によると、被害拡大の背景に、非常用ディーゼル発電機などの設置場所などに安全設計上の問題があったことが指摘されている。東電が改良工事などの対策を講じなかったのは、「大工事になり金がかかる」という理由と、「後から直すと、当初の対策が甘かったと指摘される」という理由があったという。清水正孝社長が「コストカッター」と呼ばれ、経費削減の功で社長になったように、歴代経営陣は原発の安全性に金を使うことを渋ってきたことが大きい。後者の理由は、本末転倒である。「安全神話」を維持するため、「原発事故もありうる」と思わせるような改良工事はしないというわけだ。
世界は福島第一原発の状況を注視している。この事故がストレートに影響したのはドイツだろう。事故の2日後のバーデン=ヴュルテンベルク州議会選挙で、環境保護がウリの(その分、平和ではタカ派になった)「緑の党」が得票を倍増させた。保守的な州で、社民党(SPD) との連立政権で、州首相をとる可能性がある。また、世論調査でも高い支持を得ている(ベルリンでは第一党)。ドイツの気象庁や連邦地質調査研究所(連邦経済技術省の傘下)が、福島第一原発からの放射性物質の拡散をネット上に刻々と伝えている。そのアクセス数はすごく、ドイツの市民の関心はきわめて高い。「緑の党」躍進は「フクシマのおかげ」といわれる所以である。
1980年代前半、ヨーロッパで反核運動が盛り上がったとき、ヨーロッパのヒロシマ化を縮めて「オイロシマ」(Euroshima) という言葉が流行し、ワッペンなどにも盛んに使われた。当時の反核運動の資料が私の書庫に眠っているが、その時の手法を使って、「フクシマはどこにでも」(Fukushima ist überall)というワッペンが広まり始めた。日本語で「原子力?おことわり」とも書かれている。この反原発運動は、「ドイツの原発は日本の原発よりも安全ではない」という宣伝を広めている。いわく。「ドイツには津波がないから」は理由にならない。(1)すべての安全システムは機能を発揮していない、(2)福島第一と同じ建設の原理と同じ古さ、(3)日本よりも大きな原発だから、危険も大きい、(4)日本の原発はドイツの原発よりも明らかに地震に強い、(5)津波はないが、ドイツには原発を麻痺させる暴風雨がある、等々。一つひとつの論点の紹介はここでは省略するが、「フクシマ」の日々の状況は、原発への懐疑の念を深めるのに十分だろう。
今後ドイツでは、原発からの離脱の動きが急速に進むだろう。20年ほど前、バイエルン州のヴァッカースドルフ核再処理施設が建設中止に追い込まれた。また、ドイツ初の高速増殖炉となるはずのカルカール原発も、原子炉稼動が許可されず、遊園地とホテルに変わったように。これは究極の「転換」だった。
ミュンヘン大学の社会学者ウルリッヒ・ベックは、「フクシマでは安全神話も燃え尽きた(verglüht)」というタイトルの評論を、雑誌『フォーカス』に寄せている(Focus,Nr.13 vom 28.3.2011) 。ベックは、チェルノブイリ原発事故の直後、名著U.Beck, Risikogesellschaft, 1986.(邦訳『危険社会――新しい近代への道』〔法政大学出版局、1998年〕)を公刊したことで知られる。ベックは、「18世紀以来、勝利の道を歩んだ『保証された生活』の神話〔…〕フクシマの事件に因って、その技術的合理性の安全神話は砕け散っている」と指摘しつつ、「小さなリスクは詳細に規制するものの〔…〕巨大な危険は受忍できる『残存リスク』として法的に公認し、あらゆる者に強いる、そういう法システム」を問題にする。そして、「一体、誰が残存リスクを定義するのか」「誰が原子力産業の監督者を監督するのか」という問題を提起する。それは、ベックにとっては、原子力産業の危機であるだけでない。今日のリスク社会では正統な政治が唯一の決定者ではなくなっているため、「民主的に正統化される政治の優位が回復されるべき責任の危機でもある」という点に注目したい。
「フクシマ」後においては、これまで原発の安全性について語られてきた理由づけは、ことごとく疑われることは避けられない。「安全神話」の崩壊は、単に個々の原発の技術的安全性の問題にとどまらない。東電を監督する原子力安全・保安院や原子力安全委員会は、積年の無能と不作為を世界中にさらしている。最大の原発推進派である経済産業省の下に保安院が存在すること自体が、ベックのいう「誰が原子力産業の監督者を監督するのか」という問題を鋭く提起している。
今からジャスト半世紀前の1961年1月1日、原子力基本法が施行された。その2条には、原子力の研究、開発、利用は、「平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする」とある。安全が軽視され、原子力に巣くう産業、官僚、学者、メディアの「原子力村」による非民主的運営と秘密主義…。すべて半世紀前の法的理念からの離反がもたらしたものだろう。
この議論を突き詰めていくと、事故を起こしたら取り返しがつかなくなるような原子力を、私企業が利潤追求の手段にしていいのか、というそもそもの問題に逢着する。だが、監督・管理を徹底して、完全な国家管理ならばよいかと言えば、そうではない。原子力を使った兵器(核兵器)は言うまでもなく、「平和利用」としての原発とも、人類は決別するときに来たのではないか。東日本大震災は、人類に向けて、その巨大な「最初の一突き」を与えたと言えるかもしれない。とはいえ、まだそのような大きな議論をする段階までには目下の問題が山積みしている。福島第一の事故による避難地域の拡大が行われる可能性もあり、東北地方の被災者の救援が急がれる。