ミサゴ(鶚)という鳥がいる。猛禽類。英語ではオスプレイ(osprey)。水辺に生息し、空から魚を探し、見つけると水中に飛び込み、足で捕獲する。ウオタカ(fish hawk)とも呼ばれる。
この写真は、「オスプレイ」という名で知られる高速強襲輸送機MV22の置物である。ベル社とボーイング社の共同開発。離発着時はヘリコプターになり、上空にいくとプロペラを水平に傾け、固定翼機のように高速で水平飛行できる。この輸送機の配備が、「復帰40年」を迎えた沖縄の焦点になっている。「講和条約発効60年と沖縄本土復帰40年」については、「わが歴史グッズ」シリーズで論じた。今回は、『朝日新聞』5月11日付の記事に注目したい。見出しは「オスプレイ直接沖縄へ」「本州一時配備を撤回」である。
日米両政府は、「オスプレイ」を7月中旬、那覇市内の米軍港湾施設に持ち込み、3カ月間試験飛行と安全点検をしたうえで、10月に普天間飛行場に配備することを決めた。最終的に24機に増やすという。政治部記者が事実をそのまま書き連ねただけの記事だが、その淡々とした筆致が私の怒りをかき立てた。「両政府は当初、沖縄の地元感情に配慮し、本州に一時駐機させた後に普天間に配備することで大筋合意。本州では山口県の岩国基地などを候補としていたが、同県の二井開成知事が反対を表明していた」。つまり、沖縄に配慮して、安全点検などを他県で行おうとしたが、地元の反対が強いので、そのまま沖縄県に持ち込むというものだ。岩国基地以外の候補地を数カ所検討したうえで、それでもだめだから沖縄県へ、ではない。この安易で簡易な手法が、沖縄に対する「構造的差別」のあらわれと受け取られるのである。「危険物 まず沖縄に 配備する」(「朝日川柳」西木空人選『朝日新聞』5月15日付)。
ところで、この「オスプレイ」について「直言」で最初に触れたのは15年前、「海上ヘリ基地建設の愚行」(1997年11月10日付)であった。名護市辺野古に建設予定の施設は当時「海上ヘリポート」と言われていた。そのまやかしを批判する脈絡で、ここにいずれ「オスプレイ」も配備されるだろうと書いた。沖縄県知事選挙後の1998年11月24日付「直言」でも、「米軍が一番ほしいのは、MV22オスプレイという垂直離着陸機の初の海外展開基地である」と指摘した。また、「オスプレイの沖縄配備は米海兵隊の殴り込み機能を格段に高めるもので、まさに質的軍拡である」とも書いた(1999年2月8日付「直言」)。九州・沖縄サミットに関連した「直言」でも「オスプレイ」について言及した。このように、私は15年前から一貫して、この飛行機の「危なさ」を指摘してきた。それは二重の意味においてである。
第1に、この飛行機の性格である。機関砲もミサイルも搭載していない。兵員や装備を運ぶ輸送機だが、災害時に被災地に飛び、負傷者を高速で病院に搬送できるという理屈も立ちそうである。だが、この飛行機の特徴は、数百キロ遠方に、ある程度の量と質の部隊を、昼夜を問わず、迅速に集中投入できる点にある。オスプレイ1機で24人の兵員を運べる。155ミリ榴弾砲を吊り下げたまま飛行できる。従来のヘリによる空中機動作戦では迫撃砲程度だったものが、重火器を組み合わせた作戦が可能となった。2007年6月11日付「直言」(「二つの“22”とニッポン」)のなかの数字だが、海兵1個大隊(975人)を75海里(約140キロ)離れたところに一定の重火器を含めて展開するには、オスプレイ1個飛行隊(12機)の4回飛行、3時間で可能という。地上基地からだけでなく、空母部隊との連携で運用すれば、どこの地域にも緊急展開できる。その意味で、単なる輸送機が配備されるのではない。海兵遠征軍の殴り込み能力が格段に強化されるという意味での「危なさ」である。
第2は、騒音と事故の「危なさ」である。垂直離発着時の騒音は凄まじい。静謐な環境は確実に脅かされる。2011年10月、名護市辺野古の基地予定地の環境影響評価をめぐって、当時の一川保夫防衛大臣が、「オスプレイを評価書の中でしっかり評価することで作業を進めたい」と言ってしまった。この人も(田中直紀現防衛大臣と同様)、基地や沖縄のことはほとんど知識のない「素人大臣」だったため、言葉の意味が理解できていなかった。当時沖縄では「辺野古での使用機種をオスプレイに変更することを初めて公式に示した」と厳しく受けとめられた。
事故の確率も他の航空機より高いと指摘されている。別名「未亡人製造機」。2012年4月11日の事故での2人死亡を加えると、米軍人計36人が命を落としている。この映像は、オスプレイの事故の瞬間である。垂直離陸して空中で水平飛行という二兎を追う構造のため、垂直飛行では、輸送ヘリコプターのような安定感がないことがよくわかる。もちろん、戦闘機でもヘリコプターでも墜落の危険を伴う。だが、一度自分の目や耳などを使って体感すればわかるが、人口密集地域にある普天間飛行場のひどさは尋常ではない。8年前、ゼミ学生とともにヘリ墜落まもない沖縄国際大学を訪れた。真っ黒に焼けた木々や校舎の壁、焦げた臭いはいまも鮮明に蘇ってくる。東京に戻ってすぐにNHKラジオ「新聞を読んで」でもそのことを熱く語った。その普天間飛行場に「オスプレイ」が配備される。そのことの意味を、沖縄県以外に住む人々は、もっと自分や家族の生活に引き寄せ、想像力を発揮して考えてほしいと思う。
政府は安全、安全というが、「本当に安全な機種なら、日比谷公園か、新宿御苑みたいな所に持って来られるのか」という仲井真弘多沖縄県知事の言葉は、都内の地名の選択を含めて、今回特に重く響く(『朝日新聞』5月11日付夕刊)。日比谷公園の周囲は霞が関・永田町である。皇室の「御料地」であり、大正天皇と昭和天皇の葬儀(「大喪の礼」)が行われた「新宿御苑」という地名の選択には、「皇居に…」という皮肉までは言えなかった知事の思いがにじむ。
なお、東京では報道されなかったが、九州各県議会議長会も16日、大分市で会合を開き、オスプレイの普天間配備計画の撤回を求める方針を決定している(『朝日新聞』西部本社版5月17日付)。政府は、それでもオスプレイ配備を強行するのか。
いま、沖縄の怒りは沸点に達しつつある。その「空気」は他県では感じにくい。前述の「オスプレイ直接沖縄」の記事のような、各紙東京本社版の紙面からはわからないだろう。その点、岩波書店の雑誌『世界』2012年6月号の特集「沖縄『復帰』とは何だったのか」は貴重である。私が早大に着任した1996年に岡本厚氏が『世界』編集長になり、先月号までの16年間、その任にあった。今回取締役になった岡本氏とは16年間、『世界』だけでなく、「憲法再生フォーラム」をはじめ、いろいろなところで一緒に仕事をしてきた。今月号は、岡本氏のもとで副編集長を務めてきた清宮美稚子氏が編集長に昇格して最初の号である。一つひとつの論稿が、胸に突き刺さるように迫ってくる。非常に力の入った特集だと思う。先週の法学部と政経学部の講義で、この6月号を読むように学生にすすめた。
特集の問題意識は、沖縄「復帰」にカギ括弧が付いているところに集中的に表現されている。「いま沖縄は、あらためて問うている。日本『復帰=もとの場所・状態に戻る』とは一体何であったのか。明治政府による琉球処分(1879年)という武力併合に連なる『再併合』『植民地化』ではなかったのか、基地の偏在は差別ではないのか、と。それはまた、日本にとって沖縄とは何なのかという問いでもある。近代日本の来歴と安全保障の歪みを一身に受ける沖縄という日本の地域からの言挙げに、私たちはどう応えるのか」。この新編集長の特集前文に示されるように、74%の米軍基地が集中する沖縄県の状態を、「構造的差別」と捉える視点が有力になってきた。日本の他県の人々が、「オスプレイ」という「危険物」の沖縄県への持ち込みを黙認するならば、「構造的差別」の一端に加担することになる。
この写真は、陸上自衛隊オスプレイの144分の1モデルの玩具である。まだ玩具の段階だが、いずれ自衛隊も「オスプレイ」を装備して、西部方面普通科連隊のような緊急展開部隊を運んだり、飛行甲板の広い「ひゅうが」型護衛艦(DDH)や「おおすみ」型の輸送艦(いずれは強襲揚陸艦)とセットで運用すれば、自衛隊の海外展開能力は格段にアップするだろう。日本自身が、紛争地域や不安定地域に緊急展開部隊を派遣する能力をもち、日米軍事協力における地域的、機能的な「分担」をはかるようになる。「オスプレイ」配備は、在日米軍や米軍基地の問題にとどまらないものを持っていると言えよう。
8月22日から水島ゼミの通算8回目の沖縄取材合宿を行う。1期生から、隔年で沖縄県に滞在する合宿を行ってきた。15、16 期のゼミ生たちは、「復帰」40年のゼミ合宿を、特別の思いで準備している。「オスプレイ」の那覇配備が始まった時期でもある。沖縄の「構造的差別」の問題を深く、広く、濃く調べるよう、学生たちを励ましている。
最後に一言。先週、このホームページに「サイト内検索」機能を付加した。試しに「沖縄」と入れて検索すると、私が書いた330件の直言などが出てくる。「沖縄合宿」と入力すると50件がヒットする。この際、読者の皆さんには、沖縄についての私の過去の直言を再読して、「オスプレイ」配備をめぐる構造的問題について考えていただきたいと思う。