夕方、自宅で過ごす時は、NHK東京ローカル「首都圏ネットワーク」(平日18時10分~19時)を流す。この時間帯、民放ニュース番組のグルメ・軽薄路線は見るに耐えないから、落ちついた語り口のNHKローカルにチャンネルを合わせる。4月9日、この番組で、職場における「脱IT化」の動きを紹介する特集をやっていた。「ながら視聴」だったが、途中から見入ってしまった。
番組では、パソコンなどのIT情報通信機器の利用をあえて控えるという「脱IT化」によって、ビジネスのあり方を見直す動きに注目する。
例えば、宮城県の生活用品メーカーでは、個人の机に設置してあるパソコンを撤去。パソコンを一箇所に集中した。在庫管理を担当する女性社員は、約500種類の商品を管理するのにパソコンを使えなくなった。そこで、女性は現場の情報を得るため、これまで話したこともなかった営業担当に直接電話をかけるようになった。そうするなかで、現場との意志疎通が正確に行われるようになり、在庫は減少し、社員が営業戦略にも積極的になったという。
印象に残ったのは、電話で在庫の確認を依頼されたその女性社員が、一端電話を切って、歩いて倉庫に向かい、在庫状況を直接目と手触りで確認していたことである。もちろん、規模の大きな事業所や、倉庫が遠方にある会社では、こんなやり方は困難だろう。それを承知の上で、番組があえてこの手法に注目したのは、「在庫」という二文字で表現されるものをパソコン上の抽象的な数字で表現するのではなく、「売られるのを待つ製品」を実際に五感で確認する手続きを経ることの大切さではないだろうか。倉庫にうずたかく積まれた段ボールのリアリティはすごい。営業担当に在庫量を伝える声にも、おのずと迫力が増す。「在庫の顔」が見えれば、営業にも力が入るというわけである。
次に番組が紹介したのは、東京・渋谷区にあるIT企業で、会社向けの業務用ソフトを開発している。この社長はIT分野に長けた人物で、16年前に会社を作り業績を伸ばしてきた。しかし近年、会議にパソコンを持込み、画面にかじりついて、議論に参加しない社員が増えてきたことに気づく。そこで社長は決断。会議へのパソコンの持ち込みを禁止した。それから半年後、徐々に社員同士の議論も活発になってきたという。また、電子メールに頼った連絡手段を見直した結果、業務内容にゆとりができ、社員の仕事もはかどるようになったという。社長は「IT機器の利用が急速に進む今だからこそ、パソコンや電子メールの使い方を根本から見直す必要がある」と語る。
ただ、パソコンを会議に持ち込まなくなったから、電子メールを制限したから、仕事がはかどるようになったというような単純な話ではないだろう。問題は、パソコンに依存しすぎ、またメールに依存しすぎたために失われたもの(こと)に気づき、それを地道に「回復」させていったことだろう。「IT時代」の現実を踏まえれば、ITをまったく無視することはできない。この番組が言わんとするところは、「反IT」でも「非IT」でもなく、「無IT」でも「嫌IT」でもなく、「脱IT依存」ということになるだろうか。ITでのし上がってきた社長が、IT企業の「脱IT化」を語る。その言葉は重い。
大学も、IT化がすさまじい勢いで進んでいる。学生気質もかなり変わってきた。かつては年度末になると、自宅に速達でレポートを送りつけ、「単位認定のお願い」をしたり、また、研究室の前で待ち伏せし、内定取り消しになるからと「直訴」したりと、学生の筆跡や顔の表情を感じさせる関係がそこにあった。今は100%メールである。
IT化の進行により、教員が行うサービスの内容も、8年前までに名誉教授になられた方々が聞いたら目をむくほどの量と質になっている。「講義欠席しちゃったので、何をやったか教えてください」なんて携帯メールが届いて怒っていた頃の自分が懐かしい。教室における携帯電話の着信音を真面目に論じていた頃が嘘のような現状がある。赤ん坊の頃にWindows 95があった世代、物心ついたときから携帯電話があった世代、要するに「ITがあたりまえ」の学生たちを相手にしているわけである。とりわけここ4年ほどの変化が激しい。教室環境も、教員と学生とのコミュニケーションも、教員と職員(大学の事務部門)との関係も、それまでとは大きく変わった。
私の大学では、この間、授業支援ポータル Waseda-net Course N@viというシステムが普及して(させられて)きた。授業運営を、パソコンを軸にやる。具体的には、履修者への教材配付から、レポート、小テスト、出席管理、チャット(ネット上での教員、履修者間のディスカッション)等々、授業に付随するさまざまな機能が揃っている。全学教務部はこれを活用せよと盛んに言ってくるが、私はこれを使わないと宣言している。授業運営の「脱IT依存」の実践である。資料は印刷した紙で配付するし、出席も直接教室で教務補助(TA)の院生がとる。質問もメールでは答えず、教室などで直接答えるようにしている。あるいは、講義のなかに反映させる。学生からの声には、ITに依存しきらない方法を工夫していきたいと思う。
だが、近年の学生たちは、入学したその時から、教員からITサービスを受けられると大学から宣伝されているから、当たり前のようにサービスを求めてくる。IT経由の学生への過剰なサービスのために、真面目な教員はずっとパソコンの前に座り続けることになる。私のゼミのOBやOGに話すと、このようなやり方や、それを当たり前のように受ける学生の姿勢に驚く。よかれと思って導入されていくのであろうが、このようなサービスが、とうの学生にとっても、また教員の研究・教育面でも、必ずしもよい影響を与えていないのが悩ましいところなのである。
2012年前期(春学期)の試験の時期が近づいている。答案の採点はいつものように1000枚を超える。私は、採点結果は紙の採点簿で提出しているから、Course N@viで出すよりも締め切りが短い。それでも、定年まで伝統的なやり方でいくつもりである。しかしながら、「コピペ」(コピー・アンド・ペースト。ネット上の他人の文章を複写・切り貼りすること)や「模解」(ネット上に、私の担当科目の答案やレポートのサンプルも存在するらしい)が広まり、ワンパターンで同じ論旨の答案が目立つのは残念なことだ。簡易で安易な検索エンジンの影響も大きい。
近年普及してきたパワーポイントについても、私は問題を感じている。分野やテーマによっては、その活用は有効だろう。それは否定しない。だが、私自身は、今後とも、講義でも講演でもこれを使わないでいく。それは7年前の直言「個人のコンピューター(PC)からの自由?」ですでに指摘している。
パワポは、きれいな画面を出して、論点も見事に整理される。確かにわかりやすい。だが、人間の思考が画面に支配されて、しっかり聞いて、考えるということが疎かになっているように思うのである。話す側も聞く側も、画面を「見る」ことにどっぷり依存してしまい、講師(教員)の口から出てくる言葉をしっかり書きとめ、それに基づいて思索するという面が弱くなりはしないか。ゼミでも、安易なパワポ依存を戒めており、私自身は、今後もパワポは使わないでいきたい。
さて、冒頭で紹介した「首都圏ネットワーク」で紹介されたIT企業の「脱IT化」のように、ITで商売しても、社員同士のコミュニケーションや会議などにアナログ的なもの、人間的なものを活かしていくという社長のやり方に共感を覚える。大学のIT化の現状を見直していく上でのヒントがそこにある。
私はパソコンで原稿は書かない。ブログもやらないから、このホームページのことを「水島朝穂のブログ」と書くことはやめてほしい。ツイッターやフェイスブックに手を出すこともないだろう。今後とも、ホームページを使って発信していくつもりである。これが現状においての自分のギリギリのIT依存回避の線引きと思って。「読まざる、書かざる、考えざる」という「新三猿」にならないように、ネットを利用したさまざまな便利ツールに過度に依存した生活から「リハビリ」の必要性を再度強調しておきたい。
なお、大学におけるIT化の急速な進展の背後には、財界や文部科学省、「世間の声」に時には過剰に、時には先回りして応えてきた大学のありようの問題があるが、これについては、今回は触れない(拙稿「『消費者サービス』と『博士多売』の世界―わが体験的大学論」『現代思想』(青土社)2012年4月号・特集「教育のリアル―競争・格差・就活」所収参照。
《付記》地下鉄南北線・王子駅階段下の伝統的な伝言板。書き込まれた形跡がなかった。2010年6月5日撮影