台風14号と15号が接近するなか、8月22日から25日まで沖縄に滞在した。この15年間、隔年で実施してきた水島ゼミ沖縄合宿、その8回目である。
今回も学生たちは自分たちでテーマを決めて、最終的にオスプレイ配備と「構造的差別」問題、地位協定問題、基地の跡地利用問題、八重山教科書問題、平和教育問題の5つの班に分かれて、県内各地(離島を含む)を取材してまわった。その間、私は、沖縄タイムス社で講演したり(記者対象)、取材に応じたりしていた(「強行配備への警告」(2)『沖縄タイムス』2012年8月30日付インタビュー記事掲載)。
講演会後の懇親会で、編集局次長から、「先生、27日の月曜まで帰れないですよ」と真顔で言われた。すでに八重山班には、取材の途中打ち切りをアドバイスし、本島に移動させていたが、その本島にも台風が迫っていた。
8回の合宿のうち、台風の直接の影響を受けたのは、風速57.4メートルを体感した2002年合宿と、予約した便が欠航したため24時間遅れの沖縄入りとなった2004年合宿だった。今回は沖縄気象台が異例の記者会見を開き、過去にない「最大級の警戒」を呼びかけたが、風雨が強まる前に取材活動の大半を終えた班が多かったため、予定した取材日程をこなして無事帰京することができた。私たちが帰京した直後から飛行機の欠航が出始め、26日は全便欠航となった。台風下に残留したゼミ生8人も、ホテルにこもって台風の通過を待ち、飛行機の運行が始まった28日以降、全員が無事帰京した。
ところで、滞在中、さまざまな方から、「15号は今までの台風とは違う」ということを聞いた。中心気圧が910ヘクトパスカル、瞬間最大風速70メートル。沖縄の人々でも体験したことのない台風だという前評判だった。ところが、実際の被害はさほど大きくはなく、最大風速も40メートル程度だった。なぜ、予想が外れたのか。
8月27日9時のNHKニュースは、「壁雲」という発達した雨雲が原因とする気象庁の分析を伝えていた。通常、発達した台風では、強烈な風が外側から中心に向かって吹き込み、「眼」付近に上昇気流を発生させる。これが「眼」周辺にリング状の「壁雲」を発達させ、周辺から吹き込む風を遮るため、台風の中心部は風が弱くなる。今回の台風15号では、北部の名護市で、26日夜の台風通過の直前、3度に渡って風が一端弱まる時間帯があったと報告されている。
NHKニュースでは、「眼」周辺に3本以上林立する「壁雲」のイラストを流した。風速70メートルと予想されていた強烈なパワーが、中心付近に何層もの「壁雲」を発生させて、逆に自らの破壊力を抑制する結果になったわけである。初めて知った「壁雲」という言葉とその意外な効果。いろいろな意味で興味深い。
合宿の間、迫り来る超大型台風に緊張がゆるむことはなかったが、同時に、尖閣諸島に近い沖縄(1つの班は石垣島)に滞在していたこともあって、尖閣諸島問題について、東京とはまた違った臨場感があった。例えば、『八重山日報』8月24日付には、水島ゼミ生の石垣来島を報ずる記事の横に、中国海軍少将が「尖閣諸島の中国領有権を主張するため、周辺で操業する日本の漁船を積極的に拿捕するよう提案していた」という独自取材に基づく記事が掲載されている。地元漁民たちの「身近な海」の緊張が伝わってきた。
いま、この国は「全周トラブル状況」にある。ロシアとの北方領土問題、米国との「沖縄基地問題」、韓国との竹島(韓国名「独島」)問題、北朝鮮との拉致問題、中国・台湾との尖閣諸島問題である。さらに、太平洋諸国・地域とは、震災瓦礫や原発放射能漏れによる海洋汚染問題もある。日本政府は、そのいずれについても、まともに対応できていない。とりわけ韓国と中国との間では、「領土問題」という最も古典的な国家間紛争の形に仕立てることを許している。
竹島問題も尖閣諸島問題も、いまに始まったことではない。日韓、日中・日台との間での長年にわたる争点であるが、それがナショナリズムの鎧をまとい、国民相互に不信感を煽り立てるような最悪の構図で、「同時多発的に」に問題化している。この時期、このタイミングで、なぜ「島」の問題が突出してきたのか。
竹島問題について言えば、ロンドン・オリンピックでサッカーボールをめぐって行われた国家間抗争の熱い空気の消えないうちに、閉会式3日前というタイミングを選んで、李明博大統領が竹島に上陸した。ボールを島にかえての「抗争ゲーム」。大統領任期はあと半年を切った(2013年2月まで)。実兄や側近が収賄容疑などで逮捕され、支持率は地に落ちている。歴史上、最も安易で簡易な支持率獲得の方法は、ナショナリズムを昂揚させて他国との対立を煽ることである。絵に描いたような出来の悪い演出で、大統領は「竹島問題」を急浮上させた。
冒頭の写真は、私が7年前に韓国公法学会で講演した折に、ソウル駅のコンコースで撮影した竹島(「独島」)問題の展示である。歴史教科書問題のパネルも竹島問題とセットで展示されていた。この問題はずっと尾を引いていたが、大統領が自ら上陸するという過激な行動に出たため、今までで一番こじれた形になってしまった。
韓国の国内事情だけでない。この間の日本の対外政策は、「日米関係が緊密であればあるほど中国、韓国、アジア諸国とも良好な関係が築ける」(小泉首相〔当時〕)という言葉に象徴されるように、対米追随政策一辺倒で、周辺諸国とのきめ細かい関係を築く姿勢に欠けていた。鳩山内閣の「東アジア共同体」構想は生煮えだったが、「日米同盟」オンリー路線からの脱却への萌芽はあった。しかし、その後の民主党政権(特に野田内閣)は、自民党以上に自民党的な政策を追求してきた。韓国大統領の竹島上陸(8月10日)は、北方領土へのメドベージェフ首相の上陸(7月3日)と同様に、そうした日本政府の対外政策の混迷が引き出したものと言えなくもない。
島根県は、県庁に竹島資料室を設置。「かえれ島と海」という展示をしている。写真は昨年9月の憲法理論研究会松江合宿のおりに訪問したものだが、島根県の活動は一般の目には触れにくい。ここまで国家間の問題としてこじれた以上、日本政府がとるべきことは、国際世論に訴えることと、韓国の良識的な世論に届く言葉を発することである。そのためには、領土の「固有性」をただ繰り返すだけでは説得力がない。日本海の海洋資源の共同開発などさまざまなチャンネルを拡張して、より広い視野から解決策を追求していく必要がある。
その点で、第三者的な立場による仲裁も必要となる。それゆえ、政府が国際司法裁判所(ICJ)への付託を行うことは一応評価できる。ただ、ICJは、両当事国の同意による付託、あるいは原告の国に対して被告の国が同意した場合にだけ審議がスタートする。被告になる国が拒否した場合には、審議に入れない。国際司法裁判所規程36条2項の「選択条項受託宣言」をして、強制管轄権限を主張できる場合もある。その場合、応訴は義務となる。日本は2007年7月に、この宣言を行っている。だが、韓国や中国はこの宣言を行っていない。だから、これらの国の同意がなければ、日本だけではICJの判断を求めることはできない。その場合でも、当該裁判に応じない理由の説明を求められて、韓国も国際法的根拠や歴史的理由づけなどを「語る」というステージに乗ってくる可能性がある。そのとき、お互いの理解に向けての具体的な議論が始まる。インターネット時代である。世界のすべての市民が、この問題の経過や状況をネットで確認することができる。ここまでこじれてしまった関係をほぐしていくには、これまでの日韓の「対話の不在」という事情もあり、ある程度の時間は必要だろう。「考え直す時間」「頭を休めるための休憩」(Denkpause)である(直言「『考え直すための時間』と外交」)。
この竹島問題に比べて、尖閣諸島問題は性格が異なる。尖閣の場合は日本が実効支配をしているというだけではない。1971年頃に海洋資源が発見されるや、突如として中国政府は尖閣諸島だけでなく、南沙諸島などでも周辺諸国に対して強い領土主張を展開しはじめた。その意味で、尖閣問題は単なる「日中問題」ではなく、中国と周辺諸国との同時多発的紛争の一環と言えるだろう。だからこそ、中国に対して「目には目を」(ナショナリズムにはナショナリズムの突出で)ではなく、ASEAN諸国などと連携して、冷静に対応していくことが求められるのである。
やっかいなことに、中国では、表現の自由をはじめとする市民の権利・自由が著しく制限されている。一党独裁と、世界有数の格差社会とが合体した国の場合、政治的・経済的矛盾はやがて党・政府に向かってくる。それを避けるためには、「矛盾のベント」が必要となる。それが「反日デモ」という形をとって、間欠泉のように吹き出しているのである。前回の高まりは2005年5月だった(直言「『反日デモ』とペットボトル」参照)。
「最大級の台風」の接近を沖縄で体験するなかで、尖閣の問題を考えた。70メートルの風をブロックしたのは、台風の眼の周辺にできた何層もの「壁雲」だった。名護市での風の吹き方からも、「壁雲」は少なくとも3本はあったようで、それが特大級の強風を阻止したのだろう。中国は、超大型の台風だとすれば、その強風のパワーをまともに受けると被害も大きい。周辺諸国とともに、たくさんの「壁雲」を林立させて、風の勢いを抑えることが重要だろう。
2年前の中国漁船衝突事件では、日本政府の稚拙な対応が記憶に新しい。尖閣問題については、中国政府・党に口実を与えないような、慎重かつ冷静な対応が求められる所以である(『アエラ』2012年9月10日号がスクープした海保「尖閣対応マニュアル」参照)。
なお、数年前、岩波書店での「憲法再生フォーラム」で一度ご一緒したことのある孫崎亨氏(元外務省国際情報局長、元防衛大学教授)の著作、『日本の領土問題――尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)、『不愉快な現実――中国の大国化、米国の戦略転換』(講談社現代新書)、『戦後史の正体――1945-2012』(創元社)をおすすめしたい。
《付記》「『安全・安心社会』の盲点」(3・完)は、都合により次号(9月10日)にアップします。ご了承ください。