いま何を言っても、何をやっても、「向かうところ敵なし」の勢いなのが橋下徹大阪市長だろう。メディアの病理と生理を知り尽くしているからこそ、その操縦も巧みである。
『週刊文春』に過去の女性問題を書かれたときの記者会見は、特に印象的だった。大阪市のロゴの入ったパネルを前にして記者の質問を受けていた橋下氏は、質問が女性問題に及ぶや、「場所を変えましょう」と言って、近くの普通の壁の前に移り、そこで質問を続けさせた。ほんの一瞬のことだが、その壁の前に立つや、何を問われようとも、「家庭内のことですから」を繰り返し、それ以上立ち入らせなかった。妻に詫びることを述べたあたりでは、記者から笑い声がもれた。普通、こういう場面では、記者はますます居丈高になって突っ込むものだが、この人の前では軽くあしらわれていた。
それにしても、「瞬間的空間移動」は見事だった。テレビの映り方を実によく心得ている。大阪市のロゴをバックに「家庭内のことですから」と言っても、視聴者は「市長のスキャンダル」という印象を受ける。ところが、普通の壁の前だと、それが「個人の問題ですから」と言い張れる空間に変わる。この瞬間移動で、橋下氏は「公と私」を分けたつもりだろうが、家族については一切表に出さず、「これから家でものすごいペナルティーが待っていますから」というチャフを放つだけで、「私」の部分の情報は極力遮断する。9割方の政治家はこうしたスキャンダルで消えていくが、橋下氏は易々と乗り越えた。よき危機管理アドバイザーがいるというよりも、橋下氏自身のマスコミ操縦術の方が長けているということだろう。ちなみに、この問題で、橋下市長の支持率が下がることはなかった。
さて、このようなタイプの権力者は、「民意」「税金の無駄遣い」「国際社会に通用しない」といったメディア受けする単語を巧みに繰り出し、あらゆる領域に容赦なく切り込んでいく。橋下氏はすでに、「大阪市職員アンケート問題」で、市の職員を震え上がらせている。アンケート結果は公表されなかったが、職員組合の力は落ち、アンケートを行ったというだけで効果をあげたわけである。「入れ墨問題」のように、これまでの権力者ならおよそ踏み込まなかった領域にまで徹底的に攻め込んでいる。学問や芸術、文化の世界にも、彼は悩むことなく介入している。
大阪市立大学と大阪府立大学の統合問題は、一般にはほとんど伝わってこない。石原慎太郎東京都知事が東京都立大学に介入して、これを解体。「首都大学東京」へと変貌させたとき、これに抵抗する大学人がいた。だが、 大阪では、橋下市長の統合の指示が出るや、市大学長が、「大阪市や大阪府とも精力的に調整を進め、一丸となって実現をめざす所存です」と決意表明している。「大阪都」構想とリンクさせて、この統合した学校法人の名称は「大阪都立大学」になるのだろうか。大学の自治はたそがれ、そこに残るのは大学という残像でしかないのか。
ちなみに、横浜市立大学を、まず教員研究費ゼロから始めて締め上げ、変質させ、途中で市政そのものを放り出した元横浜市長(松下政経塾10期生)が特別顧問をやっている大阪市だから、学問の世界への恣意的、思いつき的介入手法は推して知るべしかもしれない。
従来の権力者は、芸術や文化の世界については、内容規制に可能な限り抑制的な態度をとってきた。だが、橋下氏はあっけらかんと内容に踏み込んでいく。メディアがそれを批判的に取り上げることは少ない。橋下的手法は、血祭りにする対象を特定して、徹底的にメディアに露出させる。まずは伝統芸能の文楽がターゲットにされた。
『毎日新聞』7月27日付は、「橋下市長『文楽、演出不足だ』」「古典鑑賞後に苦言」という見出しを付けた。これは本当にひどい記事だった。
記事によると、橋下市長は、文楽協会への補助金凍結を決めたが、7月26日に国立文楽劇場で、近松門左衛門原作の「曾根崎心中」を鑑賞した。記者団には、「古典として守るべき芸だということは分かったが、ラストシーンがあっさりしていて物足りない。演出不足だ、昔の脚本を使うな」と語ったという。2009年の大阪府知事時代に鑑賞した際には、「僕は二度と見にいかない」と酷評したが、この日は、「国民に伝統芸能と感じてもらうためには楽しんでもらわないといけない。タブーのある世界は率直な意見が出にくい」と指摘し、ファン開拓のため脚本や演出を現代風にアレンジするなどの工夫を求めたそうである。
すでに市は2012年度の補正予算で、文楽協会への補助金を2011年度よりも25%もカットしていた。そして、技芸員(演者)が公開での面談に応じなければ補助金を支出しないとして、非公開の面談を求めた協会側と対立してきた。この日、市長が技芸員の楽屋を訪れ、非公開で懇談したが、その場でも公開の面談を改めて要望したという。橋下氏と懇談した一人は、「橋下さんは、面白いものを作ったらお客が来る、と言っておられますが、それもどうかな」と語ったという。「曾根崎心中」は1955年に復活されたもので、台本や曲、演出は当時のもの、と記事は書く。この記者の文章には、市長が特定の文化や芸術の世界に対して露骨に内容的注文をつけていることに、何の問題意識も感じられない。
他方、『東京新聞』9月9日付一面トップには、日本文学研究のキーン・ドナルド氏(今年3月に日本国籍取得。90歳。同紙はドナルド・キーンを日本語読みにしている)のインタビュー記事が掲載されているが、その見出しは「文楽補助金カット間違い」である。「文楽は世界に誇る日本の宝。外国人だった時は、お客さんなので、文句を言うのは失礼だと思っていましたが、今は日本人。『大阪の政治家の判断は間違っている』とはっきり言います」。「生まれたときから日本人」ではなく、日本を徹底的に研究し、日本を深く愛する日本文学の専門家で「日本人になった」人の言葉は重い。
日本で有数のオーケストラの一つ、大阪フィルハーモニー交響楽団に対する補助金もカットされている。橋下氏は大阪府知事時代に大阪フィルに対して、6300万円の府補助金を全額カットした。市長になってからは、大阪市の補助金1億1000万円を凍結した。その後、削減幅は10%にとどめ、約1億円を支給する方針に転換した。その理由は、「3年の準備期間を置く」という市特別参与の提言を尊重するということだった(『産経新聞』2012年6月20日付)。ブレーンたちも急激な削減はやばいと考えたに違いない。
私と大阪フィルとの関係は、指揮者・朝比奈隆なくしては考えられない。大阪フィル内に事務局のあった日本ブルックナー協会の会員でもあった(会員番号505)。14年前、新幹線で中之島のフェスティバルホールでの大阪フィルコンサートに行ったこともある。ボン大学での在外研究中、お世話になったJ.イーゼンゼー教授に朝比奈・大阪フィルのCDをプレゼントして、教授から絶賛を受けた。また、滞在中、オーストリアのリンツ近郊の聖フローリアン修道院まで行って、ブルックナーの墓に詣でたこともある。1975年、その修道院で、朝比奈・大阪フィルがブルックナーの交響曲第7番ホ長調を演奏した。第2楽章と第3楽章のわずかな隙間で、教会の5時の鐘が鳴り出し、朝比奈はしばし指揮棒を止めて鐘に耳を傾けるという感動的なエピソードが残っている(朝比奈隆『楽は堂に満ちて』中公文庫参照)。当時のオーストリア各紙の音楽評は絶賛だった。大阪フィルというのは、関西のオーケストラ、日本のオーケストラにとどまらない存在なのである。
その大阪フィルがいじめられている。上記のような事情もあるため、私はかなり怒っている。橋下市長は、「税金による補助を受けていない交響楽団は山ほどある」という。大阪市が大阪フィルに補助を始めた頃は、プロの交響楽団は大阪フィルだけだった。現在、大阪圏には4つのプロのオケがあるが、関西フィルは企業オーケストラ、日本センチュリー交響楽団は大阪府の管轄、シンフォニカーは堺市に本拠地をもつ。大阪市の所管は大阪フィルだけなのだが、橋下市長は「山ほどある」と言って、歪んだ平等論を振りかざし、補助金を削減している。
音楽をはじめ、芸術・文化に関する予算がきわめて貧困な日本では、オーケストラの歴史は苦難に満ちている。オーケストラとそれを支える人々の大変な努力のなかでかろうじて存続している。諸外国ではオーケストラはその都市で大事にされており、補助金もおしまない。橋下市長のように、「民意」と採算性を振りかざし、古いもの、面白くないものは退場せよ、と迫る。「演出不足だ、昔の脚本を使うな」と文楽に対して毒づいた橋下市長なら、「ブルックナーなんか古い」「もっと若者が来るようなプログラムにしろ」などと言いだしかねない。もし朝比奈隆が生きていたら、このお調子者に対して、「馬鹿もの!」と一喝したことだろう。
欧米の例にあるように、超一流の富豪は、演奏家のやることに口を出すことなく、コンサートホールを寄贈したり、楽団の維持費を負担したりしてきた。行政のオーケストラに対する補助も手厚い。ケチで無知で、やたらと口を出す権力者は、表現の自由のない独裁国家に多い。特にスターリン時代の党官僚が典型である。
『ショスタコーヴィチの証言』(水野忠夫訳、中央公論社、1980年10月)は、発売されたその数日後に読了した記憶がある(この書についての真贋論争があるが、ここでは立ち入らない)。私にとって、衝撃的内容だった。例えば、それまでロシア革命を讃えた曲とされてきた交響曲第5番ニ長調が、スターリン体制で非業の死をとげた人々に対する墓碑としての祈りを込めて作曲されていた。また、ヒトラーとの戦い、反ファシズムの見本のように言われてきた交響曲第7番ハ長調「レニングラード」が、実は「スターリンが破壊し、ヒトラーがとどめの一撃を加えたレニングラードのことを主題としていた」等々。
ショスタコーヴィチは、オペラ劇場を閉鎖したジノヴィエフ、労働者を鼓舞するような具体的な音楽ではなく、純粋音楽、抽象的な曲の存在を認めない文化担当人民委員、ジダーノフらの恣意的な芸術破壊を告発していく。特にレーニンは独特の音楽観をもち、「音楽を聞くと気が滅入ってしまう」と断言したため、労働者・人民の「役に立たない」「面白くない」曲を作った作曲家がまた一人、また一人と消えていった。ショスタコーヴィチ自身、「本日、人民の敵ショスタコーヴィチのコンサートが開かれる」と新聞に書かれたこともあったという。
文楽の鑑賞後、橋下市長は「僕なら二度と見にいかない」と言ったが、これは、ショスタコーヴィチが唾棄する、スターリン体制下の薄っぺらな党官僚の言動と重なる。
ところで、『日本経済新聞』9月5日付一面コラム「春秋」には、「僕」についてこんな記述がある。「『僕』という一人称は幕末動乱期に志士たちが使いはじめ、世に広まったという。昨今、ひんぱんに『僕』を口にする人といったら橋下徹大阪市長だ。維新だ八策だと志士みたいな橋下さんだから『僕』はお似合いで、『僕の感覚』なる言い回しもしばしば飛びだす」と。
今後、無邪気な「僕」たちの中央政界進出により、スターリン体制下の文化担当人民委員のような「僕の感覚」により、芸術・文化の世界に対する恣意的介入が強まっていくことが危惧される。
9月12日、新党「日本維新の会」が結党宣言を行った。英語表記はJapan Restoration Partyだが、フランス(restauration)やドイツ(Restauration)でこれを名乗ったら「王政復古」党である。ドイツの新聞は「欲求不満の中間層の党」という見出しをつけ、「右翼ポピュリストの原発批判派橋下徹が日本で新党を設立した」としている(die taz vom 10.9.2012)。