前回の直言では、橋下徹大阪市長について、特にその文化・芸術政策への「僕の感覚」的介入の危うさについて具体的に指摘した。その橋下氏を代表とする新党「日本維新の会」が9月12日、結党宣言を行った。これを『読売新聞』2012年9月13日付だけが1面トップで伝え、『朝日新聞』は1面に載せなかった。
政党というものは、その理念や基本方針を示す「綱領」と、組織のあり方と仕組みについて定めた「規約(党則)」を必ず備えている。新党届け出には党の綱領や規約(党則)となる文書が必要となるが、「日本維新の会」は準備が間に合わなかったらしく、総選挙の公約集「維新八策」を党綱領であると言いだした。「維新八策」は、『読売』9月4日付が初めて報道して、一般に知られるようになった。内容は「僕の感覚」でいろいろな単語が並べられているだけで、中身はスカスカだ。
例えば、首相公選制の導入をぶちあげても、「人気投票的になることを防ぐ方法を措置する」とあるだけで、統治形態の重要問題にも関わらず、他の施策との整合性がとれていない(特に一院制、衆院定数を半減との関係)。地方交付税の廃止、消費税の地方税化、教育委員会制度の廃止、教育バウチャー(クーポン)制、TPPへの参加、憲法改正発議要件を3分の2以上から過半数にする等々、真新しい主張はほとんどない。対外政策と教育政策は自民党右派、経済、財政、社会政策は、新自由主義を最も鮮明に打ち出す「みんなの党」の主張と重なる。こうした寄せ集めの公約集が、1週間たったら党綱領になっていたというわけである。
規約(党則)に至っては、結党当日には報道各社に伝えられず、4日もたって、『読売』が「15日に明らかとなった」という形で報道した(同紙9月16日付)。それによると、党代表の任期は3年(再選可)。最高議決機関の「全体会議」のメンバーは国会議員、首長、地方議員が等しく1票をもつ。国政選挙における公認権や比例名簿登載順位決定権は「代表が決定する」。党本部は大阪府に置くなどである。どの政党よりも代表の地位と権限が強力であり、文字通り「橋下党」であることがわかる。参加を決めた国会議員からは、地方議員と同格であることへの異論がすでに表明されている。『産経新聞』は、そこに「空中分解の兆し」を見てとる(同紙9月17日付)。
橋下氏は結党翌日の記者会見で、集団的自衛権行使を容認すると述べた(『東京新聞』9月14日付)。「権利があれば当然」という、いたってシンプルな思考である。だが、これと、自民党総裁選に立候補した安倍晋三元首相のこれまたシンプルな思考法が「コラボ」しそうなのが気がかりである(『朝日』9月16日付)。「美しい国」という薄気味悪いスローガンを掲げ、「戦後レジームからの脱却」という体制転換論を声高に主張。教育基本法改正から、集団的自衛権行使容認のための懇談会を設置し、憲法改正国民投票法を強引に成立させ、教科書検定問題で沖縄を怒らせるなど、在任1年足らずでこの国を徹底的に歪めた人物である。参院選の敗北と持病の悪化で首相辞任をしてから、わずか5年で復活とは厚顔無恥も甚だしい。その安倍氏が橋下代表の改憲主張にエールを送っている。これに石破茂氏が加われば、誰が自民党総裁になっても、野田再選と相まって、改憲大連立の可能性が生まれてくる。要注意である。
そんな「日本維新の会」発足、自民党総裁選、民主党代表選というタイミングで、『毎日新聞』が憲法世論調査を公表した(同紙2012年9月15日付)。メイン見出し(2、20面)は「改憲賛成65%」「国政停滞『憲法に原因』57%」「政治不信『改憲』強め」である。「改憲賛成」は、2009年9月の前回調査に比べて7 ポイント上昇し、「過去最高」という。各論では、9条改正に賛成56%、首相公選制に賛成63%、憲法改正要件の緩和(3分の2から過半数へ)に賛成51%…と続く。
他方、集団的自衛権行使についてだけは、賛成43%、反対54%と逆転している。改憲賛成、9条改正賛成でも、集団的自衛権行使には反対が多数を占めた。誘導的設問にもかかわらずこの結果が出たことは、集団的自衛権に関する限り、政府解釈(内閣法制局)を変更するハードルはなお高いことを示している。参議院を廃止して一院制にすることについても、賛成48%、反対46%と拮抗した。
そもそも改憲に賛成か反対かを世論調査で問うこと自体について、私は疑問を感じている。こういう設問で世論調査を続けているのは日本だけだろう。どこの国の憲法にも改正条項がある。日本国憲法96条も憲法改正を予定している。一般的に「憲法改正に反対」ということは、少なくとも憲法を前提にすればあり得ない。問題は、憲法のどの条項を、どのように変えるか、にある。条文の特定と、改正内容の明示なしに、改正に賛成・反対だけを問う世論調査はもうやめるべきである。日本では長年にわたり、憲法改正と言えば9条改正と実質的に同義だったことが背景にあるものの、『毎日』憲法世論調査は、従来のものに比べ、設問にも公表のタイミングにも政局的香りが漂うと感じるのは私だけだろうか。
『毎日』調査は、一般的に改憲に賛成・反対を問うた上で、「憲法改正に賛成」と答えた人に理由を聞いている。その選択肢は5択で、「今の憲法が時代に合っていないから」60%、「今の憲法は米国から押しつけられたものだから」10%、「今の憲法は制定以来、一度も改正されていないから」17%、「自衛隊の活動と憲法9条に隔たりがあるから」8%、「今の憲法は個人の権利を尊重しすぎているから」3%となっている。他方、「憲法改正に反対」と答えた人には同じく5択。「今の憲法が時代に合っているから」9%、「改正するほどの積極的理由がないから」35%、「9条改正につながる恐れがあるから」28%、「個人の権利を制限したり、義務を規定する恐れがあるから」5%、「国民や政党の議論がまだ尽くされたとは言えないから」21%、である。
ここで注目したいのは、「時代に合っていないから」という実に抽象的な理由をわざわざ一番目に持ってきたことである。これは誘導ではないか。どの条文が、具体的に時代のどのような要請と合っていないのかなど、細かく聞けば意見は分かれてくるだろう。アバウトに「時代に合わないから変えるか、変えないか」と聞くことは、かなり安易な設問であると同時に、「合わない」の方向に導かれる傾斜角をもっている。
もっとも、これだけなら『毎日』調査をここで紹介したりはしない。この調査の最大の問題点は、初めて、「国政停滞」と憲法との関係を問うたことである。「与野党の対立が続き、国政が停滞しています。国の統治の仕組みを定めた憲法に原因があると思いますか、思いませんか」。回答は、「憲法に原因があると思う」57%、「憲法に原因があると思わない」が36%だった。
最初私は、この記事(冒頭の写真参照)を見てのけ反った。「景気が悪いのは憲法のせいか」「自殺が多いのは憲法のせいか」「彼女にふられたのも憲法のせいか」…。「みんな憲法が悪いのよ~♪」なのか。
この調査には日本政治史の研究者がコメントしている。タイトルは「ぼんやり『何かを変えたい』」。「少子化が進み、東京電力福島第1原発の事故も起きるなど、国の抱える問題は深刻化している。多くの人が何かを変えた方がいいとぼんやり感じていることは間違いない。憲法も『何かを変える』対象となっているのではないか」。こういう設問を立て、調査として発表することは、結果的に「ぼんやり改憲」を促進することにならないか。
この憲法調査は、30代半ばの中堅女性記者と若手女性記者の2人の署名入り記事だが、設問作りや分析には本社政治部、世論調査部のベテラン記者も当然関わっているはずである。それにしても安易で不適切な設問だった。『毎日』社内での議論と総括が必要ではないか。
櫻井よしこ氏の連載コラム「日本ルネッサンス」(『週刊新潮』8月30日号)は、李明博韓国大統領の竹島上陸と天皇発言について、「非礼韓国に抗する究極の策がある」として、「究極的には憲法改正しかないのである」という。軍事力を普通に使える強い国になることが問題解決の「究極の策」というわけである。今回の『毎日』世論調査は、その設問の稚拙さ(恣意性)と相まって、上記のような「憲法さえ改正すれば」的なシンプル思考と共振してしまう弱点をもっているように思う。
政界だけでなく、このようなメディアを含めた「改憲大連立」の兆しが生まれつつある。これとどう向き合うか。そこで思い出したのが、私が企画・編集に関わった岩波新書の『改憲は必要か』(憲法再生フォーラム編、2004年)である。私は「あとがき」でこう書いた。「〔本書は〕『いまの憲法は悪くはないが、そろそろ変えた方がいいのではないか』と考えている人々に読んでもらいたい。そういう人々と対話をする気持ちで編集しました。改憲について答えがここにあるという『Q&A』ではなく、本書を読みながら読者に『自問自答』してもらいたいという願いを込めて、改憲問題の『Q&Q』を目指しました」(180頁)と。8年前に出版したものだが、この機会に是非お読みいただきたいと思う(故・加藤周一の重要な指摘もある)。
こういうご時世だからこそ、あるいは伝統と良識のある『毎日新聞』までが、あのような世論調査をやってしまう時代であるからこそ、「憲法とは何か」についてしっかり考え、「ぼんやり改憲」の空気に乗らないことが肝要である。(2012年9月18日脱稿)