9月26日夕方から27日午後まで、約21時間、沖縄に滞在した。マスコミ倫理懇談会第56回全国大会で基調講演をするためである。全国の新聞社、テレビ局、出版社など91社が加盟する団体で、編集局長や論説委員長、報道制作局長、出版局長など290 人が集まって、5つの分科会に分かれて議論した。メインテーマは「沖縄で問う 日本の今とメディアの責務」である。
夕方、会場のホテルに到着すると、全体会が開かれるところだった。大田昌秀元沖縄県知事の基調講演を聞いた。「沖縄戦は醜さの極致」として沖縄戦の実態を語り、「安保の下への復帰」としてこの40年を総括。「構造的差別」を自分の問題として捉えてほしいと熱い口調で訴えておられた。印象に残ったのは次の言葉だ(『琉球新報』2012年9月27日総合面・マスコミ倫理懇大田氏講演要旨参照)。
…本土では、基地がなくなれば沖縄の経済が破綻するというが、27の市町村が基地を抱えているのに、今でも失業率は全国平均の2倍だ。基地のない北大東村が県内所得の1番にきている。基地が返還された方が、雇用も税収も上がっている事例がたくさんある。… いま、辺野古に基地を移設して、オスプレイを配備しようとする計画がある。辺野古に行くとおじいちゃん、おばあちゃんが抵抗して座っている。15年間座っている。これだけ生活を犠牲にして座り込んでいるのは、戦争体験があるからだ。子や孫たちに同じ体験をさせてはいけないという強い思いがあるからだ。… オスプレイについても機体が安全であるかどうかは関係ない。配備自体、容認できないというのが沖縄の思いだ。圧倒的多数を占める本土の国会議員が沖縄の問題を自分の問題として考えない限り、遅々として解決は進まない。自民党総裁選に出た、次の総理になるかもしれない人たちが一言も沖縄のことを政策として挙げていないこと自体、日本の民主主義が全く未熟だと言うしかない。…
翌午前10時からの分科会B「沖縄問題の実相――本土復帰40年に考えるメディアの役割」の基調講演で私は、「沖縄の米軍基地問題をどう考えるか――憲法研究者の立場から」と題して100分話した(→レジュメはここから読めます)。司会は加藤新・『週刊新潮』編集部部長と上間正敦・沖縄タイムス社会部長である。参加者に、東京から持参した沖縄米海兵隊関連の「わが歴史グッズ」を回覧しながら、NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」のレギュラー14年間で沖縄について語った時の内容や、名護市民投票(1997年)以降、沖縄を扱った「直言」から11本を選び、沖縄をめぐる報道の問題点と課題をさまざま指摘した。終了後、全国紙の方が、「私がデスクだった時の古傷に思いっきり触られました」と声をかけてこられた。沖縄国際大学ヘリ墜落事件の時、担当デスクとして、これを一面トップにもってこられなかった反省の思いがあるというのである。全国紙やブロック紙、地方紙、あるいはキー局、ローカル局、出版社から参加した人たちが、それぞれの視点で沖縄・日本の米軍基地問題と向き合い、考え、語ることはとても意義があると感じた。
なお、マスコミ倫理懇談会沖縄大会の全体の様子は、新聞各紙がメディア欄などで詳しく伝えている(例えば、『朝日新聞』10月2日付「那覇でマスコミ倫理懇全国大会、地元紙、全国紙の姿勢に『違和感』」など)。私の講演についても、『読売新聞』9月29日付メディア欄と『東京新聞』9月28日付が紹介している。
全国から集まったメディア関係者と沖縄で語り合うなかで改めて思った。抽象的な沖縄があるのではない。使い古された言葉で言えば、日本の総面積の0.6%に米軍基地の74%が集中している現実の沖縄をどう見るか、が問われているのである。
中央政府は沖縄県民に対して、オスプレイ配備への「理解を求める」という姿勢に終始している。だが、今回、県知事と41全市町村長、県議会と41市町村議会が全会一致で繰り返し反対の意思表示を行い、10万人を超える県民が集まって「県民大会」も開いている。冒頭の写真はそれを報ずる地元2紙(9月10日付)だが、よく見てほしい。一面とテレビ欄をぶち抜いている。広告欄を除き、全紙面が「オスプレイ拒否」で貫かれている。「反対」ではなく「拒否」である。生活や価値観が多様化したとされる現代の世の中で、ほとんどの人々が拒否で一致するということは滅多にないことだろう。それでもなお、「理解を求める」(つまり、拒否しないで受け入れろと要求する)ことは、もはや沖縄県民の存在を認めないに等しい。
10月6日、米海兵隊の高速強襲輸送機MV22オスプレイ1 個飛行隊(12機)の普天間配備が完了した。岩国基地に駐機していた先週、水島ゼミ14期生が岩国まで取材に行ったが、その際、彼女はすぐ真上を飛ぶ隊長機(尾翼の片方が赤色塗装)を撮影している。「未亡人製造機」と言われるほどに事故が多く、米軍人36人の命を奪っている因縁の飛行機が普天間にやってきた。
そんな欠陥機を人口密集地域の普天間飛行場に配備することは、普通人の感覚からすればあり得ない選択である。「本当に安全な機種なら、日比谷公園か、新宿御苑に」とは仲井真弘多沖縄県知事の言葉である。
この写真は台風で延期された8月4日の県民大会当日の『琉球新報』別刷の絵である。オスプレイは住宅密集地にやってくる。そのイメージを、基地に隣接する普天間第二小学校の子どもたちの視線から見るとこうなる。沖縄県立石川高校放送部の生徒たちも、「この日常『普通じゃない』」という感覚を率直に語っている(『琉球新報』9月8日別刷参照)。
一方、東京の中央政府の感覚はこうである。防衛省・外務省「MV-22オスプレイの沖縄配備について」(平成24年9月19日)という報告書を見ると、結論として、(1)オスプレイの沖縄配備はわが国の安全保障上および地域の平和と安定のため極めて重要、(2)機体の安全性に特段の問題はなく、他の航空機に比べて特に危険ということはない、(3)人的要因による操縦ミスを防止するため最大限の安全対策をとる必要がある、とされている。これが政府による「安全宣言」の中身である。
報告書は米側の言い分をなぞった部分が多く、「独自」の主張といっても運用に関わる細々したお願いにとどまる。合意事項も、進入・出発経路は可能な限り学校や病院を含む人口密集地域上空を避けることや、事故の起こりやすい転換モードにする場所や時間への注文など、「可能な限り」という言葉が多用されている。これは米側への「好意的配慮」を期待したものにすぎない。すでに那覇市上空で転換モードにする場面が映像で確認されている(琉球新報社撮影→ここから見られます)。全国紙も、「ヘリモードで市街地飛行 オスプレイ運用ルール違反か」(『毎日新聞』10月4日付)と報じている。
上記の防衛省・外務省の報告書には「事故率」への言及もある。オスプレイの事故率が1.93で、海兵隊の平均2.45よりも低いとされていることを基本的に肯定し、「オスプレイの事故率や件数は高い数字ではないとみることができる」と結論している。そもそもこういう数字はあてにならない。基準のとり方によって、いかようにでも数値は動く。加えて、多いか少ないかを論ずること自体、飛行機が落ちてくる住民側からすれば無意味である。沖縄では、復帰後、米軍機事故が522件も起きている。『沖縄タイムス』が県民大会当日に出した特集面を見ると、米軍機の事故で少なくとも32人が死亡しているという。その地図を中部に拡大してみよう。この地図はリアルである。県中部の狭い地域にこれだけ落ちている。47都道府県のうちで、他にこんなところはない。「なぜ、また、沖縄なのか」という疑問は、いま「構造的差別」という言葉と結びついている。「(オスプレイは)配備自体、容認できないというのが沖縄の思いだ」という大田元知事の講演が想起される。
ところで、「保守・革新」「安保賛成・反対」という伝統的な対立図式、あるいは、「尖閣諸島の問題があるからオスプレイは抑止力として必要だ」という議論は、沖縄に限って言えば、ほとんど無意味化したと言ってよいだろう。それを象徴するのが、『世界』最新号(2012年11月号)の翁長雄志那覇市長のインタビューである。
自民党県連幹事長も務めた人物だが、「(オスプレイが)万が一落ちたら、日米安全保障(条約)は吹き飛ぶ。基地の全面閉鎖まで行かざるを得ない。これはもう言わないといけないと思いました」と言い切る。オスプレイ問題が日米安保を揺るがし、再び「島ぐるみ闘争」に発展する可能性を示唆する。尖閣問題とオスプレイを結びつける議論に対しても、その視点は明快だ。曰く。「オスプレイは尖閣を守るためのものではないのですが、領土問題にオスプレイを持ち出して、沖縄の権益を守るんだというすり替えが行われている。…尖閣は沖縄県に属し、日本のものだと私も思っていますが、韓国そして中国と戦後処理の問題が横たわっています。それは沖縄にも共通している課題です。今後の世界経済、日本のあり方を考えても、領土問題は激化させてはならないと心から思います」と。
オスプレイ配備は完了した。米軍の当初計画では36機態勢のようであり、様子を見ながら今後増強されていくのだろう。だが、オスプレイが沖縄を一つにした。翁長市長のいう「オール沖縄」が生まれたのである。まだ大きな動きはないが、これは嵐の前の静けさかもしれない。
27日午後、空港に向かうタクシーで普天間基地やキャンプフォスターなどを回った。普天間ゲート前に座り込む人々と県警機動隊が対峙していた。次回は、「普天間のオスプレイ」の持つ意味についてもう少し考えてみよう。(この項続く)