「東京維新」と大日本帝国憲法――世はアナクロニズムに満ちて(2・完) 2012年10月29日


まこの国には怪しげな空気が漂ってきている。前回に続き、そのことについて書くことにしよう。キーワードは「復古」(Restoration)である。

4期目は都政に関心がなく、「週1度しか登庁しない知事」(一説には週2、3日登庁)として有名だった人物が、あるときは「東京オリンピック」に熱をあげて都民の税金をたくさん使い、あるときは経営不振の「新銀行東京」に1400億もの税金をつぎ込み、またあるときは米国の軍需産業をバックにした保守系財団で講演して「尖閣を買う」と叫んで日中関係を危機的状況に陥らせる原因を作り…、そしてついに突然の記者会見(10月25日)で「都知事を辞職して、新党を作る」と辞表を懐から出す。

 齢80の、とうに引退の年齢に達した石原慎太郎氏をメディアは新人扱いして持ち上げる。およそ政治家が口にできない汚い言葉を頻用する「演説」を、テレビは延々と垂れ流し、翌日の新聞は一面トップで報ずる(26日付各紙)。自分で始めたことをすべて途中で放り出し、「占領憲法の廃棄」を叫ぶ。

 思えば、私が大学2年生の1973年7月、石原氏が発起人となって自民党の右翼議員集団「青嵐会」が結成された。結成時31人の議員たちは、石原氏の提案で、指を切って、会員名簿に血判を捺した(石原慎太郎他『青嵐会―血判と憂国の論理』〔浪曼、1973年〕参照。毎日新聞政治部「青嵐会」担当記者だった河内孝氏の『血の政治―青嵐会という物語』〔新潮新書、2009年〕も参照)。「趣意」6項目中には、「新しい歴史に於ける日本民族の真の自由・安全・繁栄を期するため、自主独立の憲法を制定する」が入っている。

 約40年後の石原氏は、先日の記者会見で、「今の憲法の合法性はどこにあるのか。いろいろな憲法草案が出来ている。それらを合わせて新しい憲法を作ったらいいじゃないか。そもそも占領軍が占領統治のために作った基本法が、独立を果たした後も通用している例が世界にあるか。サンフランシスコ条約で独立したあと、あの憲法を廃棄して新しい憲法を作らなかったのが吉田茂の誤りだった」等々、「青嵐会」以来変わらぬトーンで吠えていた(東京MXテレビより)。「尖閣防衛、血を流す覚悟を」と語る石原氏(『WILL』2012年11月号)。血判状的メンタリティも変わらない。

 どこが「新党」なのだろうか。自民党の一番右の筋が飛び出して結党した「立ち上がれ日本」をベースにするという意味でも復古である。まさに「青嵐会新党」である。また、「連携連帯」の相手として石原氏が唯一挙げたのが「日本維新の会」。この党の英語名は、Restoration Party、欧州史を踏まえて読めば「王政復古党」である

その「日本維新の会」が次期衆院選で掲げる公約の素案が、同じ25日、マスコミに流れた。「維新八策」を具体化したものというが、憲法改正による統治機構改革(首相公選制、参議院廃止等)、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更、2045年を目標に外国軍〔米軍とは書かない!〕の日本駐留を全廃、竹島・尖閣・北方領土に関する「一切の妥協を排する」、法人税率の半減〔20%〕、高齢者医療費を一律負担、キャリア官僚40歳定年など、小泉「構造改革」以来の使い古された新自由主義的政策と、ナショナリズムに訴える「強い国」路線の色彩が濃厚である(『朝日新聞』26日付など)。

「維新」の国会議員がまとめたというこの素案について、橋下徹代表は「ぜんぜんダメ。表現も稚拙」とこき下ろしたという(『産経新聞』27日付)。中身もひどいが、党内の意思形成の仕方もかなり問題がある。確実に言えることは、この素案には「削りしろ」が含まれていて、「ひどい部分」を橋下氏が削ると、何となくまともになったように感じる。バナナの叩き売りの手法である。これを「パワーがある」「決められる政治」と持ち上げるメディアはいかがなものか。

 なお、数日前、精神科医の香山リカさんから最新刊『「独裁」入門』(集英社新書)が届いた。ツイッターを多用する橋下氏から「バカな学者」とたたかれた経験を踏まえ、「ふわっとした民意」を巧みに操る橋下氏の「排除による統合」の手法を暴く。「展望を失った国家を、不信と苛立ちに満ちた『民意』が覆っている。…苛立つ『民意』をすくい取る嗅覚に優れた独裁型のヒーローの誕生に警鐘を鳴らす」本書をお薦めしたい。

 一方、自民党は9月の総裁選の結果、この「直言」で「送別の辞」を送り、「『再登板』など、決してあってはならない」とまで書いた人物が、再び総裁になった。トップが「美しい国の人」に変わった途端、周辺に怪しげな「お友だち」が蠢き始めた。とりわけ「教育の全分野に対して、執拗で、粘着質な介入」を行った「教育再生会議」系の人びとの動きが目立つ。お人好しで(野田首相の「近いうち解散」に騙され)、決断力がないとして総裁の座を追われた谷垣禎一前総裁には、人間的な誠実さと、現行憲法の価値原理に立脚した発想があったが(それ故、筋悪の自民党改憲草案には内心、違和感があったと私は推測している)、いまの自民党執行部にはそれが決定的に欠けている。安倍自民党は、石原「新党」や「維新」との接点がありすぎる。その意味では、「改憲大連合」形成の可能性が強まっている。

 そんななか、東京都議会で先月、一つの「事件」が起きた。「日本維新の会」と連携する「東京維新の会」が、都議会9月定例会で「『日本国憲法』(占領憲法)と『皇室典範』(占領典範)に関する請願」(24第8号総務委員会付託、平成24年6月8日受理、20日付託)に賛成したのである。同会代表の野田かずさ議員が紹介議員にもなっている。

 都議会事務局から請願の全文を入手した(冒頭の写真)。そこでは古色騒然たる日本国憲法無効論、しかもその真正版(大日本帝国憲法の復活)の主張が展開されていた。「占領憲法(「日本国憲法」)が憲法として無効であることを確認し、大日本帝国憲法が現存するという都議会決議がなされること」「占領典範の無効を確認し、皇室の家法である明治典範その他の宮務法体系を復活させ、皇室に自治と自律を回復すべきであるとする都議会決議がなされること」を求めている。

 請願の理由はこうだ。日本国憲法9条2項は交戦権を否認している以上、戦争状態を終了させる講和行為を行うことはできない。サンフランシスコ講和条約で日本が講和・独立をしたのは、大日本帝国憲法13条の講和大権によって戦争状態を終結させ、独立を回復したからであり、それゆえ大日本帝国憲法は現存している。また、現行の皇室典範は昭和22年法律第3号として公布・施行されているが、これは皇室の家法である正統な明治典範の「法令偽装の典型」であって、「国民を主人とし天皇を家来とする不敬不遜の極みである皇室弾圧法にほかならない」。「国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄して、速やかに占領典範と占領憲法の無効確認を行って正統典範と正統憲法の現存確認をして原状回復を成し遂げる必要がある」と。

 それにしても、憲法という日本全体に関わる問題にもかかわらず、なぜ東京都という地方自治体に請願したのか。理由を読んでもいま一つ明らかではない。「東京都は、占領憲法の地方自治規定に基づいて認められた地方公共団体であるから、占領憲法の効力の有無と効力の態様によって影響を受ける」、「我が国の首都である」という2点を挙げるが、地方公共団体というなら大阪府に請願してもよいはずである。なぜ東京なのか。結局、「首都だから」ということだろう。

 この請願について、「東京維新」の3人全員が採択に賛成した。だが、自民党を含む残りのすべての会派が反対して不採択となった。ここに総務委員会請願審査報告書がある。請願者は京都の弁護士で、「國體護持塾」の塾長である。

 ところで、この種の日本国憲法無効論は憲法制定当時からあったし、いまも存在する。そうしたメンバーを一部に擁する憲法の学会もある。だが、これらの議論は、大多数の憲法研究者の間でほとんど相手にされていない。

 「日本維新の会」の橋下代表は10月9日、「地方議会は維新八策のうち地方に関係することは100 %賛同してもらわないといけないが、そうでない部分は政治家の自由行動だ」としていた(『朝日新聞』2012年10月10日付)。だが、翌日にはそうした議論は「ありえない」と苦言を呈し、「憲法破棄(の立場)は取らない。大日本帝国憲法復活なんてマニアの中だけの話だ」と批判したという(『毎日新聞』10月11日付)。

 橋下氏は大阪市長であり、憲法尊重擁護義務(憲法99条)が課せられている。政経学部経済学科出身で、司法試験予備校から憲法を勉強して、司法試験に合格したわけだから、当然そのことを知っており、かかる特異な主張に乗るわけにはいかないことに気づいたのだろう。一転してこれを否定した。

「東京維新」の議員は全員が30代。2人は早大出身だが、憲法をきちんと学んだ形跡はない。さしたる思想的裏づけがあるとも思えない。ただ、政治の世界で感覚的なものが大きく膨らんでいくことがあるので要注意である。とりわけ「青嵐会新党」が発足するというタイミングでは、そうである。

 ちなみに、橋下氏は「憲法破棄」というが、この請願は「憲法破棄」ではなく、「憲法廃棄」を要求していると見てよいだろう。石原氏も辞任記者会見でも、「憲法廃棄」と語っている。

 ドイツの国法学者カール・シュミットによれば、成文憲法典の変動については(順序を少し変えるが)、「憲法廃棄」(Verfassungsvernichtung)、「憲法排除(廃止)」(Verfassungsbeseitigung)、「憲法破毀(破棄)」(Verfassungsdurchbrechung)、「憲法停止」(Verfassungssuspension)、「憲法改正」(Verfassungsänderung)の5つの概念がある(C. Schmitt, Verfassungslehre, 1928, S.99-101; 阿部照哉・村上義弘訳『憲法論』〔みすず書房、1974年〕126-129頁)。

「憲法廃棄」は憲法制定権力の変更を伴い、革命の場合がその典型例である。「憲法排除」は、憲法制定権力の変更を伴わないクーデターのような場合をいう。また、「憲法破毀(破棄)」は、憲法(律)の諸規定の特定の個々の場合における侵犯を指し、破毀された諸規定がなお効力を持ち続ける。さらに、「憲法停止」は大日本帝国憲法31条(天皇非常大権)のような、憲法規定の一時的な効力停止の場合である。

 これら4つと異なり、「憲法改正」はノーマルな憲法変動であり、憲法自身が定める手続きに従って、憲法典を修正・削除・追加・増補することをいう。

 都議会に請願を行った人々は大日本帝国憲法への回帰を求めており、国民主権から天皇主権への転換という憲法制定権力の変更を伴う「憲法廃棄」を要求していると言えるだろう。これは石原氏の立場と重なる。たが、橋下氏はそんな「マニア」の立場とは一線を画すると宣言したわけである。

 「占領憲法無効論」の根拠は、1907年のハーグ陸戦法規43条(占領者は占領地の現行法律を尊重すべし)に違反するというものである。憲法学説の圧倒的多数は、ハーグ陸戦法規は交戦中の占領に適用され、停戦条約締結後の占領には適用がないという立場である。「ポツダム宣言は日本政府自身が国家の意思としてそれを受諾した一種の停戦条約であって、その停戦条約で民主主義や人権尊重を内容とする新たな国家体制の樹立を約束した以上は、その履行としての意味をもつ日本国憲法の制定は、なんらハーグ陸戦法規には違反しない」(山内敏弘『改憲問題と立憲平和主義』敬文堂,2012年69頁)。

 また、日本国憲法は大日本帝国憲法73条の改正手続を経由して誕生している。天皇主権から国民主権への原理的転換は、確かに帝国憲法の改正限界を超えている。日本国憲法の成立は、形式的にはこの73条に基づいて行われたが、それは帝国憲法の改正手続を用いて行われたわけで、実質的には、憲法制定権力をもつ国民の意思に基づき、その国民を代表する議会の議決により決定されたのである。その憲法が公布されてから、来週で66年になる。占領下という特殊な状況下ではあれ、正当な手続を経て制定され、長年にわたり日本という国の基本を支えてきた憲法を廃棄せよと主張することのアナクロニズム(時代錯誤)性は明らかだろう。

当面、石原氏らの「憲法廃棄」の動きは大きな流れにならないだろうが、憲法改正の方は、憲法審査会も動き出しまたメディアの扱いが、改正方向に対して微妙に温和的であることもあって、着実に進んでいく可能性が高い。石原・橋下の「路線対立」は、私に言わせれば、憲法廃棄か、憲法破棄(+憲法改正)かという対立に置き換えられるだろう。橋下氏は憲法改正を言うが、集団的自衛権の行使を合憲として実施していくことは、実は9条の憲法破棄につながる。これは安倍氏の主張にも共通することである。「維新」の公約素案には、憲法破棄と憲法改正が混濁しているのである。

今週の土曜、11月3日は、日本国憲法公布66周年である。私は富山市で講演する

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※水島ゼミの沖縄シンポを開催します。一般市民の方も自由に参加
できます。
「沖縄復帰40周年を問う ー基地と憲法ー」
日時:2012年11月4日(日) 14時30分-17時00分
内容:基調講演 糸数慶子氏 (参議院議員)
パネルディスカッション 吉川毅氏 (沖縄タイムス記者) ※現在朝日
新聞政治部に出向中
上地聡子氏 (早稲田大学国際教養学部助手)
会場:早稲田大学八号館B-107
http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html 東西線早稲田駅より徒歩5分
(南門より入って頂きすぐ左手側)
主催:水島朝穂ゼミ

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