毎週金曜日の5限(16時30分~18時)は、1年必修科目「憲法」の講義をしている。先週、研究室でその準備をしながら、衆議院のホームページで国会中継を繋ぎっぱなしにしていた。本会議はずっとブルーの「休憩」という表示が出ていたが、突然、議場の映像があらわれた。まもなく横路孝弘議長が席に付き、「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する」と詔書を読み上げた。時計を見ると15時50分だった。
大学で憲法の講義をするようになって30年。その間、衆議院の解散・総選挙は10回になる(最初は第1次中曾根内閣の「田中判決解散」〔1983年11月〕)。授業の当日、しかもその40分前に解散が行われたのは初めてである。法学部で憲法を学び始めて7カ月になる学生たちにとっても、現在進行形の憲法現実を目の前にして勉強する、またとない機会となる。そう思って、予定していた「表現の自由」に関する講義を来週にまわして、「衆議院解散権の根拠と限界」というテーマで90分、フルに話した。
講義で触れた諸点については省略することにして、「直言」と解散・総選挙について一言。1997年1月にこの「直言」を始めてから5回目の解散・総選挙になる。最初は、「総選挙に参加せざるの弁」(2000年6月26日直言)である。在外研究でドイツから帰国したばかりで、選挙人名簿上「3カ月住所要件」が19日足りなくて投票できなかったことがテーマだった。
次は2003年11月、小泉首相による解散を「今のうちに解散」というタイトルを付けて論じた。3回目はご存じ、「郵政解散」と「9.11総選挙」である。これと関連して、議会解散権を厳格に制限したドイツ基本法について、「建設的不信任制度」にも触れながら述べている。4度目は、2009年政権交代をもたらした麻生太郎首相による解散である。メディアでは、祖父・吉田茂の「バカヤロー解散」(1953年3月)をもじって、「バカヤローの解散」(「バカタロー解散」)と散々だった。この解散・総選挙に合わせるため、十分な議論もなしに、改正臓器移植法が駆け込み的に成立させられたことについては、直言「『人の死』を政局で決めていいのか」で厳しく批判した通りである。
さて、先週の解散を何と呼ぶか。命名者がはっきりしているのは「バカ正直解散」(玄葉光一郎外相)と「寄り切り解散」(山口那津男公明党代表)である。そのほか、「やけくそ解散」「捨て身解散」「第三極つぶし解散」「近いうちに解散」などがある。「嘘つきといわれないための“自己愛”解散」(伊吹文明元自民党幹事長、『産経新聞』11月17日付)なんてのもある。
実は野田首相は、14日の党首討論の前夜、「一発で倒すしかない」と側近に伝えたという(『朝日新聞』11月15日付1面)。それが安倍晋三自民党総裁の意表をつく「16日解散」という先手必勝の具体的数字だった。「嘘つき、嘘つき…」とネチネチとやられてきたことに対する、プロレスファンの首相の「起死回生の一発」だった。また、党内の「野田おろし」の動きを「一発で」封ずる狙いもある。そして何よりも、政党交付金の算定の基準日が1月1日のため、「第三極」を云々している諸々の新党に「一円たりとも渡すまい」という強い意志を感じる。これで新党は、候補者擁立・調整のための時間だけでなく、資金的にもかなり困難に陥った。『東京新聞』15日付は「首相暴走 捨て身解散」という見出しを打ったが、これは単なる暴走ではなく、「民主党の解散」になることも織り込み済みの覚悟の上での解散、ドイツの“die taz”紙解説委員によれば、まさに「カミカゼ行動」(Kamikaze-Aktion)だったわけである(die taz vom 16.11.2012)。
だが、以上のような政治的、政局的論点だけでなく、いやそれよりも何よりも、今回の解散には、実は重大な憲法問題が含まれている。すなわち、この解散の結果行われる総選挙は、「違憲状態の総選挙」ないし「大義なき『違憲』選挙」(『東京新聞』11月15日付1面)とならざるを得ないからである。
最高裁は、議員定数不均衡について、昨年3月23日に「違憲状態」判決を出している。判決は、47議席を全都道府県に1議席ずつ配分する「一人別枠方式」に関する限り、15人中14人の裁判官が明確に違憲と判断し、その廃止を求めている。解散当日の午前中、参議院で「0増5減」の公職選挙法が可決・成立したが、これに基づいて、山梨、福井、徳島、高知、佐賀の5県で1つずつ選挙区を減らすため、新たな区割りを行う必要が出てきた。総務省の選挙区確定審議会におけるその作業を終え、新選挙区の周知期間を含めると、3カ月は必要と見られている。しかし、投票日は来月16日である。「0増5減」さえ実現できずに行われる以上、この総選挙は、「違憲状態」選挙であるにとどまらず、「一人別枠方式」をそのままにして行われる「違憲」選挙になりかねない。違憲ないし違憲状態を解消することが、首相の解散権行使の内在的な限界をなしていたのに、野田首相は「一発で倒す」という執念で解散権を行使した。これは解散権の濫用にならないだろうか。横路衆院議長も11月に入って、年内の解散を「違憲」とする見解を出していたことは記憶されていい(『東京』11月15日付)。
なお、首相は、「0増5減」と並んで比例区40削減を主張する。実はこれも重大な問題を含んでいる。現行の選挙制度は「小選挙区比例代表並立制」であるが、私はあまりに小選挙区にかたよっているので、これを「並立制」ではなく「偏立制」と呼んでいる。1994年にこの制度を導入した細川護熙首相(当時)は、小選挙区250、比例250と、「半々ぐらいが適当」と考えていた。だから、最終的に小選挙区300、比例200になったことを「不本意でした」と後に語っている。
2000年の公選法改正で比例区は1割減の180にされ、ますます小選挙区制に傾斜していく。今回、野田首相はさらに40削減するというのだから、小選挙区制へのかたよりは一段と激しくならざるを得ない。党首討論で「連用制は分かりにくい」と安倍総裁に突っ込まれていたが、とりわけ比例区に手をつけるときには、国会の全党、全会派を交えた議論が不可欠の前提となる。二大政党だけで比例区の削減を行うことは、選挙制度を「談合」で改変することを意味し、議会制民主主義に反する。
「違憲状態」選挙に対して、11月16日、弁護士グループが「総選挙差し止め訴訟」を東京地裁に起こした(『朝日新聞』11月17日付)。選挙無効の訴えは公職選挙法に基づき、一審を高等裁判所として、今回もまた、選挙の投票日の翌日、全国の高裁(支部を含む)に起こされるだろう。この差し止め訴訟の方は行政事件訴訟法に基づくもので、天皇の国事行為である「総選挙の施行を公示すること」(憲法7条4号)の前提となる「内閣の助言と承認」(憲法3条)を問題にするようである。ただ、誰が、どの時点で行う行為が行政処分にあたるのかを明確にすることはかなりむずかしい。
議員定数不均衡を問題にした、36年前の「選挙事務執行差止命令請求事件」があるが、東京地裁は訴えを不適法として却下している(1976年11月19日)。また、今回の訴訟が、天皇の国事行為(総選挙の公示)に対する「内閣の助言と承認」を問題としている点では、1952年8月の「抜き打ち解散」をめぐる「苫米地事件」が想起される。最高裁はいわゆる「統治行為論」を用いて、裁判所の審査権を否定した。こうした過去の判例状況からすれば、総選挙差し止め訴訟に勝ち目はない。だが、投票日の翌日に起こされる選挙無効訴訟については、最終的に最高裁で「選挙無効」判決が出る可能性もあるので、大いに注目される。