激動の2012年の大晦日である。今年もいろいろあったね、と感慨にふける余裕はない。先週の12月26日、「危機突破内閣」を自称する安倍晋三内閣が発足した。福田赳夫内閣(76年12月24日)に次ぐ、歴代内閣のなかでは二番目に年が押し詰まっての船出である(内閣改造では、第二次海部改造内閣〔90年12月29日〕が大晦日の2日前というレコード) 。押し詰まり感は時期的な問題だけではない。特定疾患という「爆弾」を抱えているため、時間との勝負になることを本人も自覚しているのだろう。その動きは性急で、かつ前のめりだ。そこに焦りすら伺える。閣僚の人選もそれに合わせて、2006年よりも安倍カラー(安倍空)が濃厚である。国民は、かつてない急角度の制度転換や、「みぞうゆう」(未曾有)の政治手法を覚悟する必要がある。
「日本を、取り戻す」。自民党の選挙ポスターに掲げられたこの言葉には、実は隠された修飾語がたくさん付いている。「戦前の日本を取り戻す」だけではない。「原子力村が支配していた日本を取り戻す」、「普通の軍隊を取り戻す」、「国土強靱化(新「列島改造」)でゼネコン主導の公共事業を取り戻す」。読者の皆さんは「定額給付金」2兆円をご記憶だろうか。2009年3月に、参議院の反対を押し切り、衆院の「三分の二再可決」で成立した最悪の政策。あの時の首相が、何と財務大臣(副首相)として帰ってきた。まさに、「旧政復古の大号令」である。
とりわけ教育への介入は、歴代のどの内閣よりも執拗で、かつ粘着質なものになると予想される。それはかつての安倍内閣が行った、教育への支配・介入の結果(教育基本法「改正」、愛国心教育、教員免許更新制、副校長・主幹教諭新設による職員室の「タテ社会化」等々)を見れば明らかだろう(『朝日新聞』12月21日付社会面「安倍流教育再び」参照)。首相周辺には「教育再生会議」系のお友だちがたくさん生息する。そのなかから、下村博文文科相、義家弘介文科政務官(当選参1、衆1回!)、稲田朋美内閣府特命(行革・公務員制度改革等)担当大臣(当選3回!)が任命された。「政治手動」も交えて、これまで抑制されていた施策が片端から実現されていくだろう。これこそが、真の教育の危機である。
何よりも危惧されることは、改憲への動きが一気に進むことである。選挙翌日の記者会見で、安倍首相は、「憲法改正に向け、発議要件を定めた96条の改正を先行させる考えを示した」(『朝日』12月18日付1面トップ)。「自民、維新、みんなの党を合わせると、改憲派は9割超」(同22面「当選者を読み解く」)である。安倍内閣は、「憲法突破内閣」となるべく、限られた時間内に、96条改正に向けて猛進するだろう。参議院民主党への政治工作(寝返り)も、影に日向に行っていくに違いない。当面は「集団的自衛権行使は合憲」という閣議決定を行って実をとり、その上で96条に特化した憲法改正を提起していく。内閣法制局の憲法解釈との整合性など、どこ吹く風という勢いである。
連立を組んだ公明党は、96条改正までなら政権にとどまる可能性がある。この党が支持基盤(Parteibasis)との関係で、「9条改正・国防軍」の方向に躊躇したその瞬間、日本維新の会の54議席がとってかわるだろう。ただ、自民党が、公明党から維新に乗り換える可能性は、今のところ小さい。むしろ、96条だけならば、「みんなの党」や民主党内改憲派も含めて、9割が一致する可能性がある。「改正要件を緩和することが、時代の変化に応じて憲法を見直す一歩となる。選挙後、各党は96条を糸口に改正論議に着手すべきである」と、『読売新聞』12月15日付社説はハッパをかける。なぜ96条を変える必要があるのかについて、腰を据えた議論が必要な所以である。なお、安倍首相の改憲論が情緒的で、説得力がないことは、8年前に「直言」でも指摘したので、ここでは省略する。
自民党「憲法改正草案」についても、今年の憲法記念日に際して、その問題点を網羅的に指摘しておいた。知的好奇心や理論的関心を減退(ゲンナリ)させるだけの草案ではある。だが、こんな草案でも、安倍内閣発足によりリアリティを増してしまった。メディアまでが、この方向を促進するような「世論調査」の設問を行うなど、メディアの劣化、批判力の低下の影響も軽視できない。
そこで想起されるのは、73年前に発足した「もう一つのアベ内閣」(阿部信行内閣)のことである。気の合う郷里の石川県人ばかりを閣僚に登用した「チーム阿部」は、第2次世界大戦開戦2日前(1939年8月30日)に発足し、在任140日足らずで総辞職した。その後、阿部元首相は大政翼賛会の推進に貢献し、日本の政党政治を葬った人物として歴史に名を残した。史上三度目のアベ内閣がどこまでもつかは未知数だが、その間に、日本国憲法を葬ることに邁進することだけは間違いない。
と、ここまで書いてきて、「直言」も年末年始モードに入る。しばらくは「お節記事」ならぬ「お節直言」となることをご了承いただきたい。今回はその第一弾。既発表原稿の転載である。
投票日の2日前発売の『週刊金曜日』に、私のインタビューが掲載された。編集部が付けたタイトルは「立憲主義の抹殺を狙う『壊憲勢力』」。いかにもこの雑誌らしい。私が言いたかったことは、16もの政党が乱立したヴァイマル共和政末期の1930年9月14日国会選挙における有権者の「空気」と今のそれが類似しているということである。自民党圧勝の結果が出てしまった現在、このインタビュー記事は賞味期限切れになるのかもしれないが、そこでの「壊憲」に関する指摘は、安倍内閣の発足で現実のものになろうとしている。なお、タイトルは、編集部から届いた原稿段階のものを復活して、以下に転載する。
憲法の危機とは何か
――改憲か、壊憲か――
水島朝穂
今回の総選挙では、憲法の危機が語られています。しかしその危機とは、よく指摘されているような9条の問題だけではないと思います。むしろ、憲法それ自体の危機であるといってよいでしょう。
そもそも憲法の本質は、権力を拘束・制限する規範であるという点にあります。つまり、国家権力の究極のチェック機能を憲法は持っている。そのため憲法とは本来、権力者にとってうるさい存在なのです。
こうした考えを立憲主義といいますが、その歴史は古く、中世に遡ります。1215年、イングランドのジョン王が彼の頻繁な課税等に抗議した貴族の圧力で署名させられたマグナ・カルタには、「国王も法の下にあり、税金を上げるのも同意が必要」という原則が示されていました。権力者には勝手気ままは許されない。この考え方は、近代になり、権利の保障と権力の分立を柱とする近代立憲主義として発展してきました。いま、その立憲主義を蹴散らす動きが生まれています。憲法により統制されるはずの権力者がそうした拘束を自ら解除し、「権力に優しい憲法」に改変しようとしており、それに抵抗する人々も減ってきています。
これは危機です。そうした動きの一つが、自民党の安倍晋三総裁が主張する憲法96条の改定です。「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」という条文の、「三分の二以上」を、「過半数」に改めるというわけです。
実は、この議論は非常におかしい。どこの国の憲法でも、その改正条項には加重した手続きがセットされており、それを一般の法律のようにコロコロ変えた方がいいというなら、そうなった瞬間にもう最高法規としての憲法の機能は劣化してしまうからです。憲法が持つ権力のチェック機能を緩めろと主張しているのに等しく、このような議論は立憲主義の否定にもつながりかねません。そもそも、権力者に対する統制を弱めて誰が幸福になるでしょうか。権力者とはもともと、自由や人権を侵したい願望を持つものです。例えば憲法21条に定められた表現の自由に、自民党がかねてから主張する「公益」「公の秩序」のような文言を挿入したら、その瞬間に裁判所はいらなくなります。表現の自由に対する過度な制約を争おうとしても、「公の秩序」に反しない限りの表現の自由にされていますので、裁判所の判断を待つ必要もないからです。
その結果、人権は縮減していく。96条を改正して幸福になるのは権力者だけです。にもかかわらず、そうした改正を主張する勢力を、改正で真っ先に不幸になるはずの国民が支持するというのは、実に愚かなことだと言わざるをえません。 このような動きが顕著になっている背景には、安倍氏と同じく横暴で、権力を行使する上での謙虚さや抑制感がなく、憲法には拘束されなくともいいと考えている勢力が台頭してきたからでしょう。その典型が、「日本維新の会」です。代表の石原慎太郎氏は、現行憲法について「占領軍がつくった憲法は廃棄したらいい」(10月12日の記者会見での発言)と主張しています。憲法は無効だからしばられなくともいいという乱暴な主張で、これは改憲論ではなく、「壊憲」論と呼ぶべきものです。
代表代行の橋下徹氏は「無効論」ではないようですが、石原氏と同様に権力の行使が露骨で抑制がなく、権力への畏怖の念がない人物です。そのため両氏は、自民党の長期政権下ですら控えられていた権力の禁じ手を次々と繰り出しています。一つは、文化・芸術の中身に対する介入です。橋下氏は大阪市長として文楽に対し、「演出不足だ。昔の脚本を使うな」などと公言し、2012年度の市の補正予算から文楽協会への補助金を前年度より25%もカットしました。表現の自由のない独裁国家の権力者並みです。
二つ目には、大学の自治に対する介入。石原氏は東京都立大学に介入し、まともな手続きもないまま、気に入らない教員を追い出して解体し、「首都大学東京」に変えてしまいました。橋下氏も「理系特化」という名目による文系廃止策を盛り込み、大阪市立大学をつぶすため、大阪府立大学との統合を狙っています。 そして三つ目は、教育への介入です。橋下氏が学校の「君が代斉唱」で、校長を使い、口の開け方まで監視させたやり方は、すでに石原氏が東京都で最初に実行していました。こうした発想は、首相時代に安倍氏が教育基本法の改悪に手を付けたのと共通しています。権力が教育分野のどこにでも介入できると考える点では、安倍氏も同じなのです。
安倍氏は改憲派とされていますが、真っ先に96条を改正したいのは、改憲のハードルを下げ、本命の9条を軸とした平和主義の基本原理に手を付けたいからで、「維新」と同様の「壊憲」派と見なされるべきでしょう。なお、日本と比較し、ドイツでは何度も憲法を変えているという議論があります。確かに今年7月に59回目の基本法改正がなされています。でも、手続き的な規定が多く、重要な改正は5回ほどです。両院の三分の二以上の賛成は容易ではなく、与野党は相当議論します。三分の二から過半数に下げるという議論とは次元が違います。
今日の危機とは、このように改憲派から最も右の部分が分離し、「壊憲」派と結合した状況から生まれているのです。その彼らが衆参両院で三分の二を占めたら、それによりもたらされるのは、憲法の、権力に対する統制・チェック機能の解除、すなわち立憲主義の衰退に他なりません。
立憲主義というのは、一般にはあまりなじみがない言葉ですが、戦前は立憲政友会など「立憲」という語を冠した政党がいくつもありました。なぜでしょうか。あの足尾鉱山鉱毒事件で住民救済のため生涯を捧げた田中正造が、亡くなるまで聖書と大日本帝国憲法を肌身離さず持っていたという話はよく知られています。田中や自由民権運動の先達は、帝国憲法4 条「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行う」のなかに、天皇ですら憲法にしばられ、その「条規」によらなければ統治ができないという立憲主義の要素を見出し、権力と闘う武器としたのです。
その立憲主義がいま、揺らいでいます。私は、ドイツでナチスが権力を握った1930年代初頭の再現に近い危うさを覚えます。ナチスは28年の選挙では2.6 %の得票率しかありませんでした。しかし30年の選挙で18.3%まで上昇するのですが、この選挙では16もの政党が乱立し、国民は失業と生活苦、混乱する政治にイライラした末、「はっきりものを言う」指導者に期待をかけていきます。そして33年3月の選挙の43.9%で全権を掌握し、11月にはナチスのみ出馬の選挙となるのです(得票率92.2%)。
「民意」はいつでもとりとめがないフワッとした存在で、時に暴走することを忘れてはなりません。一方で憲法は、つねに「時代に合わなくなった」と批判にさらされながらも、確固として変わらずにいるからこそ「民意」の移り気ぶりを浮き彫りにしてくれるのです。その憲法が、96条の改正によりフワッとした存在になった時、ドイツの経験が他国の歴史だけに留まらない教訓を示していることを知るでしょう。
現在問われているのは、従来のような「改憲派対護憲派」という図式ではありません。かつて自由民権運動を生んだような地方の保守層の間にも立憲主義の基盤は残っており、彼らは改憲派に与するとされてはいるでしょうが、必ずしも「壊憲派」ばかりではありません。96条の範囲内で改憲を主張するなら、立憲主義に踏み留まるという一点で、反「壊憲」の幅広い連携に加わる資格があるはずです。ナチス躍進を前にして、対抗勢力同士が互いに争って個別撃破されていった歴史の教訓も、また忘れてはならないでしょう。(談)
まとめ/成澤宗男(編集部)
(『週刊金曜日』924号〔2012年12月14日〕24-25頁所収)
《付記》
防衛省は、沖縄で猛反発を受け、かつ欠陥機として米国内でも人気のないMV22オスプレイを、何と日本自身が保有するために、次年度予算に数百万円の調査研究費を要求するという(『朝日新聞』12月31日付)。2年3カ月前に、陸上自衛隊オスプレイのプラモデルを入手して、その写真を掲載した。「先取り」と書いたが、いよいよ安倍政権で「何でもあり」になってきた。