今日は、旧東ドイツで起きた「6月17日事件」の60周年である。22年前の東ベルリン滞在中、偶然入手した文献がこのテーマとの出会いである。ハンガリー事件(1956年)やチェコ事件(1968年)は有名だが、旧「ドイツ民主共和国」(DDR)で起きたこの事件についてご存じの方は多くはないだろう。ちょうど10年前に直言「6月17日事件から半世紀」を出してあるので、事件そのものについては、上記のリンクをクリックしてお読みいただければ幸いである。
私が生まれる1 カ月ほど前、1953年3月5日、旧ソ連の独裁者スターリンが死去した。凄まじい圧政と専制と粛清の権化がこの世から消えて、ソ連に抑圧されてきた東欧諸国にも変化が生まれた。その「最初の一突き」が、「労働ノルマ」10%引き上げに反対する旧東ドイツ労働者の職場放棄とデモであった。最初はベルリンの一工場で始まった労働者の動きは、東ドイツ全土に急速に広がっていった。ソ連軍のベルリン地区司令官は直ちに戒厳令を布告。「3人以上の集会」を禁止した。だが、デモは全国規模のものとなり、当初の切実な経済要求から、次第に自由・秘密・直接選挙の要求、政治犯の釈放、軍隊の即時解体、東西ベルリンの境界の即時撤廃など、明らかに政治的色彩を帯びた要求へと発展していった。労働者の決起におびえた党・政府首脳は、シェーネフェルト空港からモスクワに逃亡する寸前だった。ソ連は陸軍16個師団と戦車600両を投入して鎮圧をはかり、労働者・市民に向けて発砲した。労働者・市民に多くの犠牲者が出たが、他方で、市民に発砲する命令を拒否したソ連軍兵士40人が軍法会議にかけられ、銃殺された。たくさんの労働者・市民が投獄された。
60年前のこの事件をどう診るか。東の旧体制が存在していた頃の政権党(社会主義統一党(SED))の公式見解は、「反革命・反ソ暴動」「半ファシスト(Halbfaschist)暴動」が定番だった。各国の共産党も、1956年の「ハンガリー事件」と同様、帝国主義勢力による社会主義転覆の策動という評価を長らくしてきた。1968年の「チェコ事件」あたりからソ連に対する評価が変わり、西欧や日本の共産党もソ連の「チェコ侵略」を非難するようになる。だが、これらの党においても、「ハンガリー事件」の評価は長らく変わらなかった。いわんや、「6月17日事件」が表立って問題にされることはほとんどなかった。
1989年になって、旧東ドイツで市民フォーラムの運動が活発化。10月にライプチッヒで「月曜デモ」が始まり、普通の人々が街頭に出るようになると、再び「6月17日事件」が想起されるようになる。それは、またソ連軍が出てきて武力鎮圧されるかもしれないという半ば恐怖心もあったように思う。だが、ソ連はゴルバチョフ時代を迎えており、武力侵攻など考えていなかった。のみならず、ゴルバチョフ書記長は、「ブランデンブルク門で天安門を繰り返すな」と旧東ドイツ指導部に圧力をかけた。国境警備隊には武器の携帯が禁じられた。かくして、1989年11月9日、「ベルリンの壁」は崩壊するのである。
「6月17日事件」を「全国的な民衆蜂起か、労働者の局部的な反対運動か」というアングルから議論するものや、「東ドイツ市民の抵抗運動」という評価。さらに進んで、「ぶっつけ本番の革命」(Revolution aus dem Stegreif)、「ヨーロッパ革命の序曲」とする見方もある。「未完成の革命」説では、1848年(ドイツ3月革命)、1918年(ドイツ革命)、1949年(ドイツ基本法)、1953年(「6月17日事件」)、1989年(「ベルリンの壁」崩壊)という一連の流れのなかに「6月17日事件」を位置づける。
「1989年」の際立った特徴は、デモ鎮圧のため、東ドイツ駐留ソ連軍が動かなかったこととされる。「もし、ソ連軍戦車が〔1989年のように〕駐屯地内にとどまっていたら、東ドイツの活動的な人々の勇気と決起は、1953年の段階で、このレジーム(SED国家)を倒していたことだろう」と。「1953年は来るべき東欧の大変動の黎明だった」。「ドイツ民主共和国」(DDR) は 「建国」40周年を迎えたその翌月に、「ベルリンの壁」の崩壊を迎える。東ドイツという国家は、「最初はよかったが、途中から社会主義の大義から外れ、変質してしまった」というようなものではなく、「建国」4周年を前に起きた「6月17日事件」によって、とうの労働者に不信任された「労働者国家」となって、「建国」40周年まで辛うじて存在し得た「ソ連の衛星国家」だった、と私は考えている。
「6月17日事件」については、同僚だった故・早川弘道氏の依頼で、早大比較法研究所プロジェクト連続講演会で、「東ドイツ1953年6月17日事件の今日的解読」と題して報告を行った(2010年12月17日)。この「直言」で引用した文献や資料は、このレジュメの末尾に列挙してある(報告レジュメはここから読めます。)
東ドイツを含め、いわゆる「現存社会主義国」の憲法というのは、そもそも「憲法」と呼べるかどうかは疑わしいものだった。「近代的意味での憲法」に不可欠な人権保障と権力分立が欠けているか、決定的に不十分だったからである。
例えば、東ドイツ憲法27条は、意見表明の自由や、新聞、ラジオ放送、テレビ放送の自由を保障していたが、制約原理がふんだんに存在した。「社会主義的道徳」「社会主義的社会秩序」「社会主義的共同体」の利益が権利行使の大前提に置かれていた。社会主義を否定する出版が認められるはずもなかった。文化も同様で、18条で「社会主義的国民文化の促進」をうたい、国の施策もその方向でなされ、出版や芸術などもすべてこれに従属する。憲法は、国家権力の行使を制限する規範ではなく、国民を「社会主義」の方向に義務づけ、拘束する装置であった。国家保安省(シュタージ)は「憲法外」「法外」の存在だった。
東ドイツ憲法47条2項に「民主集中制」が置かれていたことも見逃せない。直言「立憲主義と民主集中制」でも書いたように、国家の構成原理としての「民主集中制」は、立憲主義とは相いれない。北朝鮮憲法5条や中華人民共和国憲法3条1項なども「民主集中制」を採用している。「民主集中制」とは、少数は多数に従い、下級は上級に従い、地方は中央に従うという、非常時型の秘密結社の組織のありようを国家にまで押し広げたものである。上意下達式の命令型組織に典型的なかたちであり、「民主主義的」というのは粉飾的な形容詞にすぎず、本質は中央集権主義である。およそ、旧ソ連体制下では「民主集中制」と「一党独裁」のもと、「外皮的立憲主義」(「外見的」(schein)ですらない)だった。旧東ドイツは「6月17日事件」以降、この時代錯誤を維持し続け、37年後に消滅した。これに対して、旧西ドイツの基本法、そして統一ドイツの憲法となったドイツ連邦共和国基本法が、政党の内部秩序の民主的性格を要求し、「指導者原理」と「民主集中制」を否定しているのは象徴的である(21条1項)。
さて、労働者・市民が公然と自由・秘密・直接選挙や政治犯の釈放などを要求した「6月17日事件」はソ連戦車に押しつぶされてしまったが、長期的に見れば、90年代の「東欧立憲革命」を思想的に準備したと言えるだろう。90年代東欧における「立憲主義のルネッサンス」と呼ばれる現象の中心には、違憲審査制ないし憲法裁判所への関心の高まりがあった。
東欧諸国の「立憲的デザイナー」という観念から、「民主的法治国家」という概念が注目されるようになった。階級イデオロギーなどに基礎を置かない「法の合理性」は、国家の正統性を確固たるものにする。「法の合理性」は、責任性とも結びつく。「社会主義的民主主義」の最大の弱点の一つは、責任性の欠如だった。自由選挙と多元的民主主義に見られるような政治責任が欠けていたのである(M. Wyrzykowski, Die neuen osteuropäischen Verfassungen: eine neue Verfassungskultur?, in: M.Morlok (Hrsg.), Die Welt des Verfassungsstaates: Kolloquium von P. Hä.berle, 2001, S. 116f.)。
なお、東欧民主革命のトップランナーとして民主的法治国家を実現したハンガリーにおいて、いま、立憲主義からの逆走が起きていることは皮肉である。「反立憲主義の憲法」として、いまEU諸国でも物議をかもしているハンガリー2011年憲法はその象徴である。これについては、水島朝穂・佐藤史人「試練に立つ立憲主義?―2011年ハンガリー憲法の『衝撃』(1)」(『比較法学』46巻3号(2013年)39-83頁)参照のこと。佐藤氏はそのなかで、「グローバル経済のもとで近代立憲主義というプロジェクトを維持することの『困難さ』」について指摘している。立憲主義はどこでも困難に直面する。
「国民は、憲法及び法律を遵守し、国家の機密を保守し、公共財産を愛護し、労働規律を遵守し、公共の秩序を守り、社会公徳を尊重しなければならない」。自民党憲法改正草案の9条4項、12条、13条、29条2項、102条を一本にまとめたようなイメージだが、実は、中華人民共和国憲法53条である。自民党改憲草案と中国憲法は、国民に対して、あれもこれも義務づける点でよく似ている。
日本でも、旧社会主義国の憲法のように権利制限に饒舌な改憲草案を、憲法とは何かも十分に理解しないまま振りかざす首相が驀進している。立憲主義の定着には、まだまだ時間が必要なようである。
《付記》写真は、旧東ドイツ国旗、国境警備隊や国家人民軍(NVA)など。2枚目は、国家保安省(シュタージ)とNVA防諜部の創設25周年記念の「楯」である。