第23回参議院選挙の投票日(7月21日)を、講演で訪れた福島県白河市で迎えた(白河高校の先生に「戊辰戦争の現場」を案内していただいたが、これは別の機会に書く)。私を含む期日前投票者は1294万人(有権者の12.4%)と、過去最高となった。だが、投票日当日に投票所に向かったのは40.2%に過ぎず、最終的に投票率は52.61 %と、戦後3番目の低さとなった。
結果は、自民党が31議席増の65議席を獲得し、非改選と合わせて115議席になった。公明党は11(+1)当選で20議席。自公で135議席と、参議院で全常任委員長と過半数の委員を占める「絶対安定多数」を得た。他方、民主党は27議席減の17議席(非改選と合わせ59議席)と、「結党以来最低」となった。維新、「みんな」、共産党が前回より議席を増やす一方、生活、みどり、大地は議席0となり、社民1議席は、これも「結党以来最低」となった。
22日付各紙の一面トップ見出しを比較すると、『朝日新聞』が「自公圧勝、衆参過半数」、『東京新聞』「安倍自民が圧勝」としたのに対して、『読売新聞』が「自公過半数ねじれ解消」、『毎日新聞』「自民圧勝 ねじれ解消」、『産経新聞』「自公70超『ねじれ』解消」と、「ねじれ」という言葉を前面に押し出した。『日本経済新聞』に至っては「与党圧勝、ねじれ解消」に「アベノミクスに信任」という縦見出しまで加えた。
そもそも「ねじれ解消」という表現自体がメディア、報道機関として正しかったのか。テレビのニュースでも、アナウンサーが参院選を伝えるとき、「『ねじれ解消』が焦点となった参院選挙では…」という枕詞をしばしば使った。「ねじれ」「よじれ」「たわみ」「ひずみ」。すべて不自然、不正常な意味を内在している言葉である。「解消」や「是正」「修正」といった言葉があとに続く傾きにある。
21日付『産経』一面が「『ねじれ』に審判 次の6年間後悔しないために」と打ったのは、この新聞のスタンスがよく出ているが、『毎日』21日付までが、「ねじれ解消が焦点」と一面サブに打ったのは解せない。選挙が近づくにつれて、某キャスターなどは「ねじれ解消」を何度も口にし、読者・視聴者に「ねじれ解消」が刷り込まれていった。しかし、これはメディア、報道機関の中立性を損なう誘導ではないか。「ねじれ」を正すのは、衆議院と同じ構成に参議院がなることしか意味しない。つまり与党の勝利が「ねじれ解消」の中身となる。
加えて、参議院を「決められない政治の元凶」とする言説は、二院制の存在意義を否定するものである(21日付・産経政治部次長解説など)。「アベノミクス」なる思考のバブルに踊って、憲法改正、原発再稼働、TPP がこの3年間で実施されていく。「決められない政治」から「勝手に決められる政治」への転換。これを止めることのできる参議院はもはや存在しない。「ねじれの解消」が生み出したものは、衆議院が決めたことを迅速に追認する「カーボンコピーの参議院」ではないのか。日本の「民主的二院制」の危機である。それだけではない。日本の政党制の危機でもある。
ドイツの『フランクフルター・アルゲマイネ』紙は、選挙前日、「民主的一党国家への道」(Auf dem Weg zum demokratischen Einparteienstaat) という見出しを付けた東京特派員の予測的論評を掲げた(FAZ vom 22.7.2013) 。「日本には事実上野党が存在しない」。ナチスと旧東ドイツの一党独裁を体験したドイツ人からすれば、「一党国家」は、常に「あるべからざる」政治のキーワードだった。「民主的一党国家」と評される日本の現状は、その意味で深刻である。
今回の参院選について、地方の1 人区は実質的には衆院の小選挙区効果が出るが、都市部では民意の分布は明確に出る。比例区でも自民党は「圧勝」ではない。12月の総選挙でもそうだったが、絶対得票率(得票率×投票率)で言えば、自民党は決して「圧勝」したわけではない。今回の結果について、詳細なデータに基づいて分析するのはここでの課題ではないのでこれ以上立ち入らないが、次に問題にしたいのは、低投票率である。
昨年12月の総選挙の投票率は59.32%で、「戦後最低の投票率」となった。政権選択につながる衆議院の総選挙と同じように評価はできないが、2004年参議院選挙では、河野謙三参議院議長(当時)が「驚異的低投票率」と呼んだラインが59.2%だった。ドイツは投票率の高さでは定評があり、60%は低投票率となる(通常は80%)。そういう観点からすれば、今回の52.61%というのは「驚愕的低投票率」と言えるだろう。
なぜ、かくも低い投票率になったのか。参院選前に出された雑誌『世界』8月号で、糠塚康江東北大学教授(憲法理論研究会代表)は、与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」を意識しつつ、「君、『票』を捨てたまふことなかれ」と題する論文を公表した。「96条先行改正」を例に、立憲主義が政治ゲームのプレイヤーたる政治家の間の「常識」ではなかったことを慨嘆しつつ、参院選挙について、「ゲームの共通基盤を取り戻すことから始めなければならない」と述べている。現行公職選挙法の厳しい選挙運動規制を改善することなく、「インターネット選挙運動」(ネット選挙)が導入されたことについても、その意義と可能性、限界と危うさを的確に指摘している。そして、「個人が個人であるためのこの大事な決定権を『国民代表に信託しない』ために、『立憲主義』がある。自分にぴったりの政策パッケージを届けてくれる政党など、『自分党』以外は本来あり得ない。自分の投票の理由の『受け皿』を求めて『自分にとって大事な決定権』を失ったのでは、元も子もない。全力を挙げて、まずは当面の『立憲主義』存亡の危機回避を優先しなければならない」と結論する。
「君、『票』を捨てたまふことなかれ」という警告はその通りになった。半数近くの人が実質的に「票を捨てた」。低投票率の原因はさまざまあるだろう。与党が「アベノミクス」や経済を前面に押し出し、改憲、TPP、原発再稼働という重要争点をぼかしたことが効奏した。背後には、安倍政権が7月参院選までは、不自然な金融政策をとることを米国が「黙認」し続けたことがある。また、野党がバラバラで、とりわけ1人区で自民党の圧勝が最初からわかっていたことも大きい。野党が一つの候補者にまとまった沖縄では、1人区でも野党が勝利しているし、投票率もわずかながら上がっている。もし、「立憲リスト」のような野党統一候補が生まれれば、争点は明確になり、有権者の関心も高まったに違いない。その点で、野党の責任は大きい。そして、メディアが早い時期から、「ねじれ解消」を叫んできたため、「ねじれ」という「悪いこと」をなくすため、与党の候補者に一票を入れる傾きが生まれた。民主党政権に飽き飽きした人たちは、「政党嫌い」(Parteienverdrossenheit)の状態にまだあるのではないか。いずこにおいても、「政党嫌い」は容易に「民主主義嫌い」(Demokratieverdrossenheit)に転化する。こうして、選挙権を行使しない主権者が半数近く存在するなかで、国の帰趨を決める方向転換が行われていく。
ただ確認しておくことが一つある。「自民圧勝」とはいえ、最後の一線は超えさせなかったという事実である。今回の選挙で自民党は3分の2の多数を得られなかった。自民、みんな、維新の獲得議席は81で、この3党と改革、保守系無所属を含めた非改選の63議席を合わせて「改憲勢力」は144議席となったが、「改憲の発議に必要な参院3分の2(162議席)には届かなかった」(『産経』7月22日付)。もし公明党が加われば164 議席となって3分の2はクリアするが、こと憲法問題について、公明党のハードルはかなり高い。支持基盤との関係で、96条改正にも9条改正にも消極的な態度は続くだろう。改憲の綱引きが始まったわけである。
この点、『産経』22日付は「改憲『腰を落ちつけて』」と安倍首相にアドバイスしつつ、「3年間も選挙がないのは千載一遇の好機である」(産経政治部長)と捉えている。また、読売政治部長の一面評論は、これから「黄金の3年」が始まるとして、国政選挙が3年ない間に、消費増税から集団的自衛権行使までやってしまえ、とハッパをかけている(『読売』同)。
「ねじれの解消」のあとには、政治と国民との間の本当の「ねじれ」が顕在化してくるだろう。「アベノミクス」の本質が露顕してくるのも時間の問題である。経済の悪化、TPPの嘘、消費増税、周辺諸国との「全周トラブル状態」の悪化等々、国民生活の矛盾は一層激しくなるだろう。野党は解体的出直しを求められている。何より、96条改正に向けて本性を徐々に顕していく安倍政権に対して対抗軸を作っていく必要がある。