8月31日、広島弁護士会主催のシンポジウム「中国脅威論と憲法改正問題―憲法9条で日本は守れるか!」に参加した。基調講演は浅井基文氏(元外交官、元広島市立大学平和研究所所長)。パネラーは浅井氏と、集団的自衛権行使合憲の提言を出す「安保法制懇」メンバーの一人、坂元一哉氏(大阪大学教授)、それに私の3 人である。コーディネーターは弁護士の工藤勇行氏が務めた。
日本弁護士連合会の第56回人権擁護大会が来月3日に広島で開かれることになっており、今年のテーマは「なぜ、今国防軍なのか―日本国憲法における安全保障と人権保障を考える」である。私はそのプレ企画などで、3月から横浜弁護士会、東京第二弁護士会(会内)、札幌弁護士会、仙台弁護士会、東京弁護士会、群馬弁護士会(アフター企画)で同様のテーマで講演してきた。広島弁護士会もそのプレ企画だが、大会開催地であることもあって、他会よりも踏み込んだテーマとなった。そもそも弁護士会が「中国脅威論」をテーマに掲げることは異例である。若手弁護士を中心に、一般市民の不安や疑問により応える企画を目指したという。
講演で浅井氏は、この広島弁護士会のテーマ設定の仕方を問題にした。中国脅威論と改憲論が直接的に原因-結果の関係にないこと(中国脅威論は2010年尖閣漁船衝突事件以降で、改憲論はずっと昔からある)、「中国脅威論」は作り話でしかなく、これを改憲論の補強材料にする試みは、国民的な嫌中感情を利用した議論であること、そして、憲法改正問題は、「ポツダム宣言受諾の結果としての日本国憲法制定」という大前提抜きには議論できないこと、である。
一方、坂元氏は、中国公船による領海進入などを「中国によるハラスメント」と呼び、米軍の「抑止力」や「日米同盟」重視の立場からの議論を展開した。「安保法制懇」メンバーとして、集団的自衛権行使の合憲解釈の必要性を強調したが、さらに踏み込み、「他国民の生命・身体を守るための必要最小限の実力行使も合憲とすべきではないか」と主張した。これらは私の支持できるものではなく、一つひとつ批判した。結論は異なるが、こうして直接議論してみて坂元氏の問題意識は理解することができた。これは成果だった。
ここで、講演やシンポの内容について詳しく紹介することは控えるが、シンポの冒頭から浅井氏と坂元氏の間で、中国の対外政策、日中関係、日本の対中政策の評価をめぐって激しい応酬が続いた。私は親中国でも反中国でもないので、国防軍設置のための憲法改正の議論や集団的自衛権行使の合憲解釈などについては徹底して批判したが、中国の対外政策の評価についてはあえて立ち入らず、ネット普及などを通じた中国内部の変化、「市民社会」的な成熟への期待を述べるにとどまった。この点、中国との国家的な関係を重視する浅井氏から批判を受けることになった。
毎週必ず読んでいる出版社系の4 週刊誌(月曜『ポスト』『現代』、木曜『文春』『新潮』)の特集は、このところ反中国、嫌中国の話題が圧倒的に多い。とりわけ『新潮』9月12日号は、「『嫌いだ!中国』友の会」という感情むき出しの特集を組んだ。私は天安門事件以降、中国の現体制を批判しており、中国憲法3条1項(民主集中制)や、「零八憲章」などの問題についても、「直言」で取り上げてきた。しかし、昨今の感情的な中国敵視の空気には危うさを感じる。社会の深部でむきだしの反感や憎悪が醸成されるとき、あり得ないと思っていた戦争に発展することは歴史の教訓である。
今年の正月、「新たな帝国主義の時代の到来」という大見出しが『産経新聞』2013年1月1日付一面に踊った。「中国の野望にくさび打て―陸海空一元化『統合防衛戦略』に着手」というトーンで、「尖閣侵攻」から「尖閣と石垣・宮古同時侵攻」「尖閣・石垣・宮古と台湾同時侵攻」という3つの「有事シナリオ」のもと、「自衛隊かく戦えり」を描いてみせる。
これには既視感がある。ちょうど35年前の1978年。「ソ連軍、北海道上陸」の見出しが『産経』や週刊誌の特集面に踊った。ソ連軍の上陸正面は石狩浜や根釧原野。この北方脅威論が、いま南西脅威論に変わっただけで、手法も言葉づかいもほとんど同じである。
2011年9月6日、中国政府は『中国の平和発展白書』を発表した。そのなかの第3章「対外方針・政策」には、中国の6つの「核心的利益」が列挙されている。(1)国家主権、(2)国家の安全、(3) 領土保全、(4)国家統一、(5)中国憲法で確立された国家政治制度、(6)経済社会の持続的かつ安定的発展、である。
中国が「核心的利益」という言葉を初めて公の場で使ったのは、2003年における米中外相会談とされている。パウエル国務長官(当時)との会談のなかで、台湾問題を中国外相(当時)が中国の「核心的利益」と述べたことに由来する。
この言葉を中国政府が使う場面は、これまで台湾とチベット、新疆ウィグル自治区に限られていたが(『産経』2010年9月17、19日付)、2010年になり、南シナ海は中国にとっての「核心的利益」だとの主張を展開しはじめた。尖閣諸島近海に石油資源埋蔵の可能性が出てきた1970年代から、尖閣諸島は「核心的利益」にカウントされるようになった。「防衛」の概念を自己都合で拡張し、いずれは歴史的に確定された国境も超えて、自らの利益を追求することになりかねない。これは注意すべき動きである。他方、日米もまた、1996年4月の日米安保共同宣言で、アジア・太平洋地域に「死活的利益」という位置づけを与えた。
「極東」から「アジア・太平洋地域」へ。1960年の日米安保条約が、条約改定の手続きを経ずに、その根本的な性格を変えた瞬間だった。米軍の活動範囲も条約6 条(極東条項)の改定を伴うことなく、共同宣言やガイドラインの改定の反復継続のなかで拡大運用されていく。「解釈改憲」に例えれば、「解釈改安保」と言えよう。
中国の「核心的利益」と日米の「死活的利益」との狭間で、いつもワリをくうのが沖縄である。『沖縄タイムス』は、今年元旦、「正念場の沖縄」というタイトルの社説(2013年1月1日付)を掲げた。戦前、沖縄は「帝国の南門」という役割を与えられ、戦後は米軍の排他的な統治の下で「太平洋の要石」と位置づけられ、アフガン、イラク戦争では出撃・補給・後方支援の基地として機能した。「今度は『中国の防波堤』というわけである」と強く批判する。
この「沖縄からの視点」は重要である。戦前、旧陸軍第32軍の沖縄防衛の任務は、本土決戦までの時間かせぎだった。沖縄はとっくに切り捨てられていたのである。戦後は、米軍にとって沖縄は「太平洋の要石」であり続けた。そして、いま、沖縄に住む人々を度外視して、中国に対する「日本の防波堤」とされつつある。これに日米の「死活的利益」が重なる。防波堤そのものは「波」に対して立ち向かわされるもので、「守るべきもの」の上位には来ない。
シンポジウムで配付された『産経新聞』(電子版)8月31日7時55分には、30日に防衛省が提出した平成26年度予算概算要求の内容が書かれていた。産経は、尖閣諸島周辺での中国に対処するメニューが揃ったとみる。前年度比2.0%増の4兆8928億円。離島防衛・奪還作戦に投入する水陸両用機能の強化が柱となる。具体的には、陸自中央即応集団の隷下に「水陸両用警備隊」を創設し、水陸両用車AAV7を導入。米軍の垂直離着陸機オスプレイの27年度導入を見据えた調査費も盛り込んだ。空自は無人偵察機の導入検討まで予算化した。これらの装備は運用の問題を含めて、国会での十分な討論を経てから行うべきものだった。安倍政権の「(偏った)決める政治」は勢いを増すばかりである。
中国が沖縄に対して「核心的利益」を主張してきたとき、日米の「死活的利益」を侵すものとして、沖縄を「防波堤」にたたかうことになるのか。いずれにしても、沖縄県民からすれば、どちらの防波堤になるのもごめんだということになる。
《付記》冒頭の写真は、水島ゼミOBが北京市内で撮影したもの。