1月10日10時10分。ネット上の話題のキーワード、注目度11位にあがった言葉が「東京大空襲」だった。YAHOOリアルタイム検索で、たまたまこの言葉を入力して驚いた。なぜだろうと思ったら、その前日、1月9日21時6分に、東京都知事選に立候補した元航空幕僚長の田母神俊雄氏が次のようにつぶやいていたのだ。
「本日は東京大空襲の日です。…一晩で10万人以上の人が亡くなりました。民間人に向けての攻撃は戦時国際法違反です。しかしこれが戦争の現実なのです。戦争に巻き込まれないためには軍事力が強いほうがよいのです」(Twitter)。
これに対して、10日朝から翌日にかけて、たくさんの人が反応していた。その一例。「歴史に疎いぼくでも東京大空襲は3月10日だと思うのですけど」、「今日は1月10日。3月ではない。月命日ということ?」、「東京大空襲は3月ですけど、その前にもあとにも空襲自体はあったとは思いますよ。ただ彼の理屈は途中までしか正しくないと思います。戦争で死ぬのは民間人。それは歴史的事実だけど、軍拡でそれを防げないのは9.11を見れば明らかだと思います」。日本植物油協会では、毎月10日を「植物油の日」と決めているので、それと同じ発想で毎月10日を「東京大空襲の日」としたかったのではないか、という穿ったつぶやきまであった。もう消えてしまったが、1月10日、唐突に「東京大空襲」という言葉がネット上に大量に流れた。
まもなくその3月10日の69周年である(直言「東京大空襲から52年」)。「8月ジャーナリズム」という言葉があるように、8月6日から15日までの10日間は、原爆と戦争(1985年からは8月12日「JAL123便事件」が加わり、来年はその30周年)の問題について、メディアが活気づく。3月は「3.10」(東京大空襲)が毎年とりあげられてきた。あまり知られていないが、大阪では1万5700人が犠牲になった「3.13」(大阪大空襲)がある。3年前に「3.11」が加わって、今年も空襲と原発の問題を軸に新聞連載や特集、スペシャルものが放映されるだろう。言わば「3月ジャーナリズム」である。
その3月を前にして、大阪空襲訴訟弁護団の一員である大前治弁護士との共著『検証 防空法―空襲下で禁じられた避難』(法律文化社)を発刊した。この本はこの訴訟との関わりなしにこの時期このタイミングでは世に出なかったものである。
本書の特徴を一言であらわせば、東京大空襲10万をはじめとする全国で60万以上の空襲被害者のなかには、「逃げれば助かったのに、現場にあえてとどまったために亡くなった人たちがいたのではないか」という疑問を、当時の法制度の検討から構造的に明らかにしようとした点である。空襲被害者は米軍の爆撃によって生まれただけではなかった。そのなかには、国によって作られた「逃げられない仕組み」があった。それが防空法である。
防空法は日中全面戦争の年、1937年4月5日に制定され、当初は「防空演習」に法的根拠を与えることに主眼が置かれた。NHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」第19週(2月12日放映)では、主人公が防空演習(バケツリレーで焼夷弾を消す)に遅刻し、水をかけられるシーンが出てくる。やがて防空法8条で義務づけられる「燈火管制」も出てくるのだろう。ちなみに、「ごちそうさん」では、主人公の友人の夫(作家)が自作『おでん皇国戦記』をラジオで読むというシーンもある(おでんは戦争の象徴か、平和の象徴か)。この週では、国防婦人会や特高警察の甘い描き方が疑問だが(『母べえ』同様に)、主人公の夫が防火改修課へ異動となるなど、今後の展開のディティールに注目したい。
防空法は太平洋戦争開戦を前にして、1941年11月25日に改正された。都市からの退去禁止(8条の3)と空襲時の応急消火義務(8条の5)が追加され、罰則も強化された。貴族院で法改正の説明に立った東條英機首相は、その10カ月前に陸軍大臣として「戦陣訓」(第八「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」〔なお、本書38頁では「生きて」が「死して」になっているので、ここで訂正します〕)を発した人物である。戦場の兵士だけでなく、国民に対しても「空襲から逃げるな、身を挺して消火せよ」ということを求めたのである。
ちなみに、「東條の納豆」(腰巾着よりもベタベタしていたとされた)と呼ばれた佐藤賢了・陸軍省軍務課長(当時)は、改正防空法の目的を、端的に国民の戦意喪失を防ぐことにありと述べ、日米開戦を前に国民に対して「皮を斬らせて肉を絶つ信念」を呼びかけた(本書40~41頁)
本書が明らかにしようとしたのは、この防空法の目的はあくまでも国家体制の防護であって、国民の生命・財産の保護ではないということである。防空義務の強化により、国民は「命を賭して各自の持ち場を守る」ことを求められ、空襲から逃げることが許されない状況に置かれることになった。それには、防空法制の末端組織である「隣組」も実質的な効果をあげた。実際に逃げたことで処罰された例はないが、罰則をもって禁止されたこと自体が、住民に対して強度の威嚇効果をもたらしたことは明らかだろう。事実、1945年7月28日の青森空襲では、米軍の伝単で爆撃予告を知った市民が避難したところ、県知事が配給を停止すると脅して、避難者を青森市に戻した。その日の夜にB29が予告通り来襲し、728人が死亡している(本書12~15頁)。避難したのに無理やり連れ戻されて死んだ人々。ここに、「守るべきものは何か」をめぐる防空法の思想が端的にあらわれている。
東京大空襲の4日後、大阪大空襲の翌日の3月14日。貴族院の審議のなかで、大河内輝耕議員は大達茂雄内務大臣に対して、「火ハ消サナクテモ宜イカラ逃ゲロ、之ヲ一ツ願ヒタイ」と要求したが、大臣は最後までこれを拒否した。大河内議員は「人貴キカ物貴キカ」と迫った話は「直言」で何度も紹介しているが、本書では、衆議院でも安藤正純議員が「防火カ待避カ、物ガ主デアルカ、人ガ主デアルカ」と迫った事実を紹介している。
本書は全体を通じて、空襲の犠牲者は、単に米軍の爆撃によるものだけでなく、防空法制を軸とした「政府の行為によつて」(日本国憲法前文第1段)生み出されたものだという視点を明確にしている。これまで各種の空襲訴訟で国の「戦争損害受忍論」を肯定した判決が続くなか、大阪空襲訴訟ではこれを突破すべく、「危険を生じさせる先行行為を行った者は、それによって生じた被害を賠償する責任がある」という「先行行為論」を応用して、原告は、日本政府が防空法制によって空襲被害を拡大する「先行行為」を行ったのだから、それによって生じた被害に対して国は救済する義務があり、その義務を果たさず救済立法を制定しないこと(不作為)は違法とされるべきだと主張したのである。大阪地裁は、この主張を結論的には退けたが、判決理由のなかで、被告・国の「防空法制が功を奏して被害は僅少で済んだ」という主張を排斥して、防空法体制が持っていた構造的問題性について5頁も割いて詳細に認定した(直言「大阪空襲訴訟地裁判決の意義」)。本書では、地裁判決、高裁判決の判決文も巻末に収録して検討している。まもなく上告審判決が出るが、大阪空襲訴訟弁護団は、本書を最高裁に提出して検討を求めるという。
なお、法律を専門的に勉強している人にとっては、防空法→勅令(今日の政令)→通牒(今日の通達)の順番に退去禁止の度合が強まる仕組みにも注目である(56頁以下参照)。法よりも下位の行政機関の命令・規則の方が国民の自由を厳しく制限するという、法治主義の観点からも不可解な構造が見えてくるだろう。
3月15日午後7時30分から、NHKスペシャル「東京が戦場になった日」が放映される。1944年に文系学生が学徒出陣で戦場に送り出されると、国内に残った理科系の学生は「学徒消防隊」として、また、18歳未満の少年は「年少消防官」として各地の消防署に勤務させられ、空襲下の火災に投入された。これらの学徒消防隊員や年少消防官がどれだけ犠牲になったのかは正確には把握されていない。
近年、いくつかの大学で、理系学生でこの「学徒消防隊」で亡くなった人たちの調査をする動きが出てきている。今回のNスペは、ドラマの形をとって、この問題を描く初めての試みと言える。実は、本書の「プロローグ」には、早稲田大学について、理系学生の消防隊について触れた記述がある。その一部を抜粋して引用しよう(3頁)。
…『防空計画・空襲時の心得』(早稲田大学、昭和17年)という小冊子がある。古書店の目録で見つけたもので、そこには空襲時の早稲田大学の対応がマニュアル化されている。例えば、「空襲警報下令時」、講義中の場合、「授業を中止し、部隊長の判断により定められたる部署に就く」。学内には、第一部隊(政経、法の校舎)から第一五部隊(文学部、専門部の校舎)までが編成されていた。教職員と学生の組織である。
「各部隊は相当数の予備班を編成し常に部隊に残留せしむべし。予備班は部隊長又は本部の命を受け部隊付近に生ずる火災の消防、負傷者の救護に當る」。一般市民の避難所は、大隈小講堂となっていた。大講堂と違い、半地下になっているからだろう。…
… 「心得」十には、「今次空襲の結果、焼夷弾の被害を軽視するは不可なり」とあるから、1942(昭和17)年4月18日の「ドーリットル空襲」(B25爆撃機による日本初空襲)の経験が活かされている。というより、早稲田大学がこのような空襲対処マニュアルを作成し、教職員と学生に配付したのは、この空襲により大学と周辺に被害が出たことが大きい。陸軍造兵廠東京工廠(現在の文京区後楽園)を目標とした一機が大学周辺に焼夷弾を投下。大隈講堂の裏に一発が落ち、さらに早稲田中学校の校庭にいた4年生(現在の高校1年生)が直撃で死亡している(柴田武彦『日米全調査・ドーリットル空襲秘録』〔アリアドネ企画、2003年〕50頁参照)。
なお、1945年2月、早稲田大学など都内の大学・旧制高校で「学徒消防隊」が編成された。早稲田では、兵役を猶予されていた理工系学生645人の学徒報国隊員がこれに動員された。3月5日に大学で結成式が行われたが、その5日後の東京大空襲で、学徒消防隊として活動中の理工学部生7人が犠牲となった。「学徒消防隊として、東京大空襲という『戦場』に送り込まれた学生たちがいた。不十分な装備のまま炎に翻弄された彼らも、戦争の犠牲者だった」(『毎日新聞』2013年8月2日付キャンパる欄「学徒消防隊に招集された元早大生」より)。…
「3.10」「3.13」あるいは8月15日の秋田・土崎空襲まで続く中小都市に対する空襲の犠牲者の遺族・関係者の皆さまにも本書をお読みいただき、「空襲被害者等援護法」を求める根拠があることを確信していただきたいと思う。
そして若い世代に。ネットには中韓の対立をあおる威勢のいい言説が飛び交っているが、他国との緊張関係をあおるときは、必ず国内の引き締め体制が強化されていくというのは歴史的教訓であることを知ってほしい。特定秘密保護法もその一つである。本書のエピローグでは、「3.11後のいま」を問うている。北朝鮮ミサイル問題での「国民保護法制」。PAC3で誰を守るのか。「国民反故法制」になりかねないその問題性についても、本書を通じて想像力をめぐらせてほしい。
福島第一原発事故から3年。原発再稼動と原発売り込みトップセールスに走る安倍政権。投票率たったの46.14%だった東京都知事選で、投票した都民の約半数、そして選挙に行かなかった人々は、原発問題は都政と関係ないという候補者を当選させた。いま、この国では、「守るべきものは何か」をめぐる揺らぎが生まれている。
「3.11」を前にして、特に若い世代に本書が読まれることを期待したい。これは70年前の「過去の話」ではなく、「いま」の問題である。