ホルムズ海峡の機雷掃海――安倍首相の「妄想」            2014年6月23日

ホルムズ海峡・カラー写真

日は「新日米安保条約」が発効してから54周年にあたる。集団的自衛権をめぐる与党協議が続くなか、自民・公明の支持基盤である地方からも批判の声があがりはじめた。しかし、安倍首相は、集団的自衛権行使についての閣議決定を強行する構えである。会期中は断念したものの、国会閉会後、可及的速やかに行うだろうと言われている。7月7日(盧溝橋事件)の前後になるとすれば、昨年12月26日(毛沢東の誕生日)の靖国神社参拝と同様、安倍首相は、周辺諸国との間であえて波風をたてることを狙っているとしか思えない。ドイツの政治家が周辺諸国との関係で、「記念日」を活かした外交を展開してきたのとは、実に対照的である。

さて、6月16日のTBSテレビ「ニュース23」と21日夕方の「報道特集」に出演して、前者ではホルムズ海峡の機雷掃海問題について、後者では、すでにこの直言でも論じた「お父さんやお母さんやおじいさんやおばあさん、子どもたち」が乗った米輸送艦の防護問題について、米国務省・国防総省の資料に基づいて批判した。「報道特集」の特集「集団的自衛権 認めて良いのか?」は、証言と映像がそれぞれ響き合う交響曲のようになって、安倍首相のいう機雷掃海、邦人輸送、駆けつけ警護の根拠を完全に論破していた。

第1楽章は機雷掃海の現場の生々しい映像と証言、第2楽章は米輸送艦での邦人輸送の妄想を米国側資料で明らかにし、第3楽章はNGOの現場から、駆けつけ警護はむしろ迷惑との批判、第4楽章はキャスター3人がそれぞれの言葉でまとめていた。日下部キャスターが紹介した、米国でパスポートをとる際の注意書きはおもしろい。「危機に際して米政府のヘリや輸送艦による救出を期待するのは、ハリウッド〔映画〕のシナリオの影響を受けすぎで現実的ではない」と。そのように自国人にさえ断りを付けているというから、米輸送艦による邦人輸送は限りなくゼロに近く、これは、米輸送艦による邦人輸送を完全否定した私のコメントとも響き合う。また、駆け付け警護への中村哲さんの言葉は現場からの真実で、非常に重い。取材も映像も編集も、すべてが報道の力を感じる内容であった(唯一の弱点については末尾の補注を参照)。

機雷の除去について、政府解釈は、「一般的に申し上げますと、外国により武力行使の一環として敷設されている機雷を除去する行為、これは一般にその外国に対する戦闘行動として武力の行使に当たると解せられます。したがいまして、自衛権発動の要件を充足する場合に自衛行動の一環として行うこと、これは憲法が禁止するものではございません。しかしながら、それ以外の場合には憲法上認められないのではないかと考えている次第でございます。これに対しまして、遺棄された機雷など外国による武力攻撃の一環としての意味を有しない機雷を除去するということは単に海上の危険物を除去するにとどまり、その外国に対する戦闘行動には当たりませんので、憲法上禁止されるものではないと、これが機雷の掃海に関する私どもの基本的な考え方でございます」(1997年6月16日参院内閣委 大森内閣法制局長官)というのが代表例である。

「外国により武力攻撃の一環として敷設された機雷、そういうもの、すなわち武力攻撃の一環として敷設されたものを除去するという行為は武力攻撃の一環としてなされた行為を無力化するという効果を持つわけでございますから、それも積極的に爆薬が破裂するとかそういう現象がなくても、やはり武力行使という概念に当たる場合がないとは言えないということであろうかと思っています。」(1991年4月16日衆院内閣委 大森内閣法制局第一部長)というわけである。つまり、日本に対する武力攻撃がない場合に、自衛隊が戦闘状態にある公海や他国の領海に敷設された機雷を除去する行為は、憲法で禁止されている端的な「武力の行使」に当たる。機雷の除去は、集団的自衛権に当たる場合もあるだろうが、集団的自衛権の概念を介在させなくても、それ自体が機雷を敷設した外国に対する戦闘行動として「武力の行使」に当たるから、憲法上禁止されているのである。

ホルムズ海峡

では、イランが機雷で海上封鎖をすると想定されているホルムズ海峡の国際通航路とはどういう場所なのだろうか。実は、日本・オマーン協会の名誉会長は安倍晋三首相、そのひとである。同協会のウェブサイトで、「我が国に輸入される約9割が通過するホルムズ海峡の国際通航路はオマーンの領海内に設置されており」と挨拶文を寄せている。在オマーン日本国大使館は、「オマーンはホルムズ海峡の外側に天然の良港を擁し、同海峡を通る国際航路帯はオマーン領海内を通っています」としている。ホルムズ海峡を航行する船舶の通航路は「オマーンの領海内に設置」されているのである。

冒頭の写真を含む米国国務省「Limits in the Seas」のNo.94(PDFファイル)とNo.114(PDFファイル)によれば、ホルムズ海峡の最狭部は、イランの領海とオマーンの領海によって占められており、公海がなく、国際通航路は、オマーン領海に設置されていることは一目瞭然である。このことは、海上自衛隊幹部学校「ホルムズ海峡の閉鎖に関するイランの表明」でも、「ホルムズ海峡は、イランとオマーンの間にある海峡で、海峡の最も狭い部分は両国の領海で占められており、地理的な中間線が両国の領海の境界となります」と指摘されている通りである。

このように、国際通航路がオマーン領海に設置されている以上、イランは、機雷をオマーン領海に敷設しなければ、海上交通路は封鎖できない。元海将補によれば、「ホルムズ海峡は最狭部が21カイリの海峡であり、事実上、国際航行に使用される海峡と考えられ、海峡の中央部はイランとオマーンの領海が接しているところである。この海峡中央部には分離通航帯が設けられているが、この位置は、超大型タンカー等の大型船の安全航行を期し、地理的環境条件などからオマーン領海内にある。(従って、ホルムズ海峡の封鎖に機雷が使用されるとすれば、その範囲がオマーン領海に及ぶことが十分に予想される」(河村雅美元海上自衛隊将補「日本の掃海活動参加は停戦が必須の前提条件か―ホルムズ海峡の機雷除去を巡って」海洋安全保障情報月報2012年9月号〔PDFファイル〕)。

オマーン領海に敷設された機雷を海上自衛隊が除去しようと思えば、海上自衛隊はオマーン領海内に必然的に入ることになる。政府・自民党は、一時、集団的自衛権行使は、他国の領海には原則として入らず、公海上に制限する考えを閣議決定のための指針に盛り込むとしていた(『朝日新聞』2014年6月8日一面)。だが、ホルムズ海峡の国際通航路はオマーン領海に設置されており、海峡の最も狭い部分には公海が存在しないので、オマーンの領海に入らなければ、ホルムズ海峡での機雷除去はできないのである。

この場合、被攻撃国オマーンの要請を受けて、海上自衛隊が機雷除去をすれば、日本と「密接な関係」にあるオマーンのための集団的自衛権の行使ということになる。ホルムズ海峡での機雷除去における集団的自衛権行使は、「同盟国」であるアメリカのみならず、オマーンのためにも行使するということにならざるを得ない。安倍首相が何と言い繕おうが、集団的自衛権の行使は、「同盟国」であるアメリカ以外の国のためにもなされるということが、ホルムズ海峡の機雷除去の事例から明らかである。さらに、オマーンのためにオマーン領内に入って集団的自衛権行使をするなら、なぜ韓国のために韓国領内に入って集団的自衛権行使をすると言わないのか。安倍首相にぜひとも説明してほしい。

そもそも、イランがオマーン領海に機雷を敷設すれば、イランのオマーンに対する完全な敵対行為である。自衛隊がオマーン領海内で掃海活動をすれば、日本はイランを敵国として、イランとオマーンの武力紛争に参戦することにほかならない。イランは、伝統的な親日国であり、歴代の日本政府も、「我が国はイランとの間において伝統的な友好関係を持っております」(衆院外務委員会平成25年11月27日岸田外務大臣)としてきた。今年の3月5日に安倍総理と会談したイランのザリーフ外相も、「安倍総理をイランにお招きしたい,日本とは伝統的な友好関係を有しており,大変重要な関係である旨述べました」と外務省のウェブサイトにある。安倍首相が繰り出す言葉は、「味方にできなくてもいいから、敵にしない」の逆をいく、「味方にできる人も、味方だった人までも敵にしてしまう」類のものだが、ホルムズ海峡での機雷掃海を執拗に強調することによって、親日的なイランにまで無用の反発を招きかねないことに気づくべきだろう。

安倍首相は6月9日の参院決算委員会で「(機雷掃海は)受動的かつ限定的な行為で、空爆や敵地に攻め込むのとは性格が違う」と答弁した。「受動的かつ限定的」というなんとなく法律論らしい雰囲気の単語をちりばめてはいるが、まったくのまやかしである。この「受動的かつ限定的な行為」という文言は、自衛隊法95条の武器等防護が合憲であることを説明するために内閣法制局の憲法解釈において用いられてきた文言であり、著しくミスリーディングな文言の使い方である。その解釈はこうだ。

「このような武器の使用は、自衛隊の武器等という我が国の防衛力を構成する重要な物的手段を破壊、奪取しようとする行為からこれらを防護するための極めて受動的かつ限定的な必要最小限の行為であり、それが我が国領域外で行われたとしても、憲法第9条第1項で禁止された「武力の行使」には当たらない」(「自衛隊法第95条に規定する武器の使用について」〔1999年4月23日衆院・日米防衛協力のための指針に関する特別委員会提出〕)。

破壊、奪取から武器を防護するので「受動的」と説明されてきたのである。これに対して、日本が攻撃を受けてもいないのに、外国の敷設した機雷を進んで除去する行為は、「能動的」な行為であって、決して「受動的」ではない。

Elements of Mine Warfare

米軍も、機雷除去を「受動的」ではなく、「能動的」な機雷作戦として位置づけている。米国統合参謀本部の「Joint Publication 3-15, Barriers, Obstacles, and Mine Warfare for Joint Operations (17 June 2011)」(PDFファイル)は、機雷戦を左図のように分類している。これによれば、「機雷対抗策」には、「攻撃的(offensive)」なもの(機雷が敷設される前に、敵の機雷の能力を抑止し、破壊すること)と「防御的(defensive)」なものがある。「防御的」なものは、さらに「能動的(active)」なものと「受動的(passive)」なものとに分かれる。機雷除去は、安倍首相のいう「受動的」なものではなく、「能動的」なものとして位置づけられている。

そして何よりも重要なことは、米国海軍省は、「NWP 3-15, Naval Mine Warfare」(PDFファイル)で、機雷戦の法的側面について、「攻撃的機雷作戦(offensive mining operations)および防御的機雷作戦(defensive mining operations)は、ともに戦争行為(acts of war)であると考えられている」としていることである(同上)。機雷戦は事実面から見れば米軍のような分類が可能であるが、同時に米軍がいうように法的にはいずれも「戦争行為」であって、安倍首相のいうように「性格が違う」ものではない。

2013年2月26日の参院予算委員会で安倍首相は、「我が国を防衛する中においては、これは、我が国の事情だけで完結するのではなくて、相手があることであります。よって、これは国際的な標準ということを考えるべきであろうと」と答弁した。機雷除去では機雷を敷設すると想定されるイランという相手がある。「受動的かつ限定的な行為」などという「我が国の事情」は、「機雷除去は戦争行為」とする「国際的な標準」が支配する実際の戦闘の場面では、全く意味がない。端的な戦闘行為を「受動的かつ限定的な行為」などという形容詞を付して、あたかも許される行為のように思わせるのは、ごまかし以外の何物でもないだろう。

このほか、ホルムズ海峡で各国軍が共同で日本船舶を含む船舶の護衛を行っているのに、日本はこれに参加し協力できなくてよいのかという議論がある。だが、人道法国際研究所『San Remo Manual on International Law Applicable to Armed Conflicts at Sea: International Institute of Humanitarian Law』によれば、国際慣習法により、「敵の軍艦又は軍用機に護衛されて航行する」民間商船は軍事目標となる。民間航空機も同様とされる。海上自衛隊がホルムズ海峡で民間商船の護衛をすれば、護衛をされている民間商船は、敵国から攻撃されたとしても、国際慣習法上は許容されるのである。死にたくなければ、軍による護衛を要請すべきではない。

なお、シーレーンの要衝(チョークポイント)とされるマラッカ海峡は、フィリップ海峡とシンガポール海峡で南シナ海と繋がっている。これら海峡は、公海部分がなく、海峡の中心で沿岸国領海の境界が画定されている(高井晉「マラッカ海峡周辺海域の海賊と海軍の役割」〔PDFファイル〕)。「マラッカ・シンガポール海峡」という範囲で見れば、その大部分がインドネシア、マレーシア、シンガポールという沿岸国の内水、領海、群島水域によって占められている(日本海難防止協会「マラッカ・シンガポール海峡の情勢2004」)。ここに機雷がまかれても、インドネシアの領海かマレーシアの領海であり、公海にまかれるという事態はありえない。

安倍首相は、いいかげんに自分の主張の破綻を認めたらどうだろうか。15事例だのと、細かな事例で細かな議論を展開して、公明党の同意を得ようとやっきだが、少なくとも6月21日のTBSテレビ「報道特集」を見た視聴者には、安倍首相が何を覆い隠そうとしているかがわかってしまった。もはやこれまで、である。機雷掃海程度の「受動的かつ限定的な」行為ならばいいだろうと与党協議で納得してしまえば、公明党もそれまで、である。


《付記》本稿は、『世界』(岩波書店)2014年7月号の拙稿「虚偽と虚飾の安保法制懇報告書――『背広を着た関東軍』の思考」の関連部分を一部用いている。

(補注)番組に唯一の欠点があるとすれば、辻元清美議員の質疑の場面で、官房副長官の答弁直後のナレーションに誤りがあったことである。「政府は、アメリカ艦船による邦人輸送は起こりうると重ねて強調した」というナレーションだが、官房副長官は「アメリカ艦船による邦人輸送は起こりうる」とは一言も述べていない。官房副長官は、「何が」という主語を意図的に言わずに、「ただいろいろな有事を考えたときに起こり得べき事態」と答弁している。逆に、官房副長官答弁は、「アメリカ側の方針はそのとおりだと思います」として、安倍首相の主張の根拠を崩している。ナレーションは、「政府は、アメリカ側の方針として、アメリカ艦船による外国人の輸送はないことを認めた」とすべきだった。良質の番組だっただけに、悔いの残るミスではある。

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