NHK連ドラ「花子とアン」と防空法――大阪空襲訴訟最高裁決定にも触れて            2014年10月6日

バケツ消火

NHKの朝の連続テレビ小説というのは、けっこう影響力がある。かつてはまったく縁がなかった私が、朝7時30分(衛星放送)にはテレビの前に確実に座るので、家人はその変化に驚く。「ほんまもん」がその最初だったと思う。しかし、朝ドラ自体に熱心なわけではない。その後も作品によって見たり、見なかったりする。漫画家の水木しげるを描いた作品も途中参入して、結局最後まで見てしまっただけでなく、「ゲゲゲのゲーテ――教員養成に必要なこと」という「直言」まで書いてしまった。「あまちゃん」(2013年)も途中からで、「ごちそうさん」でさえ、かなり後になってからである。たまたま防空法に関する書物の出版を準備している時期と重なっていたので、戦時中を描いた「ごちそうさん」は、録画して何度も見ていた

その本『検証 防空法』は2月7日に発売されたが、それに呼応するかのように、ドラマのほうは、2月12日の回では、バケツリレーで焼夷弾を消す防空演習の場面が登場し、2月28日には、主人公の夫が「空襲のときは火を消さずに逃げろ」と住民に指導して逮捕された法的根拠は何かが話題になった。空襲時における地下鉄避難の問題も描かれた。朝のわずか15分という枠とはいえ、「ごちそうさん」の影響力は抜群だった。一般の方々の間で、「防空法」という法律の認知度が一気にあがったことは間違いない。

布団消火

「ごちそうさん」に続いて始まった「花子とアン」では、第1話(3月31日)の冒頭シーンが印象的だった。主人公の村岡花子が後に「赤毛のアン」となる原書の翻訳をしているとき、空襲警報がなり、B29の大編隊が来襲。焼夷弾が部屋のなかにも落ちてくる。そこで花子は何をしたか。冒頭の写真のように、バケツで水をかけている。次に、布団をかけて、焼夷弾を消す。そこへ、娘がやってきて、原書と辞書だけを抱えて避難をはじめる。このシーンは、明らかに「ごちそうさん」における空襲シーンと流れを重ねて、前の週まで「ごちそうさん」モードになっていた視聴者の心を無理なくつかもうとしたのだろう。

この冒頭シーンは、第24週第144話(9月13日) に再度出てくる。ところが、第1話で花子がやった焼夷弾を水と布団で消そうとする行動がまるまるカットされ、娘と防空頭巾をかぶるシーンになっていた。そう言えば、第1話では「花子」のメイクはもっとフケ顔だったと記憶しており、これも違った。『検証防空法』の出版後だったので、花子が防空法8条の3所定の行動をとる場面がもう一度みられる、と実は楽しみにしていた。この期待は見事に裏切られた。

「花子とアン」のなかで防空法に基づく行動(避難しないで持ち場の火を消す)を花子がとるであろうことは、8月31日に、京都の立命館大学国際平和ミュージアム「土曜講座」での講演「『人貴キカ 物貴キカ』――防空法制から診る戦前の国家と社会」のなかでも予告しておいた(この講演は『毎日新聞』8月31日付(京都版)で詳しく紹介されている)。残念ながら、そこに参加した聴衆の方々は、9月13日に花子がバケツを持つシーンを見ることはできなかった(自信たっぷりに予告してしまった私の立場はどうなるのですか、中園ミホさん(笑))。

避難

ちなみに、「花子とアン」でナレーションを担当した美輪明宏さんの作品に「白呪」があることをたまたま知って、CDをネットで購入した。その冒頭には「祖国と女達(従軍慰安婦の唄)」が置かれ、「亡霊達の行進」という東京大空襲を描いた作品も収録されている。これらの曲は、「花子とアン」を見なければ決して出会うことはなかったであろう。

このように、わずか1年の間に、「ごちそうさん」と「花子とアン」という二つの作品を通じて、多くの市民は、空襲下の庶民のありよう、特に防空法で避難が一般的に禁止され、応急消火義務を課せられていたことを、戦後70年を前にして知ることになるのである。

このNHK連ドラのおかげで、防空法の認知度は格段にあがったことは、新聞の投書欄でも確認することができる。例えば、「「家守る」母を縛った防空法」 島根県・75歳女性の投書(『朝日新聞』(大阪本社版)2014年4月15日付「声」欄)。


1945年3月13日、大阪大空襲の夜。…祖母と避難していた映画館に、家に残っていた祖父と母が迎えに来てくれました。名前を呼ばれた時は、安心して涙がどっと出ました。しかし、幼心にも不思議でなりませんでした。空襲の時、母はこう言ったのです。「おばあちゃんと逃げてや。お母ちゃんは家を守らなあかん」。どうして母は私と一緒に逃げないのか。どうにも腑(ふ)に落ちませんでした。3月13日の本紙記事〔大阪本社版の『検証防空法』の記事〕を読み、理由がようやく分かりました。空襲から逃げるな、と国民に強いた「防空法」のためだったのです。私たちは戦争のことを覚えている最後の世代だと思います。国民が抑圧される暗い時代が再び来ないように、孫たちのためにも声を大にして、戦争の悲惨さを語りついでいかねばなりません。

また、「国民縛る「防空法」、私も見た」広島県男性、81歳の投書(『朝日新聞』(大阪本社版)2014年4月7日付「声」欄)。

1945年3月13日夜。私は親友の勉ちゃんと防空壕にいた。大阪大空襲の火の手が迫る。…「もう駄目だ。逃げよう」と父。そこへ火たたきを持った男性が現れ、「敵に後ろを見せるな。大日本帝国万歳」と叫び工場へ。父は私を逃がしその場に残った。…当時は、奉安殿を守り焼死した教員は忠誠心がたたえられた。戦時中の「防空法」は、都市からの退去禁止、空襲時の消火義務などを定めていた。命より国家を優先した法律に国民は縛られていたのだ。NHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」の西門悠太郎は、米軍の空襲に備える「防空演習」で市民にこう呼びかけた。「命が惜しかったら、とにかく逃げろ」。この考えが認められていたら、どれほど多くの命が救われだろう。法律は何のために、誰のためにあるのか。戦前回帰が懸念される今、問い直したい。

『検証 防空法』

ところで、9月11日、「花子とアン」の第24週、花子たちが空襲を恐れる日々を過ごしていた日に、最高裁第1小法廷は、防空法について問われた大阪空襲訴訟について、上告棄却の決定を行った。理由はただ一点。民事事件について最高裁に上告できるのは民訴法312条1項(憲法違反の主張)または2項(1~6号の事由)の場合に限られ、本件の上告理由は、単なる法令違反の主張であって、上告理由にあたらないというものである。これで原告の敗訴が確定した。

一審の大阪地裁の判決も、二審の大阪高裁の判決も、ともに原告敗訴だったが、実は「勝てなかったが、負けていない」部分が判決理由中にある。それは、防空法とそれに基づく戦前の防空体制の、国家優先の本質的欠陥に関する事実認定の部分である(詳しくは、直言「大阪空襲訴訟地裁判決の意義」)。

一審の大阪地裁判決は、防空法が退去禁止を定めており、実際に退去させない指導もなされたこと、また、「安全性の低い待避施設」を作らされ、多くの空襲被害者が「実態を正確に知ることができない状態にあった」ことを、裁判所として認定している。戦前の防空法制の問題性について、裁判所としても問題意識を抱いたということだろう。ただ、逃げずに被害を受けた人や、逃げたけれど被害を受けた人など「被害もいろいろ」だから、「先行行為が与えた影響も様々なものがある」として、被害者を全体としても、一定の範囲においても、救済する立法措置をとるべき義務は、条理上出てこない、と結論づけてしまった。被告・国の「防空法が被害を僅少にした」という主張を退け、防空法がむしろ被害を拡大した可能性があることに踏み込むという積極面を示しながら、しかし、被害の態様も「いろいろ」、先行行為への影響も「いろいろ」というところで思考を止めてしまったのである(拙著『検証防空法』参照)。

2013年1月16日、二審の大阪高裁は、「戦争被害は国民が等しく耐え忍ばねばならない」とする「受忍論」に関する最高裁判決を一部引用して、上記の一審判決の結論を支持した。もっとも、最高裁判決は戦後補償の不存在が違憲となる「余地はない」としていたが、大阪高裁判決は違憲という判断が「あり得る」とした。その意味は大きい。

そして高裁判決は、戦時中の国の政策が空襲被害を拡大させた可能性にも言及し、国民に空襲時の消火活動などを義務づけた防空法によって「国民が空襲から逃げることを困難にさせる状況を作った」ことを認定した。さらに高裁判決は、国側が一審判決に対して「事前退去が困難だったという認定は誤りである」と反論し、疎開政策があったから地方へ退去できたと主張していたことに関して、これを一蹴した。すなわち、当時の疎開政策は、あくまでも国土防衛の目的から策定されたものであり、生産、防衛能力の維持に必要な人材に対しては、疎開を原則として認めないものとし、これらの者に対しては身を挺して防火に当たるよう求める一方で、防空の足手まといとなるような老幼妊産婦病弱者は優先的に疎開させるという方針を同時に示しているものであり、無条件に国民の疎開を推し進めるものではなかった、と。このように、高裁判決は戦前の疎開政策に厳しいまなざしを向けている。

さらに、「被控訴人(国)は、大阪空襲当時、事前退去をすることが事実上困難といい得る状況を被控訴人が作り出したと認定すべきではないと主張するが、少なくとも開戦当初は、一般的に退去を行わせないという方針を掲げ、隣組として防火活動に従事することが国民の責務であるといった思想を植え付けるなどして、事前退去をすることが事実上困難といい得る状況を作出していたと認められる」と述べている。高裁判決のこの部分は、原告らを敗訴させるだけなら敢えて言及しなくてもよいところで、あえて国側の主張に反論しているのである。このことからも、高裁判決が、疎開政策と退去禁止の関係にも注目していたことは明らかだろう(以上、拙著『検証 防空法』より)。

先月の最高裁の決定は、上記の問題には一切立ち入らずに、形式的なところで訴訟を終結させてしまった。しかし、大阪地裁と大阪高裁において、防空法制の問題を前面に押し立てて争った大阪空襲訴訟は、戦前の防空法制のもつ欠陥や問題性を裁判所に認めさせたという意味で、重要な成果と言えるだろう。それは「空襲被害者等援護法」の制定要求の根拠ともなるからである。空襲被害者は、国の無責任な防空施策によっても被害を受けたのであって、それに対して国に援護を求めることができる。NHKの連ドラは、こうした問題性をはらむ防空法について広く一般に知らしめる上で重要な貢献をしたように思う。

最後に、「花子とアン」について付言しておけば、防空法の問題など戦時中の描写がすぐれていただけでなく、さまざまな立場の人間の戦争責任をその登場人物からさり気なく表現していた点でも見事だった。とりわけ、第135話、136話は、作家など知識人の戦争責任、憲兵、教師、「ラジオのおばさん」のそれ。そして「蓮子」の言葉を通じて、戦争をとめなかった母親、民衆の戦争責任も、現代に向けて問う。「8.15」を「玉音放送を聞く人びと」の風景として描くドラマが多いなかで、「花子とアン」は一人ひとりの戦争責任の問題を突き付けた点で、朝ドラ史上初の、画期的な内容だったのではないか。

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