NATOグローバル化のパラドックス――「米国以外の国に戦争をやらせる体制」
2024年7月15日


 

ホワイトハウスのバルコニーの意味
画のような写真である。7月10日、ワシントンで開催されたNATO首脳会議。それを報ずる『南ドイツ新聞』7月12日付3面の記事には、ホワイトハウス南側のバルコニーに参加各国の首脳たちが立ち、儀仗隊を「閲兵」する写真が小さく掲載されている。それを拡大したのがこの写真である(キャプションには「もしトラ」への危惧の空気が書かれている)。注目したいのは、各国首脳の位置である。正面にはバイデン大統領とシュトルテンベルクNATO事務総長が立つ。合衆国大統領紋章が掲げられた2階正面バルコニーは重要な一角で、コロナにかかったトランプもここから支持者に向かって演説している。そのVIPスポットに並ぶのは、右から岸田文雄首相、バルト三国の一つ、ラトヴィアのシリニャ首相、ウクライナのゼレンスキー大統領、韓国の尹錫悦大統領とその夫人、ニュージーランドのラクソン首相である。ラトヴィア以外はNATO加盟国の首脳ではない。この「破格の扱い」はどこから来るのか。実はこれが、今回のNATO首脳会議の目的(米国の狙い)と関連しているというのが私の見立てである。


NATO75周年の歴史的意味づけ

  このNATO首脳会議は、NATO創設75周年記念の意味をもっている。米国の著名な外交問題誌Foreign Affairs7月8日に、「ウクライナとNATOのよりよき道」という論稿が掲載されている(M. E. SarotteAROTTE, A Better Path for Ukraine and NATO) 。「今週ワシントンで開催されるNATOの75周年記念サミットで、何が起こらないかはわかっている。それは、ウクライナがNATOの33番目の加盟国になることだ」としながら、トランプ再登場によりNATOが困難な状況を迎えることを示唆しつつ、NATO加盟の条件が一律でないことを論ずる。フランス、西ドイツ、ノルウェーの3カ国のそれぞれの加盟時の条件や状況を分析しつつ、NATO条約5条(集団的自衛権)との関係で、「国境が明確でない国家」は加盟できないとして、東西に分裂していた一方の西ドイツが加盟するときの適用範囲の明確化の仕方に注目する。他方、1955年にNATOに加盟した西ドイツは、経済復興と民主主義の規範を確固たるものにしたことを挙げる。その上で、ウクライナ政府に対して、軍事的に防衛可能な暫定的な国境線を定めることや、自衛の場合を除き国境を超えて軍事力を行使しないことなどの条件をつける。ただ、NATO加盟への大きなリスクと課題もある。一番の問題は、加盟には全加盟国の承認を必要とすることである(米国上院の承認も)。

 過去のあらゆる「同盟」との比較でNATOのことを論じた『南ドイツ新聞』7月5日付の評論「NATOの75年―不安に対する同盟」(Stefan Kornelius,75 Jahre Nato:Eine Allianz gegen die Angst)も興味深い。「NATOは戦争の不安(Kriegsangst)で繁栄し、そして今、再び戦争の不安で繁栄している」としながら、「NATOは防衛同盟であり、守るべきものがなければ同盟は存在しない。冷戦後の20年間、同盟の正当性が問題となった。 今、プーチンのおかげで、その問題は忽然と消えた」とする。過去の同盟が長続きしないのに、なぜNATOは存続し続けているのかと問いつつ、とりわけNATO条約の簡潔な14カ条のなかの第5条の108語に注目する。「一人は万人のために、万人は一人のために」(Einer für alle, alle für einen)。攻撃された場合の同盟の基本原則である。加盟国の1カ国が攻撃された場合、全加盟国への攻撃とみなされる。集団的自衛権である。そしてこうもいう。「戦争というビジネスにおいて、抑止力という考え方は、おそらく人類が考え出した最高の発明である。 抑止力とは、防御的で、当初は平和を愛する態度に基づくものである」。人類の歴史上、おそらくあらゆる軍事同盟が、平和を愛する性格を表明してきた。 だが、二国間同盟や三国同盟等々、近世から19世紀にかけて、このような一時的な同盟の脆(もろ)さはヨーロッパで明らかであった、と。

冷戦時代、「米国を圧倒的な保護力とするNATOは、西側の極の磁石となった。 このビジネスモデルは成功を収め、創設12カ国の後、さらに20カ国が株式の取得を希望した。 最近では、フィンランドとスウェーデンがロシアの侵略に直面して再保険を予約した」。そして、今日、NATOに第二の生命を吹き込み、その存続に貢献したのがウラジーミル・プーチンである、と。

だが、NATOをめぐる状況は不安定である。11月5日の米大統領選挙の結果、トランプが再登場すれば、「NATOは、ヨーロッパ戦争のさなかにその保護力、そして信頼性を失うことになる」、そして「創設から75年を経た今もなお、並外れて長命な同盟の周期的な終焉となるだろう」と。

最近流行の言葉を使って表現すれば、「もしトラ」から「ほぼトラ」へ、それが「いまトラ」となった時、「NATOの終わりの始まり」が始まるのか(下の写真は、Der Spiegel誌2024年1月20日号の表紙(特集:独裁者トランプのシナリオ))。


ウクライナ加盟への「不可逆的道筋」?

このNATO首脳会議の「宣言」は、ウクライナ侵攻でロシアを非難するだけでなく、中国をロシアの「決定的な支援者」と位置づけ、強いトーンで非難している。ソ連・ワルシャワ条約機構との対抗的軍事同盟として誕生した「北大西洋条約機構」が、インド・太平洋をカバーするグローバルな軍事同盟へと、条約本文の改定なしに、バージョンアップされていく。日本や韓国、ニュージーランドなどを引き入れる狙いもそこにある。

首脳会議では,ウクライナ加盟の「不可逆的な道筋」(irreversible path)が宣言された。2025年中に、F-16戦闘機や防空支援など400億ユーロ(約7兆円)規模の軍事支援を実施することも表明された。ウクライナ軍の訓練を調整するメカニズムの設置も確認された。だが、ウクライナのNATO加盟については合意できなかった。「不可逆的な道筋」という奇妙な表現が印象に残った。再び元に戻ることのない一方向の歩みということだが、加盟の時期は不明確である。「不可逆的」という言葉こそ威勢はいいが、実際のところ、ウクライナの加盟は、「永遠の待合室」に置かれたままである(「ミンスクⅡ」に尽力したドイツのメルケル前首相の加盟への消極的姿勢の表現)。

NATO加盟32カ国のうち、ハンガリーはウクライナの加盟を認めるはずもない。首脳会議の合間に、オルバーン首相がトランプと会談するほどである。ハンガリーに続き、スロヴァキアも、ウクライナのNATO加盟に反対である。同国のフィーコ首相(暗殺未遂事件があったが、6月に公務復帰)は、ウクライナがNATOに加盟すれば第三次世界大戦が起こると警告している。さらに、ノルウェーのヨーナス=ガール・ストーレ首相も「ウクライナはNATOに招待されない」という立場である。ノルウェーはF-16戦闘機6機の供与を行うが、NATO加盟には消極的である。さらに、トルコがウクライナの加盟に賛成することはまずない(スウェーデンの加盟にも抵抗した)。新規加盟には加盟国の「全会一致の合意」が必要であるから(NATO条約10条)、「不可逆的な道筋」とは「永遠の待合室」の言い換えといっていいだろう。メルケル前首相のリアルな状況認識は生きている。


「民主主義国」の戦争路線と「権威主義国」(政党)の「平和」路線

ウクライナでゼレンスキーへの不満が高まっているようである。米国とEUが実施した非公開の世論調査を引用して5月に発表されたロシア情報庁の報告書によると、紛争の初期には最高80%だったゼレンスキーへの支持率が17%にまで低下し、現在も下がり続けているという(RT2024.7.11 )。交戦中の国の情報なので割り引いてみる必要はあるが、しかし、ゼレンスキーの大統領任期は本年5月20日までであり、すでに2カ月近くオーバーしている。戒厳令下での選挙は不可能ということで、任期切れでも大統領職を遂行しているが、民主的正当性は問われている。

「ウクライナ戦争」は「地政学的戦争」(リチャード・フォーク)、あるいは「プロキシ(代理)戦争」と特徴づけられる複雑な性格をもっており、侵略者ロシアに対するウクライナの「自衛戦争」というシンプルな構図でとらえることはできない。民主的正当性を失ったゼレンスキーが、国内に軍需産業を誘致して戦争を継続しようとしている。まさに軍事的な「地産地消」である。

前述したように、ハンガリーのオルバーン首相は、国内では権威主義的政策を展開しているが、対外政策では、NATO加盟国でありながら、NATOの軍事的暴走の「歯止め」の役割を果たしている。 オルバーン首相はワシントンでの首脳会談の前に、モスクワと北京を訪問しており、ハンガリーがEU理事会の議長国であることから、実に興味深い動き方をしている。

オルバーンは7月5日、「戦争がNATOのアジェンダになった」いう論稿を発表し、「NATOは本来の「平和的」かつ「防衛的」な性格を捨て去り、事実上、戦争主義に存在意義を見いだしている」と指摘している。そして、ウクライナ紛争への欧米の関与を声高に批判し,米国主導の軍事ブロックによる措置のエスカレーションは、最終的にはロシアとの直接的な軍事衝突につながりかねず、破滅的な結果をもたらすと警告している。

他方、NATOの内部では、フランスのマクロン大統領が、ウクライナへのフランス軍の派遣を否定しないと発言して物議をかもしている。また、エストニアとリトアニアが、後方支援など非戦闘任務のために、ウクライナに部隊を派遣する用意があるとした。現在バルト三国の首相は全員女性であり、軍事への前のめりの姿勢が際立つ。

ドイツの社民党(SPD)と「緑の党」の「信号機連立政権」が軍事優先むきだしの姿勢であることは、直言「大軍拡の時代―「行動原理としての戦争適性能力」」で詳しく書いた。NATO首脳会議に関連して、7月11日、ワシントンで、「ドイツにおける長距離兵器システムの配備に関する米国およびドイツ連邦共和国政府の共同声明(2024年7月11日)が公表された。これによると、米国は、将来の恒久的な配備に向けた計画の一環として、2026年から、長距離巡航ミサイルをドイツに配備する。SM-6、トマホーク、現在開発中の極超音速兵器などが含まれる(上の写真はドイツZDF7月12日放送)。射程2500キロ。モスクワやサンクトペテルブルクにも届く。1979年のNATO決定(巡航ミサイルなどの配備)に対する反核運動の流れを組む「緑の党」は見事に好戦派に転進し、「もっと早く決定すべきだった」とショルツ首相を煽っている。この計画に対する批判は、左派党や、BSW「ザーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟」、極右の「ドイツのための選択肢」(AfD)から出ている。AfDは、「最新のミサイルは「飛行時間が短いため、極めて不安定化させる効果がある」と指摘し、ミサイルが配備された国は「NATOとロシアの間でますますエスカレートする紛争の格好の標的になる」と、まっとうな批判をしている。民主主義国が戦争を求め、権威主義国が平和的なのと同様、極右と極左が、社民・緑の戦争政策をたたくという構図である(フランスの極右ルペン党首も同様)。

EU、NATOの「民主主義国」が脅威をことさらにあおって戦争のハードルを下げる一方で、「権威主義国」が戦争を抑制する方向に動いているというこの「ねじれ」をどう考えたらいいだろうか。

NATOのグローバル化――根っこは米国の不安定性・不確実性

   バイデン政権の焦りが、今回のNATO首脳会議に色濃く反映している。一枚岩ではないNATOに、日本や韓国、オーストラリア、ニュージーランドという、米韓条約、日米安保条約、アンザス条約という個別に米国が条約を結んだ国々を、面倒くさい条約交渉や国内手続をすべて飛ばしてジョイントさせる(私の言葉でいう「プロパ」(「プロセデュア・パフォーマンス」) )。そして、それは成功したといえる。日本ではひと足先に、「敵基地攻撃能力」(「反撃能力」)をかざした大軍拡のなかで、トマホーク400発の導入が進んでいる。

  背景には、「もしトラ」のオブセッション(強迫)がある。トランプ政権になれば、ウクライナへの軍事援助は停止され、プーチンとの間で、「上からの停戦」が一気に実現するだろう。今回のNATO首脳会議は、大急ぎで日本やドイツなどを米国の戦争政策に引き込むために行われたといえる。2022年の「12.16閣議決定」で明確になった岸田政権の大軍拡への動きは、米軍と自衛隊が完全に一体化して武力行使を確実に行えるようにするための布石であり、「戦争に巻き込まれる」のではなく、日本が自ら「戦争に踏み込んでいく」証である。1990年代から始まる「金出せ、人出せ、血も流せ」(「カタツムリの歌」のトーンで)の「血も流せ」のステージにいよいよ入っていくことになる。

 だからこそ、冒頭で紹介した2階のVIPスポットをあてがわれたのは、日韓、ニュージーランドという今後の「グローバルNATO」の有力メンバーとともに、エストニアとリトアニアと異なり、まだウクライナへの後方支援部隊の派遣を決めていないラトヴィアが選ばれたのではないか。これらの国々の首相たちは、あのVIPスポットの意味がわかっているだろうか。

 ウクライナでも、ガザでも、東アジアでも、その危機の根源にあるのは、米国の不安定性と不確実性ではないのか。その意味で、7月14日にトランプ銃撃事件は、不安定と不確実を加速させることになるだろう。「某霊」がトランプを救ったというSNS上の発信まであらわれ、「選挙イヤー2024年」の下半期の混迷を予感させる。「トランプを狙って撃った銃弾がバイデンに命中した」といわれる時がくるかもしれない。

 

余談:フィンランド映画『デイ・オブ・クライシス  ヨーロッパが震撼した日』(2021年)
   先日、フィンランド映画『デイ・オブ・クライシス ヨーロッパが震撼した日』(2021年)を見た。日本の劇場公開は2022年7月22日だった。5カ月ほど前にロシアによるウクライナ侵攻が起きている。もし侵攻が起きたあとだったら、この映画の設定や展開、結末はかなり変わったいたことだろう。映画は「悪の権化」、ロシアが黒幕という設定で進む。フィンランドのNATO加盟を阻止するために、武装集団がフィンランド大統領らを人質にとって大統領官邸に立てこもる。このあたりまでは、北欧のサスペンスアクションとして見ていたが、警察や軍の稚拙な指揮系統や部隊の運用、大統領官邸なのに杜撰な警備等々、あまりのリアリティのなさに視聴意欲がなえていく。EU合同警察部隊のメンバーが主人公。英米系の映画と違って、北欧の言語が飛び交い、それなりに面白いのだが、交渉人をやった警官がベラルーシにある武装集団の本拠に乗り込むあたりから、話の展開に無理が出てくる。アサルトライフルの装弾数などおかまいなしに撃ちまくる戦闘シーンはお粗末。結末もあきれるくらいご都合主義的である。

      この映画の背景には、フィンランドのNATO加盟の問題がある。しかし、映画公開後、ソ・フィン戦争(1939-40年)を経て、戦後中立国となったフィンランドが、この国の歴史を踏まえない、36歳の社民党サンナ・マリン首相(当時)の勢いで、NATOに加盟してしまった(写真は首相(右から2人目)と閣僚たち)。スウェーデンと合わせて北欧のすべての国がNATO加盟国となった。フィンランドとロシアの国境線1300キロに、ロシアは戦術核兵器を配備するという(メドベージェフ前大統領)。NATO加盟によってフィンランドは「安全」になったというよりも、むしろ危うくなったのではないか。

《追記》
     安全保障専門オンライン誌『The National Interest』2024年7月15日に、オーストラリア国防省元職員で安全保障専門家の論稿「「希釈された」NATOは間違いだ」(A “Diluted” NATO Is a Mistake) が掲載された。ホワイトハウス2階はバルコニーに並べられた日本などの首脳たちの扱いにも注目しつつ、この首脳会議が、6月のトランプとの討論で失敗したバイデンが、そこから回復したことを示すパフォーマンスだったと喝破する。1978年以来の首脳会議をフォローしながら、「NATOはその目的を忘れ、中心的な 使命を見失っている」「NATOはあまりにも多方面に押し出され、引っ張られ、その中核的責任を見失った」と批判する。
   「中国からロシア、イランまで、まるで買い物リストのように外的脅威が列挙されている」「今日のNATOの戦略目標が「集団防衛の新時代に向けたNATOの近代化」であるとすれば、これにはオーストラリアやニュージーランドのような国家は含まれない。いずれも北回帰線よりかなり南に位置し、NATOの集団防衛の地理的ゾーニングの限界である」。90年代までのNATOはその目的を理解し、「地理的境界線において必要な戦略的抑制」を示していた。「 NATOはその原点に立ち返り、欧州・大西洋地域の安全保障と安定を強化するという本来の目的を再発見しなければならない」と言い切る。
   この論稿は、「2025年のNATO首脳会議はオランダで開催される」として、次期NATO事務総長マルク・ルッテ(前・オランダ首相)への期待で結ばれている。
   付け加えれば、この2025年NATO首脳会議で米国の新大統領はまったく違った方向性を打ち出すかもしれない。いずれにせよ、米国の大統領が誰になるかで世界平和が振り回されるのはもうごめんである。米国から適切な距離をとる外交が求められる所以である(特別レポート「戦争に飢えた米国―流血が潤す最凶の「軍事経済」」『選択』2024年6月号6-9頁参照)。(2024年7月19日追記)

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