軍事的合理性にこだわる首相の誕生――「最短」総選挙の後に
2024年10月7日


電撃戦(Blitzkrieg)の解散・総選挙

10月2日付各紙は、『朝日新聞』から『下野新聞』まで、まったく同じ見出し、つまり「石破内閣発足」だった。政権に対して好意的な保守系紙『夕刊フジ』が、かつてない強いトーンで、「時限爆弾内閣発足」という見出しを打った。先週の「直言」で書いたように、「高市を選ばない選択」の結果なので、永田町は活火山と化している。各紙社説はいずれも厳しい論調で、特に『朝日』は「解散急ぐ石破新内閣 国民の信を損なう言行不一致」を衝いた。推薦人20人中6人の入閣という露骨な論功人事、防衛大臣経験者を4人も閣僚と総務会長に据え、筆頭秘書官に旧知の防衛官僚を就ける「安保・防衛布陣」(付け加えると、プラモデルを好んで作る「軍事オタク」の政策秘書を秘書官にした)。総裁に選出されただけで、まだ正式に首相に選ばれていない段階で、「今月27日の投開票を表明したのは、正道とは言えない」と強く批判した。

   粘着質の独特な話し方で、じっくり「正論」を語る。2018年9月の総裁選では、「正直、公正、謙虚、丁寧、透明、誠実」という言葉を安倍晋三に連射して、「安倍首相への個人攻撃だ」と側近から反発を受けた。世論調査で石破への支持が高かったのは、「ルールの順守」「公平公正」「謙虚」という言葉を多用し、「正論」を主張し続けるところにあったはずなのだが、総裁に選出されるや豹変した。総裁選では、「早期の解散」を主張する小泉進次郎とは対照的に、石破は、「野党との国会論戦を経て、衆院選での判断材料を提供する必要がある」と主張していた。「国会論戦」とは、衆参両院の予算委員会を開いて議論をすることを意味した。たった1日の党首討論のあとに解散などという強行日程は、これまでの石破だったら強く批判するような手抜き政治ではないか。

  「首相就任から8日後の解散、26日後の投開票はいずれも戦後最短。解散から投開票までは18日間で、2021年衆院選の17日間に次いで戦後2番目の短期決戦となる」(『毎日新聞』9月30日付)。私は何度も「直言」のなかで、首相が解散権を「伝家の宝刀」と称して濫用に近い運用をしてきたことを批判してきた(例えば、直言「衆議院解散、その耐えがたい軽さ(その2・完?)」参照)。「党内野党」ともいわれる石破の場合、「単に天皇の国事行為を定めたに過ぎない第7条を根拠として「今解散すれば勝てる」とばかりに衆議院を解散することは、国会を「国権の最高機関」とする憲法第41条の趣旨にも反することになるのではないでしょうか(私は政治的美称説には立っておりません)」(石破茂オフィシャルブログ2024年6月14日)という正論(憲法論的にも、政治的美称説をとらない先を聞きたい!)を展開していたから、言行不一致も甚だしい。

 裏金議員の原則公認もあっさり決まった。総裁選では、裏金議員の公認取り消しの勢いすら感じさせる発言をしていたのに、これをおおらかに反故にしてしまった(その後、裏金議員の一部を非公認とし、「不記載議員」の比例重複を認めない方針を決めた。10月7日追記)。

自ら主張してきた「国会論戦を経た上での解散・総選挙」ではなく、史上2番目の短期決戦を選ぶのは、電光石火の早さと打撃力で敵を撃破して、短期間で勝利をもたらす「電撃戦」(Blitzkrieg)の効果を狙ったからだろう。電撃戦では、高度の機動能力をもつ機甲部隊の集中運用が不可欠である。15日間という異例に長い総裁選運動期間に、自民党9候補がメディアに十二分に露出することで、有権者に対して、「比例区は自民党」という重戦車のような圧倒的メッセージを集中的にプッシュしたわけである(直言「メディアを使った事前運動ではないか―総裁選から総選挙へ」参照)。そして、間髪を入れず、選挙運動期間わずか12日間の総選挙に突入する。党内の不満が顕在化するのを未然に防ぐべく、裏金議員も原則公認して、すべて選挙で決着をつけさせる。小選挙区では多少減るだろうが、総裁選効果で比例では善戦し、過半数は何とか維持できる。

 そのように判断したのは、小選挙区で野党が複数候補を立てると見込まれているからであろう。共産党は、供託金没収(有効投票総数の10分の1に満たない)確実な候補を小選挙区に大量に立候補させるので、「供託金募金」を訴えている。かくして、小選挙区での野党票分散で、裏金議員も浮上する。参院補選などでは共産党を含む「野党共闘」が功奏して、自民党はかなり痛手だった。だが、先月、維新・国民民主に傾斜する野田佳彦代表が就任して、共産党は「供託金没収」の独自路線に回帰した。「最短」総選挙は、野党に選挙区調整の時間を与えないという意味で、まさに電撃戦効果を発揮する。言行不一致の批判は(石破には)痛いが、10月27日になればおさまると読んでいるのだろう。高卒で鹿児島市議7期からのたたき上げ、野党根回しの国会対策委員長の在任期間が歴代最長の森山裕幹事長の老獪な決断だろう。対する立憲民主党は、これまた老獪な小沢一郎総合選挙対策本部長代行が、野党間の候補者調整にどこまで成功するか。いずれにしても、判断するのは国民である。すべては10月27日にかかっている。

 
石破茂防衛庁長官の派遣命令フライング

  さて、26年前、自民党安保調査会副会長時代の石破と、『中国新聞』1998年4月27日付で紙上対談したことがある。冒頭の写真がそれである。石破は41歳、私は45歳だった。翌月の直言「憲法施行51周年に寄せて」でこう書いてる。「石破氏とは国会内でお会いした。率直な方で、情勢認識も法案評価もことごとく対立したが、根本的な議論が必要という点では意見が一致した。石破氏は、ガイドラインや周辺事態法案が票にならないことをしきりに嘆いていた。国会議員がこの法案をよく読んでいない、とも。「政治改革」で小選挙区制を導入した結果ではないか、と私がいうと、石破氏はその点について否定しなかった」。26年前に議員会館の部屋で会った、プラモデル好きの吉村麻央政策秘書(当時、20代前半)が、石破内閣発足で8人いる首相秘書官の一人になった。

   この対談の6年後の2004年9月30日、小泉純一郎第1次改造内閣で、石破防衛庁長官が誕生した。それから第2次内閣まで2年近くその任にあった。その間に、自衛隊のイラク派遣が行われた。実はこの派遣命令をめぐって、防衛庁長官と福田康夫・内閣官房長官の間で軋轢が生じた。

 2004年1月9日、石破長官は、陸自先遣隊と空自本隊の派遣命令を出した。だが、イラク特措法上、自衛隊派遣は国会承認事項である。各種命令から20日以内に国会に付議し、国会閉会中は「その後最初に召集される国会」で「速やかに」承認を求める必要がある(6条1項)。 前年12月19日、陸海空三自衛隊に派遣準備命令が発令されているから、1月19日に召集される第159国会(常会)で、三自衛隊すべての派遣に関して国会承認を求めなければならなかった。福田内閣官房長官はその方向で動いたが、石破長官は9日の派遣命令で押し切った。『読売新聞』1月 10日付に、それを皮肉った漫画(かわにしよしと作)が掲載された。「これで変更ナシ…ですね?」という石破長官のジトーッとした眼差しが強調されている(直言「年のはじめに武器の話(その2)」)。2024年「最短」総選挙を選択したように、慎重に見える石破には、猪突猛進の一面もある。

 

石破茂の本質――「軍事的合理性」の突出

 私は、石破が退任した直後に、直言「石破前防衛庁長官729日の「遺産」」をアップした。そこの「石破茂とは何か」に関わる部分を再読していただきたい。私は石破について、20年前から一貫している点として、「軍事的合理性をとことん突き詰める政治家」であることを指摘したい。いま、「石破首相」が誕生したことで、この国に初めて、「制服を着た市民」ではなく、「軍服を着た政治家」ならぬ、「軍事思考の首相」が誕生したということである。「軍事オタク」という言葉は不正確である。以下、少し長くなるが、20年前の「直言」から、ポイントとなる点を引用しよう(全文はここから)。

   …(『軍事研究』誌のコラム「市ヶ谷レーダーサイト」は)「軍事オタクで玄人はだしの知識を持つ石破茂」として、こう総括する。「歴代長官の中で傑出した人物であったことは断言できる」。その根拠として、「まず一つには、軍隊が心から好きだったこと」を挙げる。「彼ほど自衛隊を愛していた長官はいない。匹敵するのは中曾根康弘氏くらいしか思い出せぬ。…この国では、軍隊・軍事が好きだということが、マイナスにこそなれプラスにならないという馬鹿げた風潮がある。…軍事マニアの政治家は、石破氏に引き続いて堂々とカミング・アウトしてもらいたいものである」と注文をつける。
  …さらに「サイト」は、「もう一つ石破氏が長官として抜きんでていたのは、その実績=仕事量である」として、防衛計画大綱見直しと中期防策定を進めるなか、発足以来懸案の「有事法制」を成立せしめ、対ゲリラ・コマンド充実やミサイル防衛研究開発へ端緒を開き、武器輸出三原則見直しの発言もし、自衛隊初の海外派兵〔!〕という難事にも手を着けたことを紹介する。何よりも石破なくして語り得ないのは、自衛隊の統合幕僚組織と参事官制度の見直しを一気に進めたことであるとして、「前向きの仕事でこれほどの実績を残せた長官はかつていないのではなかろうか」、それぞれが外圧や内圧の政治情勢の結果という面もあるが、これらは「石破でなければ実現しなかった」。…

 歴代長官は、防衛庁内局(背広組)と制服組とのバランスを意識したが、石破は制服の言い分でもって内局を説得し、内局の思考を制服化することに力を注いだ。実際、長官になるずっと前から、石破と制服組との交流は活発だった。…一般に、政治家が大臣になると、事務方のトップである事務次官を頂点とする役所の機構の上に座る自分に孤独を感ずるという。その孤独に耐えて、政治家がどのように処していくかで評価が分かれる。…防衛庁長官の場合、事務次官、官房長、局長たちの「内局」(背広組)と、自衛隊制服組との実質的な二元構造の上に座るわけだから特別である。国家行政組織法や防衛庁設置法などの仕組みからすれば、法的には、内局を通じて制服を指揮することになる。「普通の長官」ならば、参事官制度の上に乗っかって、「大過なく」在任期間を全うすることだけを願う。
   だが、石破は違った。徹底して、この仕組みを変えようと動いた。…彼が主張するのは、軍事的合理性を基準とした制度改編である。従来の自民党主流の政治家たちは、選挙民の平和を求める気分や非戦感情を測定しつつ、他方で周辺諸国を過剰に刺激しないように、「憲法の枠内」というイクスキューズを多用しつつ、軍事的合理性の突出を抑える政治的味付けを施そうとしてきた。「専守防衛」や「防衛費GNP1%」、集団的自衛権行使の違憲解釈など、すべて軍事的合理性から見れば「不合理の極み」である。だが、官僚・軍人と政治家を区別するのは、国民感情やら周辺諸国との関係といった「アバウトな要素」をも組み込んでいくバランス感覚である。軍人や官僚の専門的、合理的判断だけが突出すれば、失うものも少なくない。高度の政治判断という形で、最終的に選挙で民主的正統性を与えられている政治家に期限付き(任期)でそうした判断を委ねる。…石破流のやり方は功を奏して、ついに内局の参事官制度にまで政治の手が入った。

軍政と軍令という言葉があるように、軍の運用(作戦)は軍令事項であるから、制服組のトップである参謀総長、統合参謀本部議長、統合幕僚会議議長といったミリタリーのトップが長官を補佐する仕組みが通常である。…「普通の大臣」ならば、官僚たちの意向を斟酌して、そこまで踏み込め(ま)ないできたのを、石破は、「普通でないのはおかしい」と素直に、率直に主張して、軍事的合理性に合わないものを一つひとつ取り除いていった。彼は、その能力と主観的意図以上に、この国の50年かけて作られた枠組みを動かしたのである。その際、石破の主張が決して好戦的軍国主義者のそれではなく、「普通の軍隊」の軍事的合理性の主張である点を見落としてはならないだろう。

この国の場合、憲法9条の徹底した平和主義と実質的な軍隊の存在という乖離があまりに激しかったために、「普通の国」のように、シビリアンコントロールがきちんと定着してこなかった。この国のシビリアンコントロールというのは文官の内局優位の仕組みに矮小化され、「日本型文官スタッフ優位制度」(古川純)となってきた。議会の軍事統制の仕組みも未熟である。だから、長年の内局の「過剰な介入」に対して、制服のフラストレーションは極点に達していた。小泉的政治手法と、石破というまたとない大臣を得て、一気に「普通の軍隊」化がはかられているのである。その結果、軍事的合理性が過度に突出する危険が大きくなっている。このことが問題なのである。

今や近過去となった石破時代。その負の遺産は、この国が長年持ってきた「軍事的合理性」への危惧と抑制の意識と仕組みを変え、軍事をも選択肢とする「大国」への道を進めたことだと思う。「軍事好き」の政治家がトップになったときの怖さと危なさは、今も昔も変わらないことを知るべきだろう。…」

 

憲法9条2項削除の本格改憲へ

 10年ぶりに直言「年のはじめに武器の話(その1)」でこう指摘した。「「普通の軍隊化」を推進する上では、制服組との距離が近い石破茂氏の役割が大きい」と。政治と制服組との結びつきが強まる一方で、防衛省内局(背広組)の権限は、石破氏が防衛庁長官の時代から歳月をかけて弱められてきた。「文官スタッフ優位制度」という日本型シビリアンコントロールは崩壊に向かった。

  安倍政権下の安保関連法制定と合わせて、防衛省設置法12条の改正も行われた。これによって、日本型シビリアンコントロールの仕組みは実質的に崩壊したといっていいだろう(直言「日本型文民統制の消滅」)。より専門的な指摘は、拙稿「日本の「防衛」政策決定過程の変容―防衛省設置法12条改正の効果」(加筆後、拙著『憲法の動態的探究』(日本評論社、2023年)所収)参照のこと。

  自衛隊にも「政治的軍人」が育ち、「防衛プレッシャーグループ」として政治家に影響力を行使し始めている(直言「「軍」の自己主張」)。石破は「普通の政治家」をつなぐ媒介的な位置にいるといえる。

  安倍政権下では、首相が自衛隊トップの人事にも関わり、「お気に入り」(河野克俊統幕長)を重用して、トップ幹部の昇進テンポを狂わせることまでした(官僚は内閣人事局警察検察)。

   安倍晋三は自衛隊のことを「我が軍」と呼んで物議をかもしたことがある(直言「「我が軍」という憲法違反の宣言」)。石破首相のことだから、予算委員会などの審議のなかで、慎重な答弁姿勢を保てるか未知数である。かつてTBSのニュース番組に出演した石破は、軍刑法と軍法会議について質問され、踏み込んだ話をしたことがある(YouTubeでここから)。防衛出動時における職役離脱罪(自衛隊法122条1項2号)が懲役7年であることを問題にして、どこの国でも最高刑が科せられるとして、最高刑が死刑なら死刑、無期懲役なら無期、「懲役300年なら300年」と述べて、キャスターがどん引きした。首相になって、予算委員会などで追及された場合、このような答弁をするはずもなく、おそらく事務方のメモを読むことになるだろう。

 防衛大臣は中谷元である。2001年の小泉内閣で防衛庁長官となったとき、防大24期、レンジャー徽章をもつ二等陸尉出身ということで注目された(直言「防衛大臣における「文民」と「民間人」)。中谷は現職の二等陸佐に改憲案を起草させたことがある(直言「自衛官の改憲構想と立憲政治」)。その起草した改憲案が上の写真である(軍事問題研究会ニュース10月4日付より)。その二等陸佐が、現在の吉田圭秀統合幕僚長、その人である(直言「19年前に改憲案を起草した統合幕僚長―憲法尊重擁護義務の射程」参照)。

   石破内閣は、中谷元防衛大臣、岩屋毅外相、小野寺五典政調会長と4人もの防衛大臣経験者が党と内閣の枢要な地位にあり(防衛副大臣は続投)、かつ首相秘書官の筆頭に旧知の防衛官僚をつけ、現職の防衛大臣と統幕長が改憲案起草に関わったことがあるなど、これは本格的な安保・改憲内閣ということになろう。なお、若き日の吉田統幕長が起草した改憲案には、軍隊の設置と権限が明記され、集団的自衛権行使の明文の規定もあった。安倍が試みた「9条自衛隊加憲」のような小手先改憲ではなく、9条2項を削除して自衛隊を軍隊(国防軍)とする正面からの改憲を狙う。ただ、先日の所信表明演説ではきわめて抑制的にしか改憲に触れていない。この内閣の党内基盤の弱さもあり、すべては総選挙の結果次第である(来年7月の参院選も69年ぶりの重要選挙となる)。

   小選挙区の野党候補の乱立をこのまま放置するのか。それでも、裏金議員が当選できないような投票の仕方を有権者が選択するのか。「世界選挙イヤー」の2024年、米大統領選挙の9日前、突然入ってきた日本の総選挙。「第4次中東戦争50周年」に始まったイスラエルの暴走を止められず、「第5次中東戦争」に向かうのか。激動の世界のなかで、日本もまた、米国ととも軍事力を本格的に使う国になるのか。いま、重要な岐路にある。

   来週は、「ウクライナ戦争」が終わらないウクライナ側の「不都合な真実」について書く予定である。

【文中敬称略】

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