冷戦が終わり、日本有事の起きる可能性が小さくなる中、有事法制は必要なのか。
問題視すべきは、非常事態への備えの不備か、それとも国民の権利が制約される危う さか。
○国民保護優先で整備を 阪中友久氏
――森首相が有事法制の検討開始を明言しました。
「当然だ。日本の防衛政策ではボタンの掛け違いが起きている。新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)に基づき、日本周辺の有事に対する法制を整備したのに、日本が危機に陥った時の有事法制の議論は十分でなかった」
――優先して進めるべき点はどこだと。
「自衛隊の行動にかかわる法律のうち、防衛庁所管の第一分類、他省庁所管の第二分類は問題点の整理が終わっているのだから、すぐに法制化しないといけない。だが、これで有事法制が終わったことにはならない」 「冷戦が終わり、どこかの国が日本に大規模な侵攻を行う可能性は減った。一息つける今こそ、戦争に至る前のグレーゾーンも含め、危機管理の法的枠組みを作っておかないと。危機が起きてからでは違法・合法論争が起きて混乱する」
――政府が言っている有事法制だけでは足りない、ということですか。
「現在の国際環境では国際テロ、武装難民や核兵器の拡散、資源・食糧の危機など広範囲の脅威が存在する。自衛隊だけでは対処できず、政府全体で取り組むべきだ。それに、有事の際に国民の安全をどう守るかという視点がすっぽりと抜け落ちている。自衛隊の防衛行動を優先し、国民の権利を制限すればよいという法制になりかねない。国民の保護や生存の確保に目配りをすべきだ」
――どういう法制が望ましいと考えますか。
「平和・安保研は一九九七年に『国民非常事態法』の制定を提言した。何が危機なのかを政府が判断し、首相が国会の同意を得て時間と空間を限定して非常事態を宣言、総合的な危機対策を考える、という枠組みが必要だ。日本国憲法には独仏のような『国家緊急権』の規定がないが、危機の際に何もできないでは済まされない。憲法の枠組みを尊重しながら、実効性ある有事法制を考えるべきだ」
――有事法制には土地の使用や物資の収用、私権の制限など、憲法一三条の「個人の権利の尊重」と相入れない部分もあります。
「一三条には『公共の福祉に反しない限り』という条件がある。国民の安全や、国の独立を守ることは、非常事態では『公共の福祉』にあたるのではないか」
――国民の権利を守るために欠かせない点は。
「徴兵制や言論統制は認められない。規制は最小限に抑える。国会の関与を高めることも必要だ」
――戦前の「国家総動員法」のようになる恐れは?
「だからこそ、平和な時に議論する必要がある。緊迫した情勢で法制を考えると、国民の権利を過度に制限するなどの行き過ぎが生まれる。また、日本の意図について国際的な誤解を与え、危機を増幅することになりかねない」
(聞き手 政治部・栗原健太郎)
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さかなか・ともひさ 平和・安全保障研究所理事 朝日新聞編集委員、青山学院大教授を経て98年から2000年まで平和・安全保障研究所理事長。71歳。
○緊急権、憲法が認めない 水島朝穂氏
――なぜ今、有事法制なんでしょう。
「自衛隊は警察予備隊という警察もどきの存在から出発し、普通の軍隊へとなし崩しに歩んできた。軍事的合理性を追求する立場なら、きちんと運用できるようにしたいのが願望だろう。だが、憲法との矛盾を意識して保守政治は専守防衛とか、『集団的自衛権の行使は違憲』とか一定の歯止めをかけてきた。ここにきて政府全体で有事法制に取り組むとすれば、政治が軍の論理にずるずると流されていくのではないか」
――軍としての完結を目指していると。
「自衛隊が、どんな状況でどんな武器使用ができるかを定める交戦規則(ROE)の正式な検討に入ったのも、その一例だ。装備や部隊というハードだけではなく、ソフトも徐々にバージョンアップし、有事法制が実現すれば、いよいよ本物の軍隊の誕生だ」
――日本有事の可能性は小さくなっていますね。
「冷戦後、旧ソ連並みの国家が上陸侵犯してくる可能性は考えられない。なのに、周辺事態法や船舶検査法が成立し、自衛隊の任務が『国土防衛』という建前さえ踏み越え、アジア・太平洋地域での日米共同対処へと拡大している。ゲリラやテロへの対処を名目に、警察の任務に踏み込む新協定も発効した。ポスト冷戦の有事とは何か、議論のないまま先へ先へと行こうとしている」
――有事法制の問題点は?
「日本有事対処という冷戦下の名目で、アジア地域での米軍の軍事行動を積極的に支援する法的枠組みを作ろうとしている。周辺事態法で不徹底に終わった自治体や国民の権利制限も含まれてくる。国会の関与の仕組みが弱いのも問題だ」
――有事を含めた非常事態に備え、首相の権限などを盛り込んだ基本法を定めるべきだという考えがあります。
「日本の憲法には、諸外国のような国家緊急権に関する規定が置かれていない。これは意識的な『沈黙』だ。緊急権に基づくシステムを立法、行政、司法すべてにわたってつくってはならないと強く否定する意思がこめられていると解すべきだ。基本法の名の下に憲法の認めない立法に踏み込むのは、憲法に対する下克上で許されない」
――法的枠組みがないまま有事を迎えると、逆に人権侵害が起きかねないという指摘にどうこたえます。
「『基本的人権を制約しないように』と有事立法に書き込んだとしても、国家権力の歯止めにはならない。憲法九条がある以上、基本的人権に優先する軍事的な『公共の福祉』というものはそもそも想定されていない。むしろ『有事』の名の下に『力の政策』を押し出そうとする発想自体が問題。憲法とアジアに軸足を置いた積極的な平和政策こそ求められている」
(聞き手 企画報道室・磯田和昭)
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みずしま・あさほ 早稲田大学教授 専攻は憲法学、軍事法。広島大助教授などを経て96年4月から現職。著書に「現代軍事法制の研究」など。47歳。