【法律時評】「『テロ対策特別措置法』がもたらすもの」
『法律時報』74巻1号(2002.1)pp.1-3.


●ショー・ザ・フラッグ

  二〇〇一年「日本新語・流行語大賞」のトップ10に、「ショー・ザ・フラッグ」(Show the flag) が選ばれた。「旗幟を鮮明に」という意味の言葉だが、テロ発生四日後の九月一五日、米国務副長官が柳井駐米大使に対してこれを使った(とされた)途端、独自の役回りを演じはじめた。「旗を見せろ」から「日の丸を見せよ」、さらには「インド洋上で護衛艦の日の丸を見せよ」へと「意(誤)訳」されていった。かくて、短時日のうちに、「新法による対米支援」の仕組みが出来上がった。その中軸は「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」(平成一三年一一月二日・法律第一一三号、以下「テロ対策特措法」ないし本法という)である。

  本法は、衆参両院での審議時間わずか五九時間四二分、法案提出から二週間で一気に成立した(周辺事態法の審議時間は約一六〇時間)。米国テロの被害があまりに大きかったことに加えて、「湾岸を繰り返すな」という「トラウマ」(私は「作られたトラウマ」という)が影響したとされる。そうしたなかで、「ショー・ザ・フラッグ」は、政治家や官僚、国民を「テロ対策は自衛隊で」という方向に誘導する呪文のような働きをした。だが、ここへきて、米国務副長官が本当にその言葉を使ったのかどうか怪しくなってきた。外務官僚らによる「捏造」の疑惑も指摘されている(『週刊文春』一二月六日号)。まさに「偽称・ザ・フラッグ」である。慌ただしく成立した「テロ対策特措法」の問題点について、この機会に若干の論点を指摘しておこう。

●米軍活動支援法の言い換え

  本法の名称はやたら長く、一一二字もある。法案段階で、「テロ対策特措法」という略称を早い時期に使ったのは、全国紙では『読売新聞』一〇月二日付夕刊(東京本社発行第四版)四面だった。それでも、一面見出しは「後方支援法案」のまま。同じ日の新聞が、一つの法案について二つの略称を用いるという不統一を生ずるほどに、法案段階の名称は二転三転した。最初は「米軍等の活動支援法」、次いで「諸外国の軍隊活動支援法」。さらに軍事色を薄めるべく、「国連」という言葉を二回も使って装飾を施した結果、異例に長い名称になった。一時は「…国連憲章第二五条の規定に基づく米国に対する協力に関する法律」という名称も浮上したが、米国の軍事行動が国連安保理決議に基づくものでなかったため、憲章二五条(加盟国は安保理決定に拘束される)への言及はすぐに削除されたようである。

  ところで、本法の名称における「国連」という文言の意味合いは、前半と後半とでは微妙に異なる。前半は、「…国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動…」であり、これには憲章五一条の個別的・集団的自衛権に基づく活動も含まれる。米軍のアフガン攻撃は、国際法上禁止された「武力復仇」ではなく、自衛権の行使とされているからである。後半は「…関連する国際連合決議等に基づく人道的措置…」であり、国連の機関等の要請に基づいて行われる活動であって、前者と区別されている。PKO等協力法三条二号の「人道的な国際救援活動」と内容的に重なるが、PKO派遣に関わるさまざまな制約が「テロ対策特措法」の場合には存在しない。「テロ対策」という大義名分もあって、自衛隊の海外派遣ルートを拡大してきた一連の立法のなかでは、最も「自衛隊を出しやすい」法律ということになろう。すでにミサイルや速射砲を装備する護衛艦など計六隻が、戦闘作戦行動中の米軍支援のために派遣されている。九・一一テロの「どさくさ」に紛れて、「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣すること」(一九八〇年一〇月二八日・政府答弁書)という「海外派兵」に関する政府解釈も大分怪しくなってきた。政府は「武力行使の目的はもっていないから海外派兵ではない」というだろうが、そうした内向きの説明は現地では通用しない。「テロ対策特措法」は実質上、戦時の米軍活動支援法の性格をもっているのである。

●活動範囲と支援対象・内容の拡大

  さて、「テロ対策特措法」がもたらしたものは何か。その第一は、米軍の戦闘行動に対する支援協力の地理的範囲が格段に広げられたことである。本法は、米軍に対する協力支援活動等の実施地域として、(1) わが国領域、(2) 公海およびその上空、(3) 外国の領域を挙げる(二条三項)。(2)(3)については、現在および活動実施期間中に戦闘行為が行われないと認められることが条件になっている。そうしたことを東京の政府が、どのような基準で判断するのか(できるのか)は大いに疑問が残る。ただ、米軍に対する支援活動を、「外国の領域」(当該国の同意を条件)でも行うことが初めて明記された意味は大きい。PKO等協力法のような国連の傘は必要なく、周辺事態法のような「周辺」という概念へのしばりもいらない。論理的には、地球上のいかなる地域にも展開可能ということになった。だが、こうした活動の展開は、自衛隊の目的を「わが国を防衛すること」に置いた自衛隊法本則(三条)との関係で整合性が鋭く問われよう。本則の改正を行うことなく、外国の領域にまで活動範囲を広げることは、自衛隊法の「枠」をも超えるからである。

  「日本周辺有事」における米軍への支援活動を想定した周辺事態法は、「戦闘行為が行われていない地域」および「活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」を「後方地域」と定義し、そこで行う後方支援を「後方地域支援」という概念で説明した。「テロ対策特措法」では「後方地域支援」という概念は使われていない。周辺事態法の「後方地域捜索救助活動」も、「テロ対策特措法」では単なる「捜索救助活動」である。文言的に、PKO等協力法や周辺事態法をリライトしたような部分も少なくないが、そのもつ意味はかなり異なる点に注意が必要である。もともと「後方支援」とは、前線部隊に対して物理的・距離的に後ろの方という意味ではない。兵站能力は、兵站の量と質、それに速度という三つの要素に規定される。現代戦の戦場は陸上のみならず、海・空、宇宙空間にまでおよび、兵站活動はそうしたすべての活動を支えるべく迅速・効果的に展開されることが求められる。

  すでに在日米軍基地からグァム島方面への航空輸送や、アラビア海での米補給艦への洋上補給も実施されている。作戦行動中の米軍に対する支援活動は、目下のところ地味な補給活動にとどまっているように見えるが、実質上日米共同作戦のミニ版としての性格をもつ。安保条約五条によれば、日米共同作戦の発動要件は、日本および在日米軍基地に対する武力攻撃である。九・一一テロが米国に対する「武力攻撃」であると仮定したとしても、安保条約は、米本土に対する「武力攻撃」に対して日本が自衛権を行使することを予定していない。本法は、日米共同作戦を安保条約上の明文の根拠なしに、新たに拡大するものといえよう。

  第二の問題点は、支援対象と支援内容の拡大である。支援対象は米軍だけにとどまらない。「アメリカ合衆国その他の外国の軍隊その他これに類似する組織の活動」に対する支援が定められている(一条一号)。「諸外国の軍隊」に加えて、「その他これに類する組織」という形で正規軍以外の形態(たとえば「北部同盟」)も含まれてくるのだろうか。冷戦後のLIC(低強度紛争)に対応できるように、自衛隊の支援対象の多様化を狙ったものと解される。

  支援内容で重要なのは、「物品の輸送には、外国の領域における武器(弾薬を含む)の陸上輸送を含まないものとする」(別表二)という表現で、武器・弾薬の海上輸送と空輸が可能になったことである。補給、輸送、修理・整備、医療、通信などの活動は、戦闘部隊と一体となった兵站支援にほかならない。ちなみに、『陸自教範・野外令』第二編第七章「兵站」には、「兵站運用の主眼」として、「兵站支援努力を適切に指向し、作戦部隊の所要を適時適所に充足してその戦闘力を最大限に発揮させるにある」と書かれている(『新野外令合本』一一一頁)。作戦部隊の戦闘力を発揮させるのが兵站部隊の任務である。逆に、武力行使の目的をもった戦闘部隊と一体化しない兵站支援など存在しない。この点、本法によって、政府の「武力行使との一体性」論との整合的解釈はかなり困難になったといえよう。違憲性の程度はそれだけ高まったということである。

●武器使用の拡大

  第三に、武器使用要件の緩和である。本法一二条は、武器の使用による防護の対象を自己(武器を使用する自衛官)に限定せず、「自己と共に現場に所在する他の自衛隊員」および「職務を行うに伴い自己の管理の下に入った者」を含める。この「自己の管理の下」という概念が重要である。ちなみに、PKO等協力法二四条では「自己と共に現場に所在する我が国要員」、周辺事態法一一条および船舶検査法六条では「自己と共に当該職務に従事する者」、自衛隊法一〇〇条の八(在外邦人等の輸送)では、「自己と共に当該輸送の職務に従事する隊員」および「その保護の下に入った当該輸送の対象である邦人若しくは外国人」となっている。武器使用に関する政府統一見解(二〇〇一年一〇月一五日)によれば、「自己保存の自然権的権利」のための「武器の使用」は、憲法九条一項で禁止された「武力の行使」に該当しないとされる。この解釈は、PKO等協力法制定の過程における政府統一見解(九一年九月二七日)を踏まえたものである。「共に」ないし「現場に」という表現に見られるように、あるいは、航空機という限られた空間内で「自己」が保護する邦人・外国人というように、「自己」との関係の密接性が一応の目安とされている。だが、「テロ対策特措法」における「自己の管理の下」という概念はきわめて広い。難民キャンプや病院など、かなり広い面積に所在する人々すべてを防護対象とした場合、「自己保存の自然権的権利」という個人に妥当する説明では困難だろう。そもそも自衛隊という武装組織の構成員の武器使用を、個人の自然権で説明すること自体が憲法論から言えば筋が違う。部隊の構成員として組織的に対応している以上、そこにおける武器使用も組織的・体系的でなければならない。加えて、一定の地域(面)の掌握・制圧を目的とし、それを「面」として防護するための武器使用は、まさに国家武装組織の組織的な実力行使であり、それは憲法九条一項が禁ずる武力行使にほかならない。政府統一見解における武器使用と武力行使の区別論は、「自己の管理の下」という概念の導入により実質的に破綻したといえるだろう。

●グローバル安保体制へ

  本法は期間二年の時限立法である。だが、期間経過後も「対応措置を実施する必要がある」とされれば、二年間ごとの延長ができる(附則三〜五項)。特別法という性格上、同法の制定をもって国会による(事前の)活動の承認と考える向きもあるのかもしれないが、法律の制定と個々の活動の承認は別物である。国権の最高機関である国会による統制という観点からも、事前承認ではなく、事後承認にとどめたことは禍根を残した。緊急度が高いとされる防衛出動や、それに次ぐ周辺事態出動が原則として事前承認なのに、緊急度が劣る「テロ対策特措法」がなぜ事後承認で足りるのか。審議過程でも、法的に納得のいく説明は得られなかった。連立与党内の政治的タクティックス以外に説明はつかない。

  最後に一言。テロ対策は必要である。だが、「テロ対策特措法」はテロ対策を対米軍事支援の拡大にすり替えた。ここに問題の本質がある。米第七艦隊の担任領域は、ハワイ西方海域(西経一六〇度)から南アフリカ喜望峰(東経一七度)までだから、「テロ対策特措法」は、海と空に関する限り、まさに海・空自衛隊によって第七艦隊を最大限カバーできる法的仕組みを作ったといえるだろう。本法に基づく「基本計画」(一一月一六日)では、艦船についてはインド洋(ペルシャ湾を含む)からオーストラリアの領域まで、航空機については、米国グァム島からインド洋沿岸までが米軍支援活動の範囲とされている。まさに日米安保体制は、アジア太平洋地域、さらには中東までをも射程に入れた「グローバル安保体制」に変質しつつある(拙編著『グローバル安保体制が動きだす』日本評論社参照)。NATOも、米国のテロに対応するため「同盟事態」(NATO条約五条)を初めて発動した。ノルウェーの平和学者J・ガルトゥングがいう「NATOの東方拡大」と「AMPO〔アンポ〕の西方拡大」が一気に進んだことを意味する(ジュリスト一一九二号の拙稿参照)。「テロ対策」という反対しずらいネーミングのもとで、日米安保体制と自衛隊の変容は確実に進んでいるのである。

(みずしま・あさほ/早稲田大学教授)

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