「今週の新聞」 〜NHKラジオ第一放送(1997年 4月26日午前 0時30分放送)

4月20日から26日までの 1週間に起きた出来事を、新聞を使ってお話したいと思います。今週は大きな事件がたくさん起きました。日本の将来をさまざまに方向づけていくような出来事です。今日とり上げるのは、ペルーの日本大使公邸人質事件の強行突入の問題、次に脳死を人の死とする法案が衆議院を通過したこと、そして、憲法施行50年を目前にした憲法をめぐる問題の3つです。

1.ペルーの日本大使公邸人質事件の強行突入の問題

トップは23日未明(日本時間)のペルー人質事件強行突入問題です。各紙とも、テレビ欄をカラーグラビアに差し替えたりして、大きく報道しました。二段ぶち抜き見出しも最近では珍しいことです。ただ、23日夕刊では、人質事件報道127 日間の「横並び報道」の後遺症を引きずっているためか、各紙ともほとんど同じトーンでした。とくに日本人人質全員無事解放が突出し、コメント記事も、テロ対策を日本でもきちんととるべきだということで埋め尽くされました。『読売』はこの勢いで、24日付解説や社説で、日本も危機管理策を法律を含めて強化すべきだと訴え、とくに「デスク討論」では、日本の「平和ボケ」を非難し、対テロ立法の整備を強く訴えていたのが印象的でした。
これに対して、24日朝刊や夕刊になり、少しずつ冷静さを取り戻すにつれ、手放しで喜べないさまざまな問題も出てきました。たとえば、『朝日』は外電の紹介という形で、ヨーロッパ諸国に強硬策への批判が出ていることを報じていました。「政治犯への待遇が示す強権政治や事件の裏側にある問題を改善することにはつながらないだろう」(フランスの新聞リベラシオン)などです。『毎日』も同様のトーンです。
今回の武力解放について、『朝日』は、おおむね妥当とする一方、強硬手段への戸惑いもというコメントものせて、『読売』とは違ったトーンを出そうとしていました。 アルゼンチンのノーベル平和賞受賞者の方の言葉、すなわち、「これは大量虐殺だ」というコメントは、日本の新聞には紹介されませんでした。これは、インターネットのヨーロッパの新聞のサイトに出てきたものです。25日付のドイツの『ターゲスツァイトゥンク』紙には、「解放者は死刑執行人だった」という厳しい批判が出ていますし、同じ新聞24日付には、ペルーの民主フォーラムという野党メンバーとのインタビューが載っています。「新たな人質としての民主主義者」という見出しで、軍部の意向を強く反映したフジモリ大統領の強権政治が今後強まり、ペルーの「自由と民主主義」にマイナスの影響が出ることへの危惧が表明されています。保証人委員会による平和的解決努力のなかで明らかとなった、ペルー政権の人権侵害の事例やその改善の方向は、これでふきとんだ感がある。『東京新聞』は、中南米政治経済学の専門家の論稿を掲載し、「人権や所得格差、なお残る問題」という形で、MRTAによって国際世論に提起されたペルーの抱える問題や、今後の社会的混乱やテロの再発への火種をつくったことを指摘しています。重要な指摘です。また、強行突入による人質解放の教訓を、日本がもっと強い国家として、特殊部隊を海外に派遣できる法的整備をすべきだという方向に議論をもっていくのではなく、テロ事件が起きる土壌、なぜ日本大使公邸が狙われたのかという問題、日本の企業の海外活動やODAのあり方などを含め、中身の検証が必要だと思います。そうでないと、日本の海外権益を力で守るという発想が突出してくるおそれがあるからです。

 

2.脳死を人の死とする法案が衆議院を通過したこと

さて、もう一つの大きな出来事は、臓器移植法案のうち、脳死を人の死と定める中山案が衆議院を通過したことです。一部をのぞき、ほとんどの政党は「党議拘束」をはずして、賛否を個々の議員の判断に委ねた。その結果、中山案に、320 人という衆議院の総議員の 3分の 2に近い人が賛成しました。でも、どこまで真剣な議論を経た数字か疑問が残ります。
この点で出色のコメントは、ノンフィクション作家の柳田邦男氏が『東京新聞』25日付に掲載した論稿「脳死者の尊厳守る仕組みを」です。ご子息が脳死となり、腎臓提供を決意された体験に基づく、人間的でかつ冷静な文章で感動的です。ここに、論点が尽くされています。柳田氏がご子息の腎臓移植を決意されたのは、脳死判定の時間を強制されずに、ゆるやかな時間の流れのなかで考えることができたこと、脳死になっても他の患者さんと同じようにケアをしますという医師・看護婦の暖かい対応があったこと、この二つが理由だそうです。こうした体験から柳田氏は重要な提言をいくつもしています。
私が大事だと思ったのは、次の三つです。

第1に、現在の脳死判定は、電気的反応を示さないという機能死をもって脳死としているが、九〇年代以降の医療の発達は、神経細胞が機能を停止しただけなら回復させることができるようになった。だから、今後の医療の進歩をみすえて、救命を最優先にすべきだというのです。

第2に、脳死判定の要件とされる10分間無呼吸テスト。これは機能死段階の脳を器質死に追い込む危険があるという矛盾をはらんでいること。

第3に、患者・家族に脳心判定を受けない権利があるということです。インフォームドコンセント検討委員会で強調されているように、患者の診断・治療法の選択権(自己決定権)は脳死判定のような重大な時点でこそ認められるべきだ、と。

厚生省は脳死判定を拒否させない方針をはやくも打ち出しているが、今回の法律は、「脳死判定促進法」ではないはずだ。厚生省の独走を危惧する、というものです。私もこの論旨にまったく同感です。なお、世論調査の結果は、少し古いのですが、 3月30日付『東京新聞』で、この法案の成立を急げが47%、急ぐべきでないが45.3%と真っ二つに分かれていました。国民の間で合意が得られているとはとうてい思えません。人の死を法律という、議会の単純過半数で決せられる問題として定めるのには疑問が残ります。衆議院を通過した以上、参議院での慎重な審議が望まれます。

 

3.憲法施行50年を目前にした憲法をめぐる問題

最後に、憲法問題について。来週の憲法記念日を前にした、憲法関係の記事や特集が各紙とも目立ちました。
とくに『朝日』の中曾根・宮沢元首相の対談。これはなかなか興味深い対談で、戦後の保守政治のなかでの憲法への向かいあい方がかなり対照的に示されています。『読売』は、「憲法を問いなおす」という一面の特集を継続的に続けています。解釈運用に限界がきているから、現実を重視して憲法改正の方向も選択肢に入れるべきだというトーンです。『朝日』の場合は、26日付に、憲法施行50年世論調査を発表。一般的に改正の必要を問うと、改正が必要という人が49%で不要を上回っているとしている。しかし、 9条の平和主義への信頼が高く、69%が変えない方がいいと答えたことをトップに掲げています。改正必要論の多くが環境権や国民投票などの制度についてのもので、これと、国際貢献で自衛隊の活動を評価したものが合計で16%たらずで、 5年前の調査の自衛隊による国際貢献を評価する人が32%だったのと比べると半減しています。今回は、国内の災害救援活動を評価する者が圧倒的(46%)。国際貢献フィーバーがさめてきて、国民のなかで自衛隊を評価するのはやはり災害救助だということが明確になりました。ここに自衛隊を災害救援部隊に転換する必要性を示唆しています。
22日付『読売』が、自民党や新進党を中心に、「憲法問題調査会」設置をめざした議員懇談会が結成されると先触れ的に報じた。25日世話人会が発足しました。
ちょっと気になるのは、19日付『読売』の「朝鮮戦争に全面参加した日本」という社説です。憲法施行50年を冠して、朝鮮戦争時に海上保安庁所属の掃海艇が戦場の機雷を掃海して、戦争に全面参加したということを書いた社説です。これは私も確認している事実です。でも、これは今焦点となっている「朝鮮有事」で、米海軍を支援すべく周辺地域での機雷掃海もやるべきだという趣旨で書かれているのは問題です。『朝日』25日付は、新ガイドラインの中間報告で、日本周辺有事の際の対米支援の内容として、掃海艇派遣、公海上での機雷掃海が含まれると報じました。これとの関連で読むと、『読売』社説は、朝鮮戦争の「前例」があるから、これが可能だといいたいのかもしれません。しかし、これは先走りすぎた社説といえましょう。
来週に向けて、憲法論議が活発化していくでしょう。50回目の憲法記念日。いつもよりも少し時間を割いて、憲法に関する記事に目を止めてもらいたいと思います。


    「今週の新聞」( 1997年 4月26日午前 0時30分放送 NHKラジオ第一放送)