「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
      (2001年11月10日午後4時収録、11日午前5時30分放送)

 

1.同時多発テロから2カ月、空爆開始から1カ月の節目に

 ちょうど2か月前の9月11日、米国で同時多発テロが起こりました。私の大学の学生もハイジャック機に搭乗していて命を奪われました。多数の市民を巻き込む卑劣な無差別テロに対しては、深い怒りを覚えます。これを計画し実行した人達は法的手続に基づいて処罰されるべきです。しかし米国は、テロに対する報復として、テロ組織が潜むとされるアフガンに武力攻撃を開始しました。空爆1カ月の節目となった今週8日前後に、各紙は一斉に特集記事を掲載しました。

 『朝日新聞』8日付はカラー版で「空爆1カ月『5つのなぞ』」と目をひく見出し。国防長官の記者会見でのエピソードを紹介しながら、空爆開始当時に米軍が掲げた目標が、ビンラディン氏拘束とテロ組織アルカイダの撲滅にあったはずなのに、攻撃自体が目的化していると書いています。全体として、見出しのわりに平板な記述でした。なお、『朝日』7日付国際面や9日付社会面は、米国や欧州でも空爆に対するためらいや批判が生まれているとを伝えています。「ちょっと待てよ、またベトナム戦争かい、と思いはじめている人がいるのでは」というCBSキャスターの声や、米国の主要紙の論調にも変化が見られるとしています。私自身、インターネットで米国やヨーロッパのサイトを検索していて、それは実感します。背景には、米軍の報復攻撃の正当性が問われるケースが少しずつ明らかにされていることがあります。いわゆる 「誤爆」〔この言い方には問題がありますが〕に関する情報は今週も各紙に載り、とくに『朝日』5日付社会面トップ記事は、ハイテク兵器による精密爆撃のからくりを分析。「民間人を巻き添えにしないピンポイント爆撃など、そもそも存在しない」と結論づけています。

 今週注目されたものとして、7日付各紙が写真入りで伝えた、「デージー・カッター」という燃料気化爆弾の使用があります。『読売新聞』7日付は唯一、カラー写真を載せました。1万5000ポント、約7トンの爆弾で、一瞬のうちに0.5キロ四方を火の海にし、燃焼で無酸素状態をつくり出し人間を窒息死させるもので、衝撃波の威力は「戦術核兵器並み」と言われます。また、クラスター爆弾の使用も問題視されています。200個の小爆弾が0.5キロ四方に散乱して、人を殺傷。小爆弾の5〜10%が不発弾として残るので、国際的には、対人地雷の禁止が条約で決まっているのに、この小爆弾は対人地雷のような働きをしているという批判があることを、『朝日』9 日付は書いています。さらに、米軍が空爆の際に「住民のために」と投下した食料パックがクラスター爆弾と同じ黄色をしていることがわかり、米軍は11月に入り、食料パックの色をブルーに変えたと『東京新聞』3日付は伝えています。7トン燃料気化爆弾といい、クラスター爆弾といい、「住民を巻き込まずテロリストだけをたたく」という当初の米国の主張がすでに崩れていることを示しているのではないでしょう か。国際人道法の観点からも、これらの兵器の使用は疑問とされています。テロ発生時以降の米国務省・国防総省サイドの情報の一方的垂れ流しに近い報道とは違った、 冷静な眼差しが感じられるようになりました。

 一方、テロの背後に隠れていますが、経済問題も深刻です。今週の各紙は日本の失業率5.3%を一斉に伝えました。テロ後の2 カ月間で、航空・旅行などの業界はもちろん、さまざまな産業分野で深刻な影響が出ています。とくに沖縄県の失業率は9.4%。一割に近づいています。米軍基地へのテロを危惧した修学旅行生15万人分のキャンセル。一般旅行客を含め、11月1日現在20万人も減ったそうです。『琉球新報』9 日付社説は、沖縄の産業・雇用緊急特別対策について触れ、修学旅行生一人あたり2000円を補助するという観光支援策は、あまりいいアイデアではないと批判しています。場当たり的対策という点では、8日の「ミニ・イージス艦隊」(『東京新聞』11月2日)派遣についても言えます。

2.テロ対策特措法と自衛艦派遣問題

 10月29日にテロ対策特措法が成立し、日本政府はついに、国連PKOでもなく、日 本自身の防衛のためでもない目的で、米軍〔後に「多国籍軍」〕の作戦行動自衛隊の部隊を参加させることになりました。対外政策の巨大な転換が、審議時間わずか33時 間というなかで行われたわけです。この法律の問題性については、『朝日』6日付の 津野内閣法制局長官のインタビューが注目されます。津野長官は、ミサイルの発射時が戦闘行為でない場合もありうるとする中谷防衛庁長官の国会答弁を追認したことを「恥ずかしい」と総括。医療行為なら戦闘地域でやっても戦闘行為と一体化しないと いう議論はおかしいと述べています。また、憲法解釈の変更は時間をかければできるというものではなく、憲法解釈は論理の積み上げであって、慎重に考えるべきだとい う立場を表明しました。この言葉は実際の国会答弁のなかで明確に打ち出すべきであって、法律が成立した1週間後に新聞インタビューで語るということに私は疑問を感じました。

 9日朝、佐世保から護衛艦「くらま」など3隻がインド洋に向けて出航しました が、派遣の法的根拠は、成立したばかりのテロ対策特措法ではなく、防衛庁設置法5条18号の「調査・研究」です。新聞各紙9日付夕刊は一面で大きく報道しました。社会面での受けは『読売』をのぞき、各紙とも、現地の自衛隊員と家族の反応を写真入りで伝えました。『毎日新聞』は、派遣候補になった乗組員数人が辞職し、そのなかの一人は「戦争に参加するために自衛隊に入ったんじゃない」と語ったといいます。

一方、『長崎新聞』9日付「出動・海自艦隊〔上〕」が、佐世保からの出航の「必然性と歴史性」を読み解いています。99年から北朝鮮シフトで、佐世保の第二護衛隊群は即応部隊に指定され、実働艦を佐世保に集中していたこと、他方、日本海海戦の主要基地としての歴史に新たな歴史が加わると書いています。また、福岡の『西日本新聞』10日付は「自衛艦派遣は世論の慣れを誘い、本隊の投入をスムーズにする狙いもある」と書いています。

 各紙社説は、『読売』9日付が「なぜイージス艦がいけないのか」に対して、『朝日』10日付は「そんなに旗を立てたいのか」と対照をなしました。ただ、『朝日』も10月29日に成立したテロ対策特別措置法に基づく「基本計画」による情報収集が目的 なら「まだわからなくもない」というスタンスです。『中国新聞』10日付が「自衛艦派遣は、基本計画を待つのが筋だ」というのも同じ線でしょう。

 なお、防衛庁設置法という組織法上の条文を使って、現に作戦が展開されているインド洋からパキソタンの港に自衛艦を派遣することは、法の趣旨を逸脱するものであるとの疑問が野党から出されています。そもそも、テロ対策というのはすぐれて警察 的な任務であり、国際刑事警察機構に積極的に協力してテロをなくす営みに参加するのが筋です。テロ対策がなぜアフガニスタンへの武力攻撃なのか。空爆1カ月で600人を超える民間人が死亡したとの報道もあります。同時多発テロの犠牲がどんなに大きくとも、アフガニスタンの無辜の住民を殺傷することに正当性は見いだしえません。日本は当面後方支援をすることになっていますが、事柄の性質上、米軍の戦闘作戦行動の一角を担うことは明らかで、攻撃されている側からすれば「後方こそターゲット」(岩島久夫)なわけです。もっと原点にもどった論議が必要だと思います。

3.警官の拳銃使用の緩和

 ところで、夕刊の東京本社4版で比較すると、『毎日』と『読売』9日付夕刊の1面の紙面作りは実に象徴的でした。佐世保から自衛艦が出航した記事と、警察庁が「拳銃取り扱い規範」を改正して、警官の拳銃使用を緩和した記事とを一面を真ん中 から二つに分けて並べました。警察官職務執行法7条で警察官の武器使用は厳格に枠付けられています。それを受けた国家公安委員会規則が今回、拳銃より警棒の使用を 優先させていた規定を削除し、緊急時には予告や威嚇射撃なしに発砲できるように明文の規定が置かれました。年末警戒に入るのを前に、12月1日から施行されます。この問題では、『毎日』9日付が、拳銃の絵を使って分かりやすく説明し、3名の専門 家のコメントも付けるなど、他紙との比較では群を抜いていました。凶悪犯罪のなか で、警察官が命を落とすケースもあり、法が定める正当防衛・緊急非難に真に該当する場合もあります。ただ、『毎日』のコメントのなかで刑事法学者〔福田雅章一橋大 教授〕は、この改正が市民社会に脅威となる面にも触れています。拳銃を構えるケースを明記することで、逆に安易な発砲を促進したり、デモのプラカードを凶器と見做 す場合もあるとして、マニュアルの変更が直ちに問題の解決につながらず、むしろ警察内部の教育の充実を指摘しています。『毎日』の前記記事は「現場では歓迎と戸惑 いがある」としています。「社会の敵にひるまず使命果たせ」。「拳銃取り扱い規範」の改正に関する『読売』10日付社説の題名です。『産経』10日付社説も全面的に 支持しました。なお、『読売』10日付コラム「編集手帳」は、赤塚不二夫の漫画「天才バカボン」に登場する「日本一銃を撃つお巡りさん」〔目玉つながりのお巡りさ ん〕のことに触れ、「鉄は人を殺さない。殺すのは手である。その手は心に従う」というハイネの言葉を紹介しつつ、手(射撃能力)と心(判断力)を磨くことを強調し ています。この部分は同感です。ただ、その判断力のベースに、警察官の人権感覚を磨くことも含められるべきでしょう。なお、この問題では、『朝日新聞』の報道は鈍 く、初動の9日付夕刊の2社記事もそっけないもので、各紙が10日付社説で一斉に扱ったのに『朝日』はまだ。10日付3社の解説風記事も精彩を欠いています。社会部 の警察担当記者は、単に日々の事件を追うだけでなく、警察制度の大きな転換にかかわる問題にも着目し、広い視野から扱うべきだったでしょう。今週、内と外の両方で、「敵」に対して力で向き合うシステムが生み出されました。市民もよく考えなくてはならない重要な時にきているようにと思います。