「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
       (2006年6月2日午後7時収録、 6月3日午前5時35分放送

   1.改正道交法施行日の風景

 6月1日、駐車違反取締りの民間委託などを定めた改正道路交通法が施行されました。全国1291の警察署のうち、270の警察署管内(102市町+東京都内12区)で、駐車違反の取締りが民間委託されました。1580人の民間監視員が警察官に代わって活動し、短時間の違反でも、デジタルカメラで写真を撮り、すぐに摘発したり、放置車両の運転手が出頭せず特定できない場合には、車の所有者に違反納付金を命じる制度になりました。

 1日夕刊各紙(東京本社版)はいずれも、特徴的な見出しを付けました。『読売』は一面が「即摘発ピリピリ」、社会面が「監視員ドキドキ」、『毎日』は「監視員こわごわ」。『朝日』の「駐車監視エンスト」は、民間監視員の使用した端末機が、各地で不具合を起こしたことを伝えたものです。

 前日の5月31日、サラリーマンが電車のなかで読んでいた『夕刊フジ』の大見出しは、「駐禁強化・許すな」。激しいトーンで改正道路交通法の問題点を指摘しています。施行当日の風景について、『産経新聞』2日付は「繁華街から違反車激減」という効果を前面に出す一方で、『南日本新聞』(鹿児島)2日付は、商品納入業者の「異変」として、商品の確認などもままならず、逃げるように車に帰っていくこと、『埼玉新聞』2日付は、駐車場のある郊外の店に行ってくれというようなもので、商店街の空洞化が進むと書いています。地方の商店街の厳しさが感じられました。

 『朝日新聞』は施行前日の31日付の一面トップと第一社会面を使い、警察から委託される全国74の法人に対する独自アンケートの結果を紹介しています。見出しは、「警察OB36法人に」。駐車違反取り締まる74法人のうち、警察の再就職先が36法人もあること、特に大阪の繁華街を取り締まる法人は 200人以上の警察OBを抱える「警察の天下り先」だということを指摘しています。これらの法人は都道府県警察の競争入札により、価格のほか、公平性、適正性、確実性を加味して選ばれたとされています。『朝日』31日付社会面は、「『路上の万人』中立?」と見だしで、委託法人の全国リストを掲げています。そのなかでは、例えば、新潟県で委託された法人が、新潟駅前で時間貸し駐車場会社社長が役員を兼ねるビル管理会社であること、大阪府でも受注した6法人のうち2法人が、担当区域内に時間貸し駐車場をもつことなどを指摘して、業務上の利害関係を指摘しています。『朝日』によると、全74法人のうちの41法人が警察と関係の深い警備業者だそうです。警察は、入札は公正に行われたとコメントし、警察庁も天下り批判について「特にコメントはない」としていますが、さらに『朝日新聞』は6月1日付で、競争入札の際の細かな仕組みについて詳しく紹介し、公平性や適正性などがどこまで考慮されたかを問題にしています。取材の結果、18の県は最低価格だけで決めたことが判明しています。取材に回答した全国23都道府県の入札の際の評価配点からみると、「みなし公務員」として期待される業務の公平性は、それほど重視されていないようだとしています。

 『朝日』31日付は、2004年に道路交通法改正が審議された国会で、当時の小野清子国家公安委員長が、「警察に都合のいいところに委託できない仕組みにすること、委託手続きの透明性を確保することが重要だ」と答弁したことを紹介しています。2年前の国会答弁が活かされたかどうか。これはかなり疑問と言わざるを得ないように思います。なお、警察庁は民間委託のねらいとして、「警察官を犯罪捜査に振り向けることだ」と説明していますが、警察庁の試算では、実際に捜査に振り向けられる規模は「全国で500人程度」といいます。悪質な路上駐車を取り締まることは大切です。しかし、宅配業者やコンビニに配送する業者なども短時間で摘発するなど、駐車違反の取締りという目的に対して、今回とられた手段がどこまで有効で適切なのか。今回新たに導入された、車の持ち主の責任を問う「放置違反金」の仕組みについてもさまざまな問題点が指摘されています。まだ始まったばかりだからもう少し様子を見てからと判断しようというにしては、出発時点ですでに相当な問題があることを、『朝日新聞』のアンケート調査は明らかにしているように思います。        


2.参議院議員定数「4増4減」のお粗末

 さて、今週、国会は大きく動いています。国民年金保険料の不正免除・猶予問題については、『読売新聞』30日付一面トッブで、26都府県11万件を越すとしながら、その後も次々と不正手続きの事例が明らかになっていきました。その結果、社会保険庁改革関連法案の成立が困難になりました。日本の国会史上、この国のかたちを変えるような大きな法案がたくさん出ています。憲法改正国民投票法案が1日に審議入り。教育基本法改正案、共謀罪を導入する組織犯罪処罰法改正案等々。30日付各紙夕刊が一面トップで報じた「米軍再編」を実施する閣議決定についても指摘したいことはたくさんありますが、今回はちょっと地味な法案について述べておきます。6月1日、あまり注目もされずに短時間の審議で可決・成立した公職選挙法改正案です。衆院も参院も選挙区の議員の定数は法律で決まっていますが、人口の多い県と少ない県とでアンバランスが生まれています。一人一票が原則ですから、本来は2倍未満にとどめることが求められるのですが、最高裁の判例では、衆院ではおおむね3倍、地域代表的な面をもつとされる参院では、5倍というのが合憲とされるだいたいのラインでした。今回成立した法案は、参議院選挙区の「一票の格差」を是正するため定数を「4増4減」するもので、定数4の栃木・群馬を各2議席減らし、千葉と東京を各2議席増やすもの。これは小さな問題のように思えますが、重要法案を審議している国会そのもののあり方を問う大問題を含むのです。

 この問題をいち早く社説で指摘したのは『毎日新聞』5月20日付でした。タイトルは「これをどさくさ紛れという」という厳しいもの。参議院での法案可決時点での社説です。実は最高裁判所が、2004年1月に、2001年参議院選挙が5倍以上の格差で行われたことについて、9対6で合憲の判決を出したものの、合憲とした9人の裁判官のうちの4人が、「次の選挙で漫然と現状が維持されたなら、違憲判断がなされる余地は十分ある」という付帯意見を付して警告していました。次回は10対5で違憲判決になる可能性があるわけです。来年夏に参議院選挙が迫るなか、「とにかく5倍を下回れば違憲判決は回避できる」ということで、審議時間わずか2時間で、大急ぎで可決したわけです。『毎日』社説は、4増4減で格差4.84倍になるものの、参議院の役割や、その抜本改革の議論を一切省略して、小手先で違憲判決を回避しようというのは「どさくさ紛れ」であり、「賛成した議員も『恥ずかしい』と思っているはずだ」と書いています。衆議院での採決を前にした5月30日、今度は『朝日新聞』が、「参院の自殺ではないか」とさらに厳しいタイトルの社説を打ちました。社説は、「またも小手先の微修正で終わる。立法府としての責任の放棄に等しい」と批判しながら、参議院の抜本的改革を求めています。「一票の価値の平等」を追求することと、地域代表の機能を果たす「都道府県別の選挙区」を両立させるのはすでに無理になっており、ここは「一票の価値」を優先させることを考えた方がいいとし、比例代表制への全面転換、道州制論議に沿うようなブロック単位の選挙区づくりなどを挙げています。「定数是正は、議員の足元の問題だからこそ、国会が自ら取り組むのが筋だ。しかし、今回のお粗末な対応は参院の立法府としての自殺行為に見えてしまう」と書いています。参院不要論がますます強まるなか、こういう小手先の処理では不信感が増すばかりです。

 ここ24時間ほどの間で、共謀罪について、共謀罪をめぐる採決で混乱がありました。あれだけ民主党案を批判していた与党側が、理由も不明なまま民主党案に乗るという形になったため、『読売』2日付記事は「民主党案丸のみ」に対して、「法律骨抜きに懸念」と共謀罪賛成の立場からも疑問が出されています。共謀罪は、刑罰法規の根本に影響を与えるので、きわめて重大な問題なのですが、この急激な展開は、「国会、その存在の耐えがたい軽さ」を感じます。          


   3.ワールドカップ(W杯)とワールドワイドウェブ(WWW)

 近年、能率性や効率性、採算性が過度に強調され、国や社会のあらゆる分野で、目先の成果をせわしく競い、無駄を省けという掛け声のもと、大切なことが見過ごされ、忘れられつつあるようです。耐震強度偽装問題に見られるように、当たり前のように信頼していたものが音をたてて崩れるような出来事ばかりが続きます。

 その点、『朝日新聞』24日付一面の紙面構成は象徴的でした。右半分で、国土交通省が23日、06年度の公示地価を公表したことを伝え、東京都心などで土地バブル再燃の兆しが見えていおり、社説で「バブルの警戒は怠るな」と警告しています。左半分では、日本航空が主脚の検査で手抜きがあったこと、その下に東京電力の福島第二原発で、配管の溶接部分にほぼ全周にわたってひびがあったことが見逃されていたことを伝えています。航空機と原発という最も厳密なチェックが必要とされるところで不信が生まれている。この一面の紙面は象徴的でした。

 それぞれ事件の背景は複雑です。でも共通することは、プロフェッショナルというものの誇りと自信が失われていることです。端的にいえば、政治家から設計士に至るまで、自らの全存在と使命を自覚して仕事をするプロが少なくなっているのではないでしょうか。 このことは、教育の分野にもあてはまります。今週、象徴的な事件がありました。『読売新聞』20日付夕刊に、19日、ソウル地検が、音楽大学教授らが、ロシアの有名音楽大学からニセの博士号を取得していた事件を摘発し、教授ら21人を起訴しました。約10時間の講義と1週間のロシア見物をしただけで、博士号を出していたそうで、このほかにもニセ修士号で100人近くが摘発されました。ニセ学位を出すかわりに、大学の総長には多額のお金が流れたそうです。学位取得にはロシア語の論文提出が必要ですが、ニセ博士たちのほとんどは、ロシア語で書かれた自分の学位記に何が書いてあるか読めなかったと『読売』は伝えています。就職などの際、博士号をもっていると有利に働く。こういうニセ学位やそれに近い話はどこでもあります。秀でた学問研究の成果に対して与えられる学位までも金で買うということだけが問題なのではなく、学問の中身より、学位の有無という「かたち」にこだわる世間の風潮が生み出した事件といえます。

 これとは対照的な、ホッとするニュースが『東京新聞』24日付社会面の共同通信配信記事です。「75歳の女性『博士』誕生」という見出し。関西大学で東京都武蔵野市在住の75歳の女性が、中国文学で博士号を授与されたそうです。この大学では、最高齢です。60歳でICU(国際基督教大学)に入学し修士課程を修了してから、2年前に関西大学大学院博士課程に入学して、毎週金曜、土曜に東京からほとんど休まずに通い、19世紀中国の文献を分析して博士論文にまとめたそうです。女性は、「この先どれだけ時間が残されているか分からないが、さらに研究を深めたい」とコメントしています。地道な学問・研究こそ、大学の原点です。世間からの短期で過剰な要求のなか、自由な学問・研究の雰囲気が失われつつある昨今の大学の現状を思うとき、75歳の女性の言葉は重く響きます。