1.真夏の沖縄から戻って
今週はゼミの学生36人と沖縄に滞在しました。学生たちは本島北部から南部、さらには久高島や石垣島まで、平和、地方自治(基地)、文化芸能(エイサー)など5つの班に分かれて取材を行いました。私は、ゼミの学生が主催した「ハイサイ平和」という戦争体験継承をめぐる懇談会(平和祈念資料館会議室)に出席してから、昨日東京に戻ってきました。それで、東京と沖縄との間には、実際の温度差(気温・湿度)だけでなく、新聞の報道の仕方にも大きな「温度差」を感じました。
滞在中、『沖縄タイムス』『琉球新報』の地元2紙と、西部本社(福岡)発行の『朝日新聞』と『読売新聞』を毎日読みました。私が沖縄に着く直前に、米軍F15戦闘機が訓練用照明弾(フレアー)を嘉手納町と北谷町の石油貯蔵施設上空で誤射する事件が起きました。幸い火災も負傷者も出なかったのですが、東京の各紙では扱われませんでした。関係町長などが抗議したり、『沖縄タイムス』27日付が「防止策を態度で示せ」という社説を打つなど、米軍関連の事件・事故が日常化した沖縄の一端にいきなり触れることになりました。
びっくりしたのは大相撲番付をめぐる社説です。沖縄出身力士、東十両の琉鵬が28日の番付発表で初入幕を果たしたのですが、『琉球新報』29日付は「琉鵬初入幕、納得相撲で三役、大関目指せ」という社説を打ったのです。なぜ「横綱目指せ」でないのかはともかくとして、前後に基地や政治をめぐる難しいテーマが並ぶなか、社説でここまで書くかという勢いの文章で、少々驚きました。
2.「安保の見える丘」の閉鎖?
ホテルを出て、車で国道58号線を走ると、嘉手納基地の近くに、沖縄観光のガイドブックにも載っている通称「安保の見える丘」というのがあります。米軍嘉手納基地が一望でき、観光客だけでなく、基地問題をウォッチする人々が基地の動きを監視する場所として知られてきました。私もこれまで何度か来たことがあります。ところが、ここに柵が作られました。沖縄タイムス記者が31日、那覇防衛施設局に問い合わせたところ、米軍側はここを「スパイ・ヒル」と呼んで、その閉鎖を求めてきたという経緯があり、「将来の保安上の必要性を踏まえながら」閉鎖の方向になったようです(同紙9月1日付)。記事は、「住民の立場からは、不透明な基地の実態を監視するのに欠かせない拠点で、市民団体は『県民に目隠しをするものだ』と反発している」と書いています。この丘はもともと米軍提供区域にあり、ここに柵を設置した理由は「ごみの不法投棄を防止する」(防衛施設局)ということですが、他方、長年ここで飛行機の離発着を撮影してきた基地ウォッチャーは、「有事を想定しているのだろうか」とコメントしています。
3.普天間基地協議会をめぐる「ゆらぎ」
さて、今週、沖縄の地元紙を見ていて、特に、米海兵隊普天間飛行場を県北部・ 名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部に移設する問題だけで、一面トップの見出しが毎日のように入れかわりました。実は、5月の閣議決定で設置されたこの問題に関する協議会の初会合が、29日、首相官邸で開催されることになっていたのですが、メンバーである沖縄県知事と北部4市町村長は、参加をめぐって大きく揺れました。それは、地元2紙の見出しを並べてみるとよくわかります。「普天間協議に県参加」(27日付タイムス朝刊)→「普天間協議に県不参加」(29日新報朝刊)→「普天間協議、一転開催」(29日新報夕刊」。参加、不参加、参加と二転三転したのには事情があります。この問題、沖縄以外の視聴者の皆さんにはわかりにくいのですが、キーワードは「リンク」という言葉です。
人口密集地にあり、事故や騒音で問題となってきた普天間飛行場を、県北部の名護市に移設するにあたって、北部地域に国の資金を投入する振興策が行われてきました。97年12月の名護市の住民投票に際して、基地受け入れを条件付きで賛成してもらうため、政府は多額の振興資金を 名護市 など北部地域に約束しました。投票の結果は基地受け入れ反対と出ましたが、その後、基地受け入れ賛成の市長が当選し、県知事も保守系の知事です。99年の閣議決定で10年間で1000億円がこの北部地域に投入されることが決まっていました。ところが、今年5月、小泉内閣は米軍再編に関連した閣議決定で、この1999年の閣議決定を廃止。来年から2009年までの北部振興策が宙に浮いた形になりました。県側は99年以来の10年分を期待するのに対して、防衛庁側は今後は基地建設の進捗状況に応じて振興策を実施するという立場を打ち出したわけです。これが基地建設と北部振興策の「リンク」です。沖縄側は「出来高払い」という表現を使います。
29日8時からの協議会の初会合を前にして、政府部内では、何とか県側の参加をとりつける形にしたい小池沖縄担当大臣と、あくまでも「リンク」にこだわる額賀防衛庁長官との間で、微妙なニュアンスの違いが見えたため、県側は初会合への参加取り止めを決断しました。急遽、小池担当大臣と額賀防衛庁長官らが協議。小池大臣が「北部振興策を着実に実施する」と述べたため、沖縄県側は「環境が整った」として協議会への参加を決めました。29日午前8時に閣僚4人は出席した場に、50分遅れで出席したことで、「50分の遅刻」が沖縄側の抵抗の形ということでしょうか。地元2紙は連日一面トップと政治面、社会面で報じたのに対して、東京メディアは、『読売新聞』東京本社版29日付夕刊が一面なかほどにカラー写真を入れ、稲嶺知事が普天間協議を受け入れるという記事を載せたのが一番大きな扱いでした。『読売新聞』30日付は比較的大きめの解説記事を載せ、「政府・県ぎりぎり譲歩―北部振興策で溝、前途は多難」と見出しを付けました。しかし、『琉球新報』30日付社説は「国ペースの議論に乗るな」、『沖縄タイムス』31日付社説は「国の説明に納得したのか」と、協議会参加を決めた県知事や市町村長に厳しい指摘が並びます。『沖縄タイムス』は、「政府に足元を見られリンクが名実ともに明らかになっても断れない」県側の一方的譲歩を批判しています。『琉球新報』社説も、「これまでの迷走ぶりを見ていると、普天間飛行場の危険性の除去という最優先の課題が置き去りにされていると言わざるを得ない。県民不在の議論だ」と書いています。
私は、「県民不在の議論」というけれど、そもそも97年12月の 名護市住民投票で問われた原点は何だったのかを思い起こす必要があると思います。あの時、基地受け入れをめぐって、賛成か反対かだけでなく、「経済効果等が期待できるから賛成か反対か」という条件付き賛成を含む4つの選択肢で投票が実施されましたが、それでも市民の過半数は明確に基地反対という態度を示しました。沖縄北部の貧しい、静かな地域に、突然、たくさんの税金が投入される不自然さ。明らかに基地とのリンクが見えるのに、そのリンクの否定を求める県側の立ち位置の悩ましさ。ここへきて、防衛庁側が「出来高払い」というリンク論を明確に打ち出してきたため、政府の立場に理解を示してきた保守系知事や市町村長たちも反発をしているわけです。小泉内閣のもとで、米国を除くすべての周辺諸国との関係が非常に冷たくなっているなかで、沖縄の基地をめぐる長年の問題も、ここへきてこじれるところまでこじれているわけです。これは、政府中枢の立場が、周辺諸国や、国内の地方や当事者への眼差しが欠けていることと無関係ではないでしょう。
4.出生率3.14の島
今週、私のゼミの5つの班のうちの一つ、7人が「山村留学」として久高島に滞在しました。彼らは、憲法のゼミとして祖先信仰の島を丸ごと体感して、何かを得ようとしたようですが、海蛇イラブーと自然と島民の信仰心に圧倒されたようです。
時期は少しずれますが、『毎日新聞』25日付夕刊「特集ワールド」に、「出生率3.14」という見出しで、日本一多産の島として、多良間島のレポートが載っていました。宮古島と石垣島のほぼ中間にある多良間島。平均出生率が「1.25」に落ち込んだいま、円周率のような数字は驚異的です。宮古地区の2年前の調査によると、「子育てしやすい」と答えた女性が93%にのぼるそうです。村の民生課長は、「子どもは宝、自分の子も、よその子も関係なく、地域皆で育てます。例えば、買い物に行く時は近所の人が面倒を見てくれたり、そうした助け合いの精神があるから、安心して子育てができる環境がある」と語っています。
医療や教育などの点でいろいろと困難な面もあるのに、この島が子だくさんなのはなぜか。村の次世代育成支援計画には、「多良間村 は、今日の社会で見失われつつある『他人を思いやり、自然を慈しむ心』が今なお息づく島。住民が子どもを生み育てることに喜びを感じることは、将来の島の発展と大きく結びつく」とあります。「この島では子どもが15歳になるまでに、親子のきずなを築き、自立できるように育てなければなりません」と、村の保育所長。記者は、この言葉にヒントが隠れているといい、「子どもを15年で自立させる。限られた時間だからこそ、子どもを育てることがいとおしい」。「子を産んでみないと、親の恩義がわからない」という方言の言葉を紹介しながら、いまの日本への課題を示唆しています。少子化社会対策基本法6条は、少子化に対処する国や自治体、事業者の責務と並び、「家庭や子育てに夢を持ち、かつ、安心して子どもを生み、育てることができる社会の実現に資するよう努めるものとする」という「国民の責務」を定めています。「家庭や子育てに夢を持ち」と言われても、東京に住んでいるといま一つリアリティがないのですが、沖縄にいると、いろいろと違った視点が見えてきて、ハッとさせられることがあります。島で言えば、規模や経緯の問題もあり、すべてがあてはまるわけではありませんが、でも、非常に大切な視点を教えてくれていることは確かでしょう。
今日はこのへんで失礼します。