1.鳩山内閣の1カ月
私が前回担当してから3カ月ほどの間に、この国は大きな変貌をとげました。政権交代です。先週16日が鳩山内閣発足1カ月ということで、新聞各紙は社説や特集記事で検証しました。この内閣をどう見るか。『沖縄タイムス』10月17日付社説の「変革の正念場これから」と『産経新聞』17日付社説の「首相の指導力がみえない」という両極の立場の間で、ほぼ共通の印象は、『読売新聞』18日付世論調査の見出し、「評価と不満の交錯」というあたりでしょうか。『朝日新聞』17日付は「閣僚通信簿」を1頁使って掲載し、17人の閣僚一人ひとりの「存在感」から「脱官僚度」まで、6項目で採点しています。「目立つ」閣僚が多いので、採点の筆にも勢いが出ていました。また、『毎日新聞』18日付は「鳩山政権の通信簿」として、「マニフェスト」(政権公約)や与党連立合意の「実行度」を調査した結果を、14、15面見開き1頁を使って詳しく検証しています。それをまとめた1面見出しは「計178項目中87 実行へ明確な姿勢」「修正・先送りは5項目」。「マニフェスト」の49%が着手あるいは実現されつつあると積極的に評価する一方、「漂流する国家戦略局」という見出しで、担当大臣を据えたのに「国家戦略室」のまま宙ぶらりんになっている状態を「未着手」のトップに挙げています。そもそも「国家」と「戦略」という二つの言葉を組み合わせたその名称に私は違和感を覚えましたが、それはともかく、「戦略室」を「局」にするには、設置法が必要であり、その法案は来年の通常国会に先送りされそうです。「政治主導」の目玉だったはずですが、『毎日新聞』は「任務あいまい」「骨抜き懸念」としています。
2.「政治主導」の一人歩き?
内閣発足の日、鳩山首相は初記者会見の冒頭、こう述べました。「日本の歴史が変わるという身震いするような感激と、この国を本当の意味で国民主権の世の中に変えていかなければならない」、「政治主導、国民主権、真の意味での地域主権のため、さまざまな試行実験を行っていかなければならない」と。「政治主導」を国民主権原理で正当化する論理的仕掛けですが、この間、政治と官僚の関係は劇的に変化しました。『東京新聞』10月19日付コラム「放射線」で、元外務省主任分析官で作家の佐藤優さんは、霞が関で起きていることは「単なる政権交代にとどまらない『革命』である」と書いています。そして、小沢一郎民主党幹事長がいう「内閣法制局長官の答弁禁止」も高く評価しています。小沢氏は自由党党首時代、「内閣法制局廃止法案」を提案しており、事務次官会議の廃止から始まり、官僚答弁の禁止、国会での与党代表質問とりやめ、議員立法の禁止など矢継ぎ早に出される方針には、「政治主導」の一人歩きを感じます。民主党内でどこまで熟慮に基づく十分な議論がなされているのか、疑問です。
八ツ場ダム中止、2009年度補正予算の一部執行停止、温室効果ガス25%削減、中小企業の返済猶予(モラトリアム)政策、夫婦別姓、羽田空港のハブ空港化等々、新聞には連日のように大見出しが踊ります。普天間移設問題のブレ(『琉球新報』18日付2、3面特集記事)、アフガン支援に自衛隊活用(『東京新聞』20日付)、PKO5原則の見直し(『毎日新聞』21日付夕刊)など、既存の政策変更も急です。そのため、大きな政策変更を伴うものまでもベタ記事になっていることもあり、記事の配分や見出しをつける新聞社の整理(校閲)部門も連日苦労しているのではないかと思います。
ただ、政治家たちの口から繰り出される事柄の多くが、十分に議論されたものとはいえないことが気掛かりです。憲法の観点からいえば、「政治主導」という言葉には注意が必要です。私は、従来の与党と官僚上層部の馴れ合い構造を打破して、緊張感あふれる関係は必要だと考えていますが、「政治主導」の過度の強調には危うさも感じます。とりわけ「法律による行政の原理」や、財政国会中心主義(憲法83条)との関係では、鋭い緊張関係も生まれています。例えば、補正予算の執行停止です。本予算と補正予算は、本質的には切り離されたものではなく、予算の減額であっても、そのつど国会の「審議を受け議決を経なければならない」(憲法86条)と考えるべきです。国会が未だ開かれないなか、「政治主導」で重大な先例を作られつつあります。
臨時国会は10月26日に召集されますが、会期はわずか36日間。審議される法案も少なく、12件程度に絞られるようです。『毎日新聞』18日付社説は、「子ども手当法案」や「国家戦略局設置法案」など、重要政策や政府の体制を固める法案が揃って先送りとは「拍子抜けである」と批判しています。首相の政治資金収支報告書の虚偽記載問題への説明責任もあるのに、与野党の開幕戦を「消化試合」にしてはならないとも。
来週は所信表明演説です。鳩山首相は「友愛社会」の実現への決意を表明するなかで、北方領土問題の早期解決に向けた決意と、アイヌ民族の権利確立に向けた取り組み強化を入れると、『北海道新聞』22日付は観測記事を掲げています。所信表明演説が地方でここまで注目されるのも、かつてなかったことです。「政治主導」が、気負いすぎた「政治家主導」に矮小化されないよう、新政権には自覚を求めたいと思います。
3.教員養成6年化について
最後に、「マニフェスト」にもある、教員養成課程の6年義務化について触れます。小中高校の教員になるためには、大学院修士課程修了が条件となります。2007年に安倍内閣が導入したばかりの教員免許更新制度(10年に1度、30時間以上の講習義務づけ)は、現場の教員や教育系大学に大きな負担を強いました。鳩山内閣はその廃止を早々と打ち出しました。これには各紙とも好意的評価ですが、今度は、修士課程2年修了の義務づけ。医師並みの6年を教員志望の学生に課すのは、経済的負担の問題もあります。教員の資質向上が目的とされていますが、各紙とも疑問を呈しています。『中日新聞』16日付や『新潟日報』19日付などは、全国に24校ある教職大学院の修了者が800人にすぎないことを挙げ、公立の小中高校だけで年間2万人の教員を採用している現実からすれば、全国に教職大学院を設置する必要も出てきて、新たな費用も必要となると批判的です。近年、政治家やそのブレーンとされる学者の思い入れや思い込みが、そのままストレートに政策として発信される傾向にあります。法曹養成のために専門職大学院を設置したことの根本的総括が、発足5年で求められているときに、教職大学院の増設につながる施策には慎重な対応が必要です。政治家主導の「改革」のツケはすべて現場が負わされてきました。これ以上、教育の現場を混乱させてほしくない。性急な「改革」ではなく、現場や国会での十分な議論が必要です。『信濃毎日新聞』20日付社説は、「教育は社会の担い手をはぐくむ土台となる。10年、20年も先を見据えたうえで、教育の質をどう高めていくのか、まずは全体の見取り図を描いてはどうか。教員養成の方向性は、そのなかでおのずと位置付けられる」と書いていますが、同感です。今日はこのへんで失礼します。