1.何かがおかしい――地球も自然も人間も
前回のこの時間は、夏の猛暑のなかでの放送でしたが、今週は鹿児島県奄美地方の記録的な豪雨で住民多数が孤立し、大きな被害が出ているなかの放送です。新潟県北部の胎内市で竜巻が起こり、軽自動車が50メートルも飛ばされ大破した『産経新聞』10月16日付の写真も衝撃的でした。猛暑から竜巻、そして豪雨へ。最近の気象異変の影響は、いろいろなところに出ています。
今週、全国的にクマが町中にあらわれ、負傷者の出る被害が多発しています。「クマ出没」という社説を出す新聞もあり、その副題は、例えば『新潟日報』17日付の「地域力高め里山の整備を」、『西日本新聞』18日付「野性動物と共生の難しさ」、『読売』19日付「森の荒廃が招いた被害の多発」など、問題の背景を示唆するものです。夏の猛暑で山のドングリが不作になったことや里山の荒廃などの原因に加え、『朝日新聞』20日付「時時刻刻」は、猟師の数が1970年代の4分の1にまで減ったことによる「狩猟圧」の低下を指摘します。狩猟期に人間に追われた経験のない「新世代のクマ」が人と遭遇しているというわけです。この猟師の減少に拍車をかけているのが、昨年末施行された改正銃刀法の影響だとして、その規制緩和を求める動きも紹介。とはいえ、獣を撃つことは対症療法に過ぎず、林業を通じた山の環境整備などの対策も重要だとして、それを、「猟に頼らない道を 手さぐり」という見出しに象徴させています。
2.日中関係に複雑な影――中国「反日デモ」
今週、日中関係がさらに悪化しました。16日に中国・四川省の成都など内陸部の都市で大規模な「反日デモ」が起き、『読売』17日付は一面トップで伝えました。一部は暴徒化し、日系のスーパーや飲食店などを襲い、日本車を横転させて気勢をあげました。中国外務省報道局長は、破壊的行動には危惧を表明しつつも、「日本側の一部の誤った言動に義憤を表していることは理解できる」と発言し、デモを正当化しました。『読売』18日付総合面「スキャナー」は、不安定な過渡期を迎えた政権は、所得格差、不公正な社会などに対する数億人の憤りに包囲されている。党の中央委員会総会が開かれているさなか、またそれゆえに、「安定団結」による一党支配維持のため、若者の「愛国・反日」をあおる一方で、力で安定を維持する。中国の権力者の「危険な操縦」は続くと書いています。
社説でこの問題を扱ったのは『日経』と『産経』18日付が一番が早く、朝毎読、『東京』など多くが19日付でした。「底流に内政への不満も」(『岩手日報』19日付)という形で、各紙とも、中国の国内問題との関わりに言及しています。
ここへきて少し事態が見えてきました。『朝日新聞』22日付総合面は、デモに、中国当局の事前の承認があったと断定。ネットなどで広がったデモの勢いは当局の想定を超え、承認していない都市にも飛び火していったことを明らかにしています。『琉球新報』19日付社説のいう、「『言論の不自由』は諸刃の剣」です。デモの背後に何があるのか。それなりに明快なのは、『毎日』21日付コラム「木語(もくご)」の「反日デモ 正体見えた」です。デモの主体は20代前半のネット右翼だが、その正体は、蒋介石の怨霊が乗り移った保守派と軍部であるとして、背後には、「本当に深刻な党内路線闘争である」と結んでいます。
では、どうしたらよいのか。この点で、『朝日』20日付「ザ・コラム」の「南海の波、静める知恵を」(外岡秀俊)が注目されます。中国の急成長に応じ、尖閣諸島が領土という「点」から、「線」と「面」の問題に発展しつつある。中国は日本列島からサイパン・グァムに連なる「第2列島線」の外に進出し、さらに東シナ海進出の勢いを強めていく。「線」では、日本だけが米中対決の矢面に立たないよう、緊張緩和に向けて働きかけること。「面」では、東南アジアを含む多国間外交を駆使して、中国の「覇権」志向に歯止めをかけることが大切だと書いています。「かつて尖閣は琉球王国に属した。当時は、琉球、福健、台湾の漁民が周辺の海で平和に漁をしていた。日中『対決』の波が険しくなれば、自衛力の増強や、沖縄における米軍基地固定化の声も出てくるだろう。緊張の高まりで大きな波をかぶるのは、いつも沖縄であったこと、忘れずにいたい」。いたずらに危機感をあおることなく、このような冷静な視点が必要だと思います。
3.検察史上最大の大量処分
今週、大阪地検特捜部による「証拠改ざん・犯人隠避事件」で大きな動きがありました。最高検察庁は21日、大阪地検特捜部の前の部長と副部長を、犯人隠避罪で大阪地裁に起訴しました。2人は一貫して容疑を否認。徹底抗戦の構えです。法務省は、2人を懲戒免職処分に、最高検次長検事を含む上司ら6人も処分しました。「前例なき大量処分」と『読売』22日付は第1社会面に大見出しを掲げました。この日、これまで一度も表に出なかった検事総長が初めて記者会見に出てきて頭を下げる写真を、各紙22日付はトップに出しました。『朝日』は「検事総長やっと登場」という4段見出しです。
『毎日』22日付一面コラム「余録」は、「クレタ人のウソ」というパラドックス(逆説)でこの問題を読み解きます。「クレタ人はみなウソつきである」と詩人エピメニデスは言ったが、彼はクレタ人だった。「すべてのクレタ人はウソしか言わない」ということがウソならば、「クレタ人の中には真実を言う人もいる」ということになる。この「クレタ人」を「検事」に置き換えたくなる成り行きになった、と「余録」は書きます。起訴された検事2人は、検察が起訴内容だとするストーリーはみんなウソだと全面対決の構えだが、もともと村木元局長を起訴した検察の虚構〔ウソ〕のストーリーにこの2人は責任がある。1 人が取り調べの「可視化」の必要に言及したのも「検事のウソ」を熟知しているからかと、『毎日』コラムは皮肉ります。そして、「もちろん現実はパラドックスでも何でもない。身を賭して真実を追求する検事もいれば、ウソをつく検事もいる。公益の代表の誇りが社会の正義を守ることもあれば、保身や出世欲が組織をゆがめることもある。『ウソ』の所在は、今後法廷で明らかにされるだろう」と書いています。
『読売』22日付社説「幕引きではなく改革の一歩に」をはじめ、この日の各紙社説は概ね、検察の根本的改革の必要性を強調しています。その改革の方向と内容については、特捜部の廃止論から検察監視委員会のような第三者機関の設置までいろいろありますが、『毎日』22日付の、前田裕司・日弁連刑事弁護センター委員長のコメントが注目されます。曰く。過去の冤罪事件の多くは、取り調べの録音テープを改ざんしたり、被告の血痕を被害者のシャツに付着させたりするなど、捜査機関が証拠を操作した事実があり、検察が不利な証拠を出さない「証拠隠し」もある。今回の事件はその延長線上にある。問題は捜査の密室性であり、今後、捜査過程の録音・録画(可視化)を導入し、証拠も全面開示する仕組みに改めるべきだ。弁護人が起訴前から証拠開示請求できる制度にした方がいい。こう指摘しています。まったく同感です。被疑者・被告人の権利の保障の観点から、この際、冤罪の温床となるような仕組みを根本的に改めておく必要があると思います。