

なぜトイレなのか
久しぶりの雑談シリーズである。今回は「トイレの話」である。なぜトイレなのか。第1回は26年前の在外研究中にトイレについて考えたことだった。家族とドイツで生活して、日本との違いを肌で感じた問題の一つだった。第2回は14年後、日本の「ハイテク・トイレ」の話をアップした。これは日本の誇れる側面だと私も思う。第3回は2016年の在外研究時のトイレ論である。かなり詳しい「現地レポート」になっているので、ドイツ旅行をする方はリンクまで「必読」(笑)である。そして第4回は、「世界トイレの日」(国際トイレデー)にちなんで書いたもの。「衛生はグローバルな人権」というヒューマン・ライツ・ウォッチの提言と、途上国のすさまじいトイレの写真を含む全46頁の報告書『「行きたいときにトイレに行けること」:人権としての衛生』もリンクしてある。
冒頭の写真は、第3回にリンクしてある当時6歳の孫の後ろ姿である。ホーエンツォレルン城にある唯一のトイレがこれだった。妊婦も杖をついた老人もこの21段を降りなければトイレに行けない。やっと下に着いても小銭がないと入れない。例外はこの枠に入れる背丈の幼児だけである(写真は私の孫、当時3歳)。
2023年7月11日、最高裁判所第三小法廷は、トランスジェンダー女性(出生時の性別は男性だが、現在女性として生活している)の経済産業省職員について、職場の女性用トイレの使用を認めないとした人事院の判定を違法とする判決を言い渡した(判決はここから)。 判決から1年以上遅れて、経産相は当該職員にすべての女性用トイレの使用を認めた(NHK2024年11月12日)。だが、問題はそれで解決したわけではない。渡辺恵理子裁判官の補足意見は、「性的マイノリティに対する誤解や偏見がいまだ払拭することができない現状」のなかで、「両者間の利益衡量・利害調整」のあり方について「感覚的・抽象的に行うこと」を戒め、「客観的かつ具体的」に行うことを指摘している。重要な指摘だと思う。例えば、ネットなどで、「髭面の人が女子トイレに入ってきたら怖いでしょう」的な、まさに感覚的な反応が出ているからなおさらである。言うまでもないことだが、誤解が多いので念のため付け加えると、このケースの判決は、「トランスジェンダーだ」と言えば男性が誰でも女子トイレに入れると判断しているわけでは決してない。
その一方で、日本の総人口を見たとき、女性の方が男性より270万人も多い、まさにマジョリティにもかかわらず、圧倒的にマイナーな扱いをされている現実がある。
「万博」工事現場に女性トイレなし?
『毎日新聞』3月14日付夕刊(デジタルは3月3日)に驚くような記事が載った。大阪府のホームページに、大阪・関西万博の工事現場で仕事をしているという女性から次のような訴えが書き込まれた。「現場には男性用トイレしかなく、女性用トイレがない」「トイレに行けるのは、駅に着いた朝7時、仕事が終わって駅に戻る18時ごろ」「作業場は極寒で、膀胱が破裂しそうになるのを耐えながら仕事をしている」「これが令和の仕事現場ですか?一刻も早く女性用トイレを設置してください。切実にお願いをしたいです」(書き込みはここから)。この記事には「11時間、「トイレに行けない」」という小見出しが付けられ、万博会場内に約2億円をかけた来場者向けトイレが3カ所設けられ、SNSで「二億円トイレ」として話題になっていると皮肉る。
一事が万事。カジノ利権も絡む「日本維新の会」主導で始まった「関西・大阪万博」も、動機が不純で曖昧なだけに、準備の過程でもあきれるようなちぐはぐが数多く見られる。かくして「コロナ緊急事態下の五輪」として強行された「東京2020」に続き、「安倍晋三の負の遺産」、「カジノありきの万博」が来月始まる。
なお、前掲『毎日』記事が触れた「二億円トイレ」については、設計者がXで「実際は46基で約1.5億円 再利用も前提」と反論している(『IT MEDIA NEWS』3月17日)。
「トイレの前の平等」――参加、安全、正義のために
と、ここまで書いてきて、実はこの雑談「トイレの話(その5)」を書く直接のきっかけとなったのは、定期購読している『南ドイツ新聞』2025年2月の特集版Jetztで 興味深い記事を見つけたからである。タイトルはズバリ、「おしっこは政治的なもの」(Pinkeln ist politisch)。冒頭の写真は、その記事のイラストである。実は2枚セットになっていて、右側には、街路樹に立ち小便をしている男性が描かれている。さすがに「直言」のトップでは使えないので、リンクをゆっくりスクロールして確認してほしい。
記事はこう始まる。「悪臭漂う地下通路、日曜の散歩中に用を足す男たち、そして女性用トイレに延々と続く行列。女子トイレの果てしない行列…。誰が、どこで、どのように小便をすることができるのかという問いに対する答えは、公共生活に関与できる人々を示している。そして、これには腹を立てるだけの十分な理由がある」と。「おしっこがしたい」„Ich muss pinkeln.”という[ドイツ語の]3つの差し迫った言葉は、いつも決まって、慌ただしい捜索行動を伴う。膀胱が膨らんだ状態ではビールなどを楽しむことはできないからだ。
…公共の場で用を足すことは私たち皆に関係する。街角から漂う尿の臭いは、残念ながら大都市のDNAの一部である。ベルリンで5月1日[メーデー]を経験したことのある人なら、人々であふれる通りの住人たちが、必要性を儲かる商売に変えていることを知っている。「おしっこ1ユーロ」(約160円)という看板が、家々の窓に並んでいる。イベントやフェスティバルを評価する際に、トイレ事情は避けて通れない問題である。…高速道路や公園にトイレが見つからず、子供の頃に森の隅っこお尻を出してすませた経験のない人はいるだろうか。

…ミュンヘンには約150の公衆トイレがある。ベルリンには合計475の公衆トイレがあるが、そのうち無料なのはわずか107である。人口360万人に対して107の無料トイレ。これは計画性の欠如としか言いようがない。公衆トイレを見つけても、通常、女性用は50セント(約80円)かかる。それでも、便器の上でスクワット練習をする必要がないほど清潔だとは言えない。一方、立って用を足せる人は、小便器を使う際に料金を払わないことが多い。…その証拠に、地下鉄の通路は臭く、森からよろよろと出てくる男性がズボンのベルトを直す光景が日常的に見られる。ゲルゼンキルヘン市は、この問題に対する創造的な解決策を打ち出した(注)。それは、主要駅構内のコンクリート壁に特殊な塗料を塗り、小便をかけた犯人に小便が跳ね返るようにしたのだ。
…都市部にある無料の小便器は、「害の低減策」と呼ぶこともできるだろう。あるいは、単に「悪行への報酬」と考えることもできる。公共の場を汚さないことを選んだ男たちは、金銭的なメリットを得ているのだ。一方で、ホームレスの女性などにとっては、1日に4回トイレを使用するだけで2ユーロを支払わなければならないのは理不尽である。しかし、清潔な水で手を洗ったり飲んだりできる機会は、これしかない場合が多い。薬を服用している人、生理中、頻尿、妊娠中の人も、トイレを頻繁に利用する必要がある。2021年の「ベルリン州トイレ事情に関する女性諮問委員会の公開書簡」には、「外出時に、女性は途中、無料で利用できるトイレがあるかどうか分からないため、水分摂取を控えることが多い」と書かれている。その結果、膀胱炎に苦しむ女性が増えている。つまり、無料トイレの不足は、多くの人々にとって、金銭的な損失だけでなく、健康上の損失でもある。膀胱炎にかかっているにもかかわらず、それでも外出する勇気があるなら、「トイレ検索アプリ」が役に立つだろう。…
…立ち小便は35から5000ユーロの科料に処せられる秩序違反とみなされる。特定の状況下では、より厳しい処罰の対象となる可能性もある。常に次のトイレのことを頭の片隅に置いていなければならないとしたら、街でどれだけ自由に感じられるだろうか。
女性専用トイレというコンセプトは非効率的である。…女性がトイレに長く時間をかけるのは、設計上の問題がある。男性用トイレは小便器のスペースが少なくてすむので、女性用トイレよりも平均20~30%多く設置されている。また、男性用トイレの方が効率的である。女性がドアをきちんと閉めるためにドアロックをいじっている間に、男性はジッパーを操作して用を足せる。一般に女性の方が多くの時間を費やす着替えや脱衣に加え、レストランを訪れた際など、女性は通常、小さな子どもの介助をすることが多い。…平均すると、女性は6分間列に並ぶが、男性の場合は11秒である。…男女共用トイレを標準とし、個室と小便器の数を2:1の割合にすることもできるだろう。ベルギーのゲント大学の研究者がモデルに基づいて試算したところ、そうなれば、女性は2分しか待たずに済むことになる。
これは単にトイレの問題ではなく、社会参加、安全、正義の問題である。では、「おしっこの特権」(Pinkel-Privileg)は何を示すのか。公共の空間は男女同権でないだけでなく、依然として男性優位であるということである。女性は体系的に忘れ去られている。また、用を足すためのトイレが近くにない人も多い。結局のところ、衛生設備の不足は、社会のあらゆる領域に浸透する問題の縮図に過ぎない。それは、あらゆる性、階級、能力を持つ人々が社会に参加し、安全と正義を求めるたたかいである。…
以上は全訳ではなく、日本の読者が興味をひくと思われる箇所を抄訳したものだが、ドイツのトイレ事情のみならず、そこから発展して、女性がいかにトイレから疎外されているかをリアルに理解できるだろう。日本でも同様である。特にこの1年、妻と外出するときは、常に女性トイレ・多機能トイレを考えながら移動するようになった。かく言う私自身が後期高齢者まで3年となり、このテーマにおける「切実性」は若い頃とは違う。ルドルフ・フォン・イエーリングの『権利のための闘争』ではないが、まさに「トイレのための(権利)闘争」が必要であろう。
(注)中部ドイツのゲルゼンキルヘンは2月の連邦議会選挙において、西部ドイツにおいて極右「ドイツのための選択肢」(AfD)が第一党となった数少ない選挙区である(直言「ドイツ総選挙の結果を診る」参照)。ブンデスリーガに所属する「FCシャルケ04」 が本拠地を置き、「熱烈なサッカーファンの若者層がAfDに多く投票したのではないかと推察される」と書いていた。 昨年、そのゲルゼンキルヘン中央駅の灰色のコンクリート柱や壁周辺に、青、緑、紫のカラフルな塗装がほどこされた。これは特殊な塗料で、強い撥水効果がある。ここに放尿すると尿が飛沫となってズボンと靴に降りかかる仕掛けである。実験をやって成功したと報じられている。以前から駅周辺の壁や柱周辺は悪臭漂う「ドイツ最大の小便器」と評されてきた。市が「反撃の水しぶきをあげている」と書かれた(西部ドイツ放送(WDR)2024年7月19日)。サッカーファンの若者・おじさんたちが酒を飲んだあと、一斉に駅周辺で放尿するのを防ぐというコンセプトだが、これでは問題の解決にならないだろう。ズボンに跳ねない場所を探して、スタジアムから駅までの間に放尿箇所が増えるだけである。高価な塗料を塗る箇所を増やすことに金を使うよりも、まともな公共トイレを増設することが肝要だろう。だが、なぜかドイツではトイレは増えない。私が1年住んだボンのバート・ゴーデスベルク区では、議会で長時間議論したが、私が滞在中には完成しなかった。2016年に半年滞在したときに6歳の孫を連れて行ったが、2000年に完成していたそのトイレの鉄扉はとても重くて、孫だけでは開けられなかった。
【追記】
ドイツで在外研究中の研究者に意見を求めた。「こちらの家の便座は冷たいので、日本からフワフワの簡易な便座カバーを大量に持ってきています。以前と違うのは、駅で電車に乗るとき、「次の列車は本日、ユニバーサルトイレ(日本のバリアフリートイレのこと)が利用できません」という放送を事前に流していることです。ICEについていえば、新型の車両では、日本の東海道新幹線と同様、子どもと入れるような広いスペースのトイレもありました。トイレに石鹸が必ずついていて、綺麗に手を洗うことができるし、手をふく紙も十分に整っています。他方、駅は相変わらずです。地下のトイレに行く階段から臭いがはじまって、1ユーロを入れて回転式バーを回して入るところを複数で見ました。ただ、コイン以外に、クレジットカードが使えるようになっているところもあり、以前の「直言」で書かれていた日本人ツァー客の希望はかなったのかなと思いました。ただ、街や駅の公共トイレの清潔感はあまり変わらず、またトイレ、多機能トイレは今の日本と比べるとかなり少なく、あまり変化はないと感じています」。この研究者のように小さな子どもを連れてのドイツ生活は大変だと思う。9年前に妻と2人で滞在した時にもいろいろあった。今後、ドイツ旅行をすることも考えているが、トイレ事情は重要な考慮要素となる。