正月3日付朝刊というのは「お節料理」ならぬ「お節記事」が多い。各紙社会面には、元旦の交通事故などの記事と一緒に、「日本海でロシアタンカー遭難」というベタ記事(読売は16行)。これを見た瞬間、岡山・水島コンビナートの重油流出事故(74年)を思い出した。だが、続報は鈍かった。4日付東京新聞が初めてカラー写真付きで「3700トン重油の帯」という記事。それでもまだ政府の動きは鈍い。
毎日7日付夕刊の「重油、東尋坊に漂着」というカラー写真で、ショックが広がり出した。バケツとひしゃくで重油を除去する人々の姿が全国に流れたのは8日付夕刊からだ。インターネットのドイツ通信社サイトには、12日夕方、「約1500名のボランティアと800人の兵士が重油とたたかっている。最も原始的方法(バケツとひしゃく)を使って」という記事が載った(http://www.germany-live.de)。「経済・技術大国日本」の「最も原始的方法」が世界に知れ渡った。「水際で防げ重油被害」(朝日13日夕刊)。
だが、重油によって日本海の沿岸は「侵略」されてしまった。それでも、膨大な予算は、「敵の武装部隊の水際阻止」の方には盛大に費やされている。「本物の危機」に対するこの鈍感さこそ、「いま、そこにある危機」である。