5月12日付毎日新聞の見出し「母の日、87歳母、娘を絞殺。知的障害で看病60年、心中図る」。読売新聞と東京新聞も「87歳母、66娘殺す」というトーンだった。だが、その一方で、朝日新聞だけは全国版で一切報道しなかった(静岡県版は確認していない)。「敬老の日」に老人自殺が続き、その報道がさらなる自殺をあおったという経験への配慮もあろう。悲しい事件である。毎日新聞には、「母の日、母悲し」という感傷的大見出しがついていたが、問題はさらにその奥にある。
折しも国会では、介護保健法案が審議中である。この法案、将来の高齢化社会の介護のありようを射程に入れたきちんとしたものならばいいのだが、その内容はかなりお寒いものである。たとえば、「高福祉・高負担」という安易な発想で、65歳以上の住民税非課税の人たちからも平均月2500円を保険料をとるというさもしさ。その上、介護を利用する段階で、費用の10%を負担させる。介護手当ても認められない。そのため、国庫負担は給付額の25%にとどまっている。何ともしょぼい制度である。整備新幹線や陸上自衛隊の94式水際地雷敷設装置など、誰がみても無駄な支出を思い切って削減するなど、できるところから手をつけ、こういう国民生活に密接な領域への国庫負担を増やすことは十分可能なはずである。さらに、介護の基盤整備の計画をきちんと立てて、小手先の対応にとどめないことも大切だ。
誰でも年をとるし、誰でも心身の障害をもつ可能性がある。高齢化社会、高齢社会、超高齢社会の到来を前にして、抜本的な見直しが求められている。そうした観点から見ると、介護保健法案の内容はほど遠いものと言わざるを得ない。88歳が66歳を絞殺するという悲惨な例が、21世紀の「普通の出来事」にならないよう、根本的な対策が必要である。老人福祉が貧困な国は、どうころんでも「豊かな国」にはランクインできない。GNP(GDP)のランクだけで豊かで平和な国と錯覚している人もいる。これからの「豊かさ」と「平和」の指標は、高齢者の扱いの問題である。