安保があるからあたりまえ? 1997/12/15
先週、宮崎市で、「平和における地方の時代」という演題で、中小企業の経営者たちに話をした。会場には、このHPで情報を知ったという大学院生が鹿児島から来ていた。講演のあと、1人の経営者が質問した。「安保条約を結んでいるのだから、1つ基地を返還すれば、どこかに移すのは仕方がないのでは」。私は、条約という国と国の合意の意味などについて説明しながら、こういう例え話をした。Jという中小企業家がいた。彼は、かつて倒産したときに世話になった町内の実力者Aに、部屋を2つ無償で貸すことを約束した。契約書には、10年たったら、いつでもこの契約は破棄できると書いてあった。契約は家族の十分な同意を得ないまま結んだため、更新の時期にまた家庭内が荒れることを恐れ、10年後、そのまま更新してしまった。結局Aは、シンナー中毒の4男の専用個室として、J家の2部屋を無償で37年間使い続けた。しかも、電気代も電話代も水道料金もすべてJに払わせていた。見知らぬ若者たちが部屋に勝手に出入りしたり、大音響で音楽を聞いたりしても、Jは見てみぬふりをしていた。ジュースやお菓子まで、「思いやり」といって妻に運ばせたりもした。さすがに、あまりの騒音に、Jの子どもたちの勉強に支障が出てきたので、庭の離れにある祖父母の部屋に移ってもらうことにした。祖父母は猛烈にJに抗議した。そこでJは、祖父母の部屋の前の花壇をつぶしてプレハブを1棟建てることにし、祖父母には、部屋の暖房をセントラル・ヒーテングにすることを約束した。冷え性の祖母はすぐ賛成したが、花壇の世話を日課としてきた祖父は断固反対。祖父母の間で口げんかが絶えなくなった。プレハブの建築費用も暖房装置の料金もすべてJの負担。Jは、「37年前の契約がある以上、わが家のどこかに2部屋は確保しなくてはいけない」と家族を説得した。しかし、家族は、「なぜAにそこまでしなくてはいけないのか」「契約締結から37年もたっているのだから、J家側の事情を考慮して契約内容を変更するよう、Aと交渉してほしい」とJに迫った。4男を自宅に戻して、教育をしなおすべきだという声が、Aの親族からも出るようになった。だが、JはAと交渉する努力をしようともしなかった。その一方で、Jは、祖父の好物を自ら部屋に届けることまでするようになった。そして、妻や子どもたちには、「契約を破棄すれば、町内で孤立する」と強い調子で説くのだった。4男の乱行に迷惑していた近所の人々は、プレハブを新築してまでAにサービスするJの姿勢にあきれ果てていた。――― 「安保があるから」という論理は、37年間の時の変化のなかで、「自明の前提」ではなくなった。しかし、その古めかしい国家の論理が、いま、名護の市民に対して、猛烈な勢いで押しつけられつつある。