1998年はどんな年か 1998/1/5


年明けましておめでとうございます。このページを毎週ご覧頂いている皆様の健康とご活躍を心からお祈りします。
  今年の年賀状にはこのページについて触れたものが多かった。妻が担任をした小学生からの年賀状に、「母(ママ)が毎週平和憲法のメッセージを見てます」と添書してあったのには驚いた。意外な方々がご覧になっている。今年も多忙さに負けないで、毎週更新を続けていきたいと思う。
  ところで、元旦の各紙はそれぞれのトーンで、世紀末のさまざまな兆候に注目していた。興味深かったのは、『日本経済新聞』一面トップ「『個族』の時代が始まる」である。単身世帯が急増している。世田谷区では全世帯の四六%が単身世帯。全国平均の二倍である。結婚しない女性たち。結婚しても子どもを作らない夫婦。離婚率の上昇。そして、高齢世代の単身化。さまざまな風景がそこにある。この現象は、ずっと前から始まっていた。民族、種族、部族、氏族、姻族、血族、親族、家族等々。「族」という言葉は、共通性をもつ複数の人々を括る概念である。たった一人で「族」をなす「個族」。これは単身世帯という意味だけではない。単なる「個人主義」とは区別される、「意識の個族化」(『日経』)がここでは重要である。この傾向は、98年以降の政治・経済・社会など様々な分野に、確実に影響を与えていくだろう。たとえば、終身雇用、年功序列、家族主義を特徴とする日本型企業モデルは「輝き」を完全に失った。「リストラ」という言葉がアッという間に普及し、終身雇用で安泰と思われた管理職層をも直撃した。電車のなかでも、大企業のバッチを誇らしげに背広の襟に付けている人の数は、心なしか減ったように思う。どんなに忠誠を誓って必死に働いても、突然解雇。ならば、企業への忠誠心は半分でいく。自分を大切にした生き方を捨てない人々はもっと増えるだろう。また、「個族化」が進めば、年金や保険の制度への不信も高まってこよう。家族の変容はさらに進むだろう。昨今の子どもの非行や犯罪の背景には、呆れるほど無責任な親の存在がある。これは「意識の個族化」の歪んだあらわれと言えるかもしれない。
  98年は、「個族化」の帰結のような犯罪・事件が、意外な形で展開する年になるだろう。その一方で、政治・経済・社会の「修復」を模索する新しい動きも生まれてくるだろう。その兆候は国家よりも地方自治体に、大企業よりも地方の中小企業に、中央政党よりも地域を基礎にしたグループや個人の新しい連繋のなかに、すでにあらわれている。地方講演で出会った中小企業家のなかには、驚くほどの先見性と洞察力をもった人々が少なくない。沖縄を軸に、98年は「新しい地方の時代」になるかもしれない。