ペルー事件から1年 1998/4/27


4月22日。1年前のこの日、ペルーの日本大使公邸に武装部隊が突入し、MRTAのゲリラ全員を殺害。人質を解放した。このフジモリ大統領の直接・強行姿勢を、あるドイツの新聞は22日付で、「鉄板工としての政治家」と皮肉った(http://www.taz.de/ )。雨漏りがしたらすぐ来て修理をしてくれるという、日本で言えば「どぶ板政治家」という意味にもとれる。この強行突入に対する批判の声は少なかった。私の「直言」の第1 回はペルーの人質事件発生だったが、突入直後の「直言」では、「ペルー日本大使公邸の大虐殺」と書いた。このフジモリ批判の「直言」を『琉球新報』が紹介したのには驚いた。新聞社もこのページをチェックしていたのだ。この1 年でペルーはどうなったか。インターネット上の人権関係のサイトを見ると、政府に批判的なテレビ局社主の国籍を剥奪されたり、軍の秘密部隊を使ったテロも続いており、人権侵害状況はひどい。フジモリ大統領は憲法にも手をつけ、3 選を狙う。凄まじい権力志向だ。ところで、人質事件の間、ゲリラ側は「合法政党して承認してほしい」という要求を出していた。この事実を多くのメディアは無視した。実は、中南米のエルサルバドルでは、92年に内戦が終結。FMLNというゲリラ組織が政党として承認され、97年に総選挙を戦っていた。私がいまも講師をしている広島のエリザベト音楽大学の教え子の正本よう子さんが、昨年エルサルバドルの音楽学校にホルンを教えに行った。そのとき総選挙に遭遇。色々な体験を私に話してくれた。元ゲリラが選挙演説をして、開発反対や環境保護を訴える。何とも興味深い選挙戦だったという。選挙結果は、FMLNを中心とする統一連合が35.4%を獲得。政権側が35.3 %で、元ゲリラの勝利に終わった。だが、その差はわずか0.1 %。両派とも、議会での多数派工作に全力を挙げることになる。彼女はこの0.1 %差を「天の配剤」と呼ぶ。もしゲリラが圧勝したら、旧政権官僚の粛清をやったかもしれない。逆にゲリラが完敗したら、再び武装闘争に戻っただろう。0.1 %差がこの国から武装闘争をなくした。まさに「協調を強要する数字である」。憲法に基づく政治(立憲主義)こそ、「武力なき平和」を実現する確かな道。正本よう子「南米エルサルバドルの選挙をみて―― ゲリラから合法政党へ」(『法学セミナー』1998年2 月号)に詳しい。なお、彼女はFMLNの選挙運動員から赤い鉢巻きをもらってきた。「日本にいる私の先生にお土産にしたいので、もう1 本」と言うと、自分のを頭から外してくれたそうだ。元ゲリラ闘士の鉢巻きが、いま、この原稿を書いている手元にある。