生まれたときから、私の周囲には馬がいた。地方の大学に勤務した12年間も、家は東京競馬場の近くにあったし、いまもそこに住んでいる。曾祖父が獣医大学で教鞭をとり、祖父や叔父が競馬場の獣医で、親戚中で男の子は私一人だったから、本来なら「獣医4代目」になっていたはずだった。別の道を選択した今でも、馬は大好きである。とくに美しい、澄んだ眼が。幼い時、庭の奥にあった2階建ての物置は私の「巨大な玩具箱」だった。薬品を煎じる大きなフラスコや奇妙な医療器具・・・。太くて長い注射器は水鉄砲。7センチ近い注射針でやるダーツも最高だった。昔、本命とされた馬が、叔父の話では下痢をしていると聞いた。案の定、「大穴」だったということも。
周囲に競馬場関係者がたくさんいる生活をしていても、私は生まれてこの方、馬券というものを買ったことがない。これは私の趣味と美学の問題である。でも、買いたくても買えない人々がいる。「学生生徒又は未成年者は、勝馬投票券を購入し、又は譲り受けてはならない」(競馬法28条)。学生であることを知りながら、馬券を売ったり譲ったりすると、50万円以下の罰金に処せられる(同34条)。現役高校生は未成年と重なるが、問題は成人となった大学生である。競馬ファンの21歳の浪人生は、念願の大学に入学した途端、法的には馬券が買えなくなる。
世の中にはさまざまな規制がある。たとえば、Hな本やビデオ。18歳未満の青少年には、青少年保護条例による「有害図書」規制がある。今度成立した「スポーツ振興投票実施(サッカーくじ)法」では、19歳未満が購入禁止だ。よく分からないが、現役高校生すべてを規制するという狙いだろう。そして、競馬法。これはどう見ても、「勉学にいそしむ者」すべてが対象である。競馬は「勉学とは両立しない、うしろめたいギャンブル」という気持ちが法文に滲み出る。大学1年生はサッカーくじは買えても、馬券は買えない。競馬よりもサッカーくじの方が学問と両立する「高尚なギャンブル」というわけでもあるまい。
1948年7月に競馬法が施行されてから、まもなく半世紀になる。競馬場の近所の住人としては、駅から競馬場に向かう人々を長年見てきて、近年、その様変わりに驚いている。明らかに学生と思われる人々が急増しているのだ。私のゼミ学生とばったり会ったこともある。高校生もいる。
そうした現実を私自身、決して好ましいと思っているわけではない。ただ、競馬法28条が学生に対する過度な制約となっているのではないかという疑問は拭えない。学生であるが故に、一律に購入・譲渡が禁止される。その立法目的は何か。それは、半世紀前と異なり、同世代の4割もが大学に行く現在でも合理性をもつのか。かりに「学問をしている間はギャンブルは望ましくない」ということが一般的には言えるとしても、それを法により、一律購入禁止という形で強制することは、規制手段として妥当か。競馬法28条は見直すべき時期に来ているように思われる。「サッカーくじ」までもが参入する「ギャンブル大国」日本のありようを全体として考えるべきだというのが私の意見である。
追記: 2004年6月9日の法律改正により、競馬法28条は、「未成年者は、勝馬投票券を購入し、又は譲り受けてはならない」となった。法律が施行された2005年1月1日以降、20歳以上の学生も馬券を購入できるようになった。
ちなみに、右2枚の写真は、2004年12月3日の東京競馬場の風景。この約1カ月後にこの看板は撤去されることになる。(2005年3月1日追記)
|