ドイツの政権交代 1998/10/ 5


月27日夜11時からNHK衛星第1放送は、7時間枠で夜通し選挙分析を行った。深夜1時ちょうど。時差7時間のかの国では、投票締切りの午後6時。ZDF(第2放送)の選挙番組が始まった。冒頭で、出口調査結果による議席予測を出る。比例代表制をメインにしたドイツでは、この予測が実際の結果とほとんど一致する。
   結果は、社民党 (SPD) 40.9%で第一党。戦後5割台、4割台をキープしてきたキリスト教民主・社会同盟 (CDU/CSU) は35.2%で、歴史的大敗北を喫した。緑の党6.7%、自民党 (FDP) 6.2%。旧東独党の後継政党たる民主社会主義党 (PDS) は5.1%と、議席配分ハードルの5%を初めて突破した。

  翌日のドイツ各紙は「コール時代の終わり」を大きく報道。連邦選挙管理委員長のホームページで328小選挙区の結果を次々クリックしていくと、109選挙区でSPD新人候補がCDU/CSU現職に勝っていることが分かる。コール首相自身も、ラインラント・プファルツ州第160選挙区でSPDの新人女性候補に敗れている。得票率だけでは見えないSPDの地滑り的勝利は、小選挙区の獲得議席が、比例による配分議席数よりも13上回ったことからも分かる。これを「超過議席」といい、これで総定数は656から669になった。ドイツの選挙制度は、2票制。全議席を第2投票の結果に基づいて各政党(州)に配分する。この配分議席から、第1投票(328小選挙区)の当選者を引く。残りを政党名簿リスト上位から当選としていく。ドイツの制度は比例代表制がメインであり、それに「人を選ぶ」という要素を加えたもので、「顔の見える比例代表制」と言ってよい。だから、ある党が小選挙区で大量に勝つと、こうした「超過議席」の問題が起きる。今回、有権者の流れはSPDに向かったのだ。東ではPDSがやはり強く、4小選挙区で第一党となった。極右政党は予想外に振るわなかった。与党への不満は極右ではなく、SPDと、東ではPDSに向かった。

  ところで、Die Welt紙は、「68年世代の勝利」と書いた。シュレーダー首相候補は68年の学生運動華やかりし頃のJUSO・社民党青年部の全国委員長。緑の党のフィッシャー議員団長はAPO・環境・平和運動活動家。この2人がドイツの政治を担う。欧州連合(EU)加盟15カ国中、13カ国で社民系が政権に加わることになった。欧州と異なり、日本では、不用意に政権参加した結果、社民党は消滅しつつある。理念もポリシーもないままでの政権参加は政党を腐らせる。環境保護・平和・人権を掲げる「緑の党」の政権参加が、日本の旧社会党と同じ轍を踏んで、消滅への道を辿るか否か。注視したい。

  余談だが、95年6月28日、ベルリンでコール首相に出くわしたことがある。東ベルリンのドームホテルのトイレを借りに入ったら、そこにコール首相がいたのだ。警備はわずか2名。一瞬、その人とは分からなかった。近くのシャウシュピールハウスでCDUの集会に参加したあと、休憩のために寄ったものらしい。そのままホールの方に行くと、「車椅子の政治家」、党内ナンバー2のショイブレ議員団長がちょうど公用車に乗り込むところだった。ショイブレ氏は眼光鋭い、保守の知性派。今後のドイツ政治のキーパーソンとなるだろう。91年のベルリン滞在中にショイブレ氏が出した書物(Der Vertrag)を読んで以来、彼に注目してきた。「68年世代」特有のアジテーションで首相まで登りつめたシュレーダー氏よりもショイブレ氏の方が、知的にも能力的にも上だと私は見ている。その意味で、緑の内部分裂の可能性を含め、「社民・緑の連立政権」の今後は厳しい。

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