この時ほど、漫画ドラえもんの「どこでもドア」がほしいと思ったことはない。5月11日からオランダのハーグ(Den
Haag)で世界市民平和会議(第1回は1899年)が開かれた。 同時期ドイツでは、「緑の党」の特別党大会に向けた動きが急であった。私は、ノルトライン・ヴェストファーレン州を中心に、即時無条件空爆停止を求める地方組織の動きを取材していた。地方レベルでは、フィッシャー外相らの方針に反対する動きが目立つ。これが多数になれば、連立政権は崩壊するとの観測記事も流れる。保守のDie Welt紙は連立離脱後の閣僚候補名まで出して煽る。ピークの特別党大会は13日、ビーレフェルト市で開かれる。入手した大会日程によると、午前9時開会。執行部案と地方組織の対案95本の採決に入るのが15時から17時45分の間。でも、ハーグの平和会議にも出たい。そこで両方出ることにした。ボンからハーグまでヨーロッパ道E35号(ドイツはアウトバーン3号、オランダに入るとA12号)で一直線。3時間半で着いた。誤算だったのは、オランダの道路標識がかなり不備で、道に迷ったこと。 それでも、会場のコングレス・センターに9時半過ぎに着いた。ガラス張りの巨大な建物のあちこちで、世界中から集まったNGOが出店を出したり、小集会を開いている。Conference Programを見ると、核軍縮から女性、子ども兵士、環境、人権等々、企画の多さに驚く。何とか「日本デー」には間に合う。日本から400人が参加したが、会場は80人定員。参加者が溢れていたため、立ち見で報告を聞いた。とくにマッコイIPPNW (核戦争防止国際医師会議)共同会長の話が、アメリカやNATOの今の動きの本質を鋭く指摘していて興味深かった。秋葉広島市長や大田前沖縄県知事らの話が続く。ビーレフェルトに着く時間を計算しつつ、会場の各所をまわり資料を集めた。5センチほどの厚さになったところで、ハーグを出発。 ビーレフェルトに着いたときは、執行部案の採決直後だった。周辺は警察車両がズラッと並び、会場のSeidenstickerhalle近くでは、出動服に身を固めた400人近い警察官と、プラカードをもった人々(党関係者だけでなく、セルビア人やパンクみたいなのも結構いる)がにらみ合っている。採決結果はフィッシャー外相の路線を支持する執行部の決議案が444票、即時無条件の空爆停止を求める地方組織案が318票だった。採択された決議を見ると、「セルビア部隊のコソボからの撤退開始とすべての側の即時停戦」という条件付で、「ユーゴ空爆の中止をNATOが一方的に宣言することを求める」となっている。「一方的」という強い表現はあるものの、セルビア側に撤退の動きがなければ空爆続行を承認することを含意する、まさに「苦渋の選択」である。決議タイトルは「平和と人権は調和できる」。意味深長だ。翌日の新聞では、フィッシャー外相の右耳に赤い液体入りの小袋が投げつけられるなどのスキャンダラスな面が強調された。大衆紙Bildに至っては、ストリーキング党員の男性器の写るカラー写真を大きく掲載。朝から気分が悪くなった。平和運動から生まれたこの党の「終わりの始まり」を指摘する論評もある。ハーグ会議でも、平和への市民の能力が問われた。市民の運動が発展し、やがて統治能力を問われるとき、緑の党が陥ったジレンマは様々なことを教えてくれる。なお、ハーバーマス論文については次回に言及する。 |