毎月第3土曜。近くのRheinaueという大きな公園で、ノミの市(Flohmarkt) が開かれる。園内2キロにわたり巨大な骨董品市と化す。子ども服だけの店や、窓の金具や古い把手の店など、何でもありだ。数百軒の出店は、引越しを控えた家族が家財道具を並べて売っているのから、本格的な骨董品屋や古本屋までさまざまだ。古書は~5マルクの破格値。娘は新品のローラー・ブレードを25マルク(8割引き!)で入手した。 旧東独国家人民軍(NVA)
の下士官だった髭のおやじと再会した。彼からは先月、大戦中や冷戦時代のグッズを大量に買った。何種類かまとめ、さらに値下げ交渉するのがコツ。ここで4割引かせた。今回は、橋の下に怪しげな骨董品の出店を見つけた。帝政時代からナチス時代までのものを扱う。 これと関連するが、先月、ボン市庁舎1階ホールで、「ドイツ民族の名において:司法とナチズム」という展示会(連邦司法省主催)が開かれた(6月23日まで) 。初日は、司法政務次官や連邦行政裁判所長官が挨拶した。一通り見て回ったが、ヴァイマル共和国時代の司法の社会構造的問題(裁判官の出身階層など)から展示は始まり、法曹や被告人など個々の人物にも適宜スポットがあて、制度論に偏らない深みのある展示は興味をひく。そこでは、ナチスの法思考は三つにまとめられていた。(1) 民族共同体(汝は無である。汝の民族こそすべてである)、(2) 民族的不平等(人間は等しく人間であるのではない)、 (3)指導者原理(民族の委任と無制限な権限)。「運動は法律の外にある」という「論理」で、突撃隊(SA)や親衛隊(SS)の暴虐行為は、司法的に裁かれなかった。そして、SA指導者への血の粛清もまた正当化された。「民族裁判所」のフライスラー長官が、ハイル・ヒトラーをやって判決言渡しを行なう。そこでは無罪はあり得ない。量刑の基準も政治的で、「国家の敵か否か」だ。徹底した人種差別の法律など、ナチス時代の悪法の数々が、手際よく説明してあり、おぞましい「法律的不法」(G.Radbruch)の世界にワープできる。法服の裁判官たちが、ヒトラーの肖像の前で忠誠を誓う写真は、何度見ても虫酸がはしる。研修中の裁判官の卵たちが、条文を示す§マークの飾りを絞首台に吊るして撮った記念写真まである。まさに「法の処刑」だ。 昔、チェコ占領中の抵抗運動を描いた映画をみたことがある。法廷のすぐ隣がギロチン部屋になっていて、判決が出ると、両手を抱えられ隣の部屋に連れていかれ、すぐにギロチンの刃が落ちてくる。その瞬間、血を洗い流すシャワーの水が勢いよく出る。判決を言い渡す裁判官の口元とシャワーの水を何度も交差させる映像は、本当に怖かった。手元にある変色した1枚の紙切れ。その向こうに、チェコの勇気ある市民とその子どもたちの無数の生命がある。 追記:2017年3月20日付「直言」を機会に写真を追加しました。 |